昨日の話である。昨日は、僕の所属教会でバザーがあったので、朝のミサ終了後、模擬店を回ってチヂミを食べたり、フィリピン料理を食べたりして、多治見修道院でワイン生産にたずさわっている福祉施設の模擬店でワインを買ったり……小雨が降っていたこともあって、教会のバザーと言うにはかなり寂しい状況だったのだけど、それでも昼食代わりのものを胃に入れて、帰路についた。
日曜の教会の帰りには、教会の近くにあるスーパーで食材を買い込んで帰ることが多い。昨日も、グレープフルーツの袋詰めとか餃子とか、安いものばかりあれこれ買って、それを背負って自転車に跨った。通りに面したスーパーの向こうには結婚式場があり、そこで角を曲がって、ふと視線を上げた、そのときだった。
ドン、キキィッ、っと音が聞こえ、それと同時に、目の前の四辻の中心で急停車した RV 車の前部にカラフルなものが舞うのが見えた。今のは……人か? いや、角に置かれたゴミでも引っかけただけじゃないのか……しかし、僕の網膜には人のような影が、空中に身を横たえるかのように飛ぶ光景が焼きついていた。近寄ると、グニャリと曲がったママチャリの前輪が目に入る。これはまずい。
RV から降りてきたのは若い女性だった。「大丈夫ですか」と、RV の左前輪の辺りに駆け寄る。僕も近付いてみると、50代と思しき主婦らしき女性が、角地にある美容室の駐車スペースに仰向けになっている。アスファルトと接触している後頭部からは……出血している。それも結構な量である。頭が浅い血溜りに浸っているような状況だった。
「ああ、どうしよう、どうしよう!」
スマホを片手に握りしめたまま、若い女性は軽いパニックに陥っているようだった。放っておくわけにはいかない。僕はその女性に、
「すぐに救急車を呼んで下さい」
と電話をさせる。番号を押す彼女の指が震えている。まあ無理からぬ事態であろう。
出血がひどいにも関わらず、主婦らしき女性は意識もはっきりしていた。「今起きますから」などと言うので、
「いや、駄目です。そのままの姿勢でいて下さい」
と慌てて制止する。「眩暈や吐き気はありませんか」と聞くと、のろのろと「いいえ、大丈夫です」という返事が返ってくる。しかし、打った場所が場所だし、出血もひどい。幸いなことに、この女性は完全に仰向けになっているので、自分の後頭部からの出血状況が見えない。パニックに陥らせないためにも、この姿勢を何としても維持させなければならない。僕は背中の荷物を探って、折り畳み傘を出して、地面に転がる女性の顔の上に差しかけた。
運転者の女性の声が聞こえる。
「え、ここですか?ここは、えーっと……」
再びパニックに陥りそうな女性に、通行人が通りの名と町名を教える。被害者の女性も冷静で、
「結婚式場の裏です」
とフォローしている。そんなやりとりを繰り返しながら、運転者の女性はどうにか消防に電話し終えた。
「電話しましたね」
「は、はい」
すると、被害者の女性が、
「あの、私の家、ここのすぐ近くなので、家族を呼んでもらえますか。電話番号は……」
と、すらすらと番号を言い始めた。運転者の女性がかけてみるが、どうやら席を外しているようで誰も出ない。
「出ませんねえ、どうしよう、どうしよう」
運転者はまた軽いパニックに陥りそうな状態である。
「この方の家の方には僕がかけますから。さっき電話したのは119番ですね?」
「は、はい!」
「警察には?」
「いいえ」
「じゃあそっちに電話する方が先です。警察に電話して下さい」
「は、はい!」
運転者に警察に電話をさせて、僕は被害者の状況を注視しようと視線を向けると、
「あの、家族は母の家の方に行ってるかもしれないんで、今から言う番号に連絡してもらえませんか?」
その番号にかけると、年配の女性らしき声で「はい**です」と聞こえる。
「あの、そちらの奥様が交通事故に遭われまして、救急の手配はしたんですが、お宅がご近所ということを伺いまして、ご家族の方、どなたかこちらに来ていただけますでしょうか」
と言うと、10秒程の沈黙(この10秒が、本当に長く感じられた)の後、
「しばらくお待ち下さい」
受話器の向こうで何やら話し声が聞こえた後に、男性の声で、
「お待たせしました」
ご主人だろうか。状況と場所を説明すると、「了解です」と聞こえて電話が切れた。
横を見ると、運転者の女性は電話し終えたのだろう、僕と同じように傘を地面の女性に差しかけて、女性の手を握っていた。その手は、やはり細かく震えていた。
不思議なもので、こういうときにふらーっと現われる見物人の中に、何も言わず冷静に行動する人がいるものらしい。救急車のサイレンの音に視線を上げると、こちらを見ながら何人かの人が救急車を誘導している。こちらも大きく手を振って、救急車が駐車しそうなスペースにあった自分の自転車を移動させた。サイレンを切った救急車がそこに滑り込む。
まず、救命救急士がコルセットを持って走ってきて、最初に首を固定した。そしてストレッチャと、体を持ち上げるための板を準備する。その横では、救命救急士がメモ帳を出して、運転者の女性と僕から事故の状況を聞き取って記録している。どうやら、女性と接触した瞬間、運転者から見て被害者の女性は死角に入っていたらしく、その部分は僕が補って、飛ばされた距離や姿勢に関して記録を行う。そのうちに、女性を収容する準備が整ったらしく、
「あのーそこの男の方」
「はい」
「我々でこの女性を持ち上げますので、この板を背中に沿って入れてもらえますか」
「了解です」
「では、せーの!」
数名で、首に負担がかからないように女性を仰向けのままで持ち上げる。僕は、渡された黄色い樹脂製の板を地面との間に押し入れる。勝手が分からず最初入れ過ぎてしまい、指示に従って位置を調整したところで、女性をそこに置き、今度は板ごと持ち上げてストレッチャに載せ、車内に収容した。
家族の男性も作業中に到着した。携帯で家と連絡をとっているらしい。僕ができるのはここまでのようだ。運転者の女性に声をかける。
「では、僕はそろそろ行きますね」
「は、はい! 有り難うございます!」
「いや、そういうことは気にしないで。まずは、落ち着いて下さいね」
「はい」
「あと、後々、証言とかで必要になるかもしれませんから……」
ということで、電話番号と名字だけを交換して、僕は帰路についた。
その後、今日の時点では何も連絡は入っていない。便りがないのは元気な印、であってほしい、と、今はただ祈っている。