皆知っているものと思っていたクイズ

意外に知らない人が多いので書いておこう。

あなたの目の前には二又に分かれた道があります。片方は正直村、もう片方は嘘つき村に行く道のはずなのですが、標識がないのでどちらがどちらか分かりません。

正直村の村人は正直で、嘘は決して言いません。嘘つき村の村人は、何を聞いても嘘しか答えません。あなたは正直村に行きたいのですが、道が分からぬまま立ち尽くしていると、誰かが歩いてきます。しかし、この人がどちらの村から来たのかは分かりません。

あなたはこの歩いてきた人にひとつだけ質問をしてみるつもりです。何と聞いたら、あなたは首尾よく正直村に行けるでしょうか?

ノロ?

昨夜のこと。水炊きを夕食に食べて、寝ようと思ったのだがどうも胃が苦しい。食べたものが胃の中でそのまま滞留しているような不快感である。そのうち治るだろうと思っていたのだが、どんどん胃の不快感が募ってくる。とうとうトイレにかけこみ嘔吐するが、今度は胃がキリキリと締め上げるように痛む。

胃痛で耐え難い状況になって、ままよ、とロキソニンを服用したら、なんとかしのげる位に痛みが減じたので、そのまま布団に潜り込んでうんうん唸りながら朝を迎えた。幸い今日は休める日だったので、昼少し前まで床の中に居たのだが……テレビをつければ、宮迫氏の胃がんに関する話題が聞こえてくる。とても他人事とは思えぬ。

今になってみると、胃は元通りに復調しているし、晩飯を食べても問題ない状態である。昨夜のあれは一体何だったのか。以前、ノロウイルスらしき症状で七転八倒したときのことを思い出したが、今回は1日で治ったからノロでもないわけだ。一体これは何なのだろう。

落語で感じる日本語のギャップ

昨日、NHK 新人演芸大賞 落語部門、というのをテレビで観ていた。この結果自体は先月末に既に報道されていたわけだけど、最近は落語を鑑賞する機会も減っているので、これ幸いと観ていたわけである。

しかし、観ているうちに、どうも気になって仕方のないことがいくつかあった。観客は皆笑っているけれど、これ、ちゃんと分かって笑っているのだろうか? と首を捻るようなところがいくつか目についたのである。

立川談志が亡くなったとき、彼が地方講演で演じていたときの映像を NHK が流しているのを観たのだけど、この映像の中でも、描写の内容に関係なくへらへら笑う客に「ここ、面白いところですかね?」と鋭い言葉を投げかける(しかし客は、その言葉の意味も理解できないのであった)場面が出てくる。落語は古典になりかかっている芸能であるが故に、どうしても、事前にある程度知らないと本当の意味が分からない部分が出てくることがある。それを鬼の首でもとったかのように指摘してスノッブを気取る気など毛頭ないのだが、やはりその内容によっては、たとえばまくらで説明しておくとか、そういうケアが必要だと思うこともないではない。今回気になった、というのは、つまりはそういうことなのである。

たとえば、『癪の合薬』という噺がある。持病の癪が起きたとき、やかんを舐めるとそれが治まる、という奇癖(?)を持つ若い女性が出先で癪を起こし、たまたま通りがかった禿頭の武士に女性の妹が懇願し、その頭を女性に舐めさせて癪を治める、という噺である。当たり前のようにこの噺を演じていて、ネットでもそれを評論している連中(「連中」でたくさんだよ、単なる消費者風情が何を評論家を気取っているのかね)がいるわけだけど、最大前提として求められる「禿頭を『やかん頭』と称すること」は、果たして何も説明しなくとも万人に通ずることなのだろうか? 僕にはどうにもそうとは思えないのだが。

庶民のカタルシスの爆発、とでも言うような『かぎや』でもそうだ。殿様(と言ってもこれはおそらく旗本クラスなのだろうけれど)の家来が手入れの行き届いていない刀を抜く場面で出てくる「抜けば錆散る赤鰯」という文句が、昔の剣劇映画などでよく弁士が用いた「抜けば玉散る氷の刃」を知っていることが前提だということを、どれだけの人が知っているのだろうか? 加えて言うと、何故錆びた刀が「赤鰯」なのだろうか?(おそらくは、鰯の銀の皮が剥け、赤い身が露出するところから、「抜き身が赤い」のと「剥き身が赤い」のとを引っかけてこう言っているのだろうが)皆分かっているとは到底思い難い。

今回『癪の合薬』を演った桂二乗も、『かぎや』を演った春風亭昇吉(昇太の弟子が古典かあ、そういうものなのですかねえ)も、そして彼等の噺に関してあれこれネット上で書いている連中も、こういった噺の下敷になっている大衆芸能や古典に関して、果たしてどれ位「自分のもの」として持ち合わせているのだろうか。「自分のもの」になっているならば、それと社会の現状との齟齬は感じる筈だし、そこは折り合いをつけなければならない。知らない奴ぁ分かるまい、とスノッブを気取っているようでは、噺家も客もロクなものではないと思うのだけど。

accident

昨日の話である。昨日は、僕の所属教会でバザーがあったので、朝のミサ終了後、模擬店を回ってチヂミを食べたり、フィリピン料理を食べたりして、多治見修道院でワイン生産にたずさわっている福祉施設の模擬店でワインを買ったり……小雨が降っていたこともあって、教会のバザーと言うにはかなり寂しい状況だったのだけど、それでも昼食代わりのものを胃に入れて、帰路についた。

日曜の教会の帰りには、教会の近くにあるスーパーで食材を買い込んで帰ることが多い。昨日も、グレープフルーツの袋詰めとか餃子とか、安いものばかりあれこれ買って、それを背負って自転車に跨った。通りに面したスーパーの向こうには結婚式場があり、そこで角を曲がって、ふと視線を上げた、そのときだった。

ドン、キキィッ、っと音が聞こえ、それと同時に、目の前の四辻の中心で急停車した RV 車の前部にカラフルなものが舞うのが見えた。今のは……人か? いや、角に置かれたゴミでも引っかけただけじゃないのか……しかし、僕の網膜には人のような影が、空中に身を横たえるかのように飛ぶ光景が焼きついていた。近寄ると、グニャリと曲がったママチャリの前輪が目に入る。これはまずい。

RV から降りてきたのは若い女性だった。「大丈夫ですか」と、RV の左前輪の辺りに駆け寄る。僕も近付いてみると、50代と思しき主婦らしき女性が、角地にある美容室の駐車スペースに仰向けになっている。アスファルトと接触している後頭部からは……出血している。それも結構な量である。頭が浅い血溜りに浸っているような状況だった。

「ああ、どうしよう、どうしよう!」

スマホを片手に握りしめたまま、若い女性は軽いパニックに陥っているようだった。放っておくわけにはいかない。僕はその女性に、

「すぐに救急車を呼んで下さい」

と電話をさせる。番号を押す彼女の指が震えている。まあ無理からぬ事態であろう。

出血がひどいにも関わらず、主婦らしき女性は意識もはっきりしていた。「今起きますから」などと言うので、

「いや、駄目です。そのままの姿勢でいて下さい」

と慌てて制止する。「眩暈や吐き気はありませんか」と聞くと、のろのろと「いいえ、大丈夫です」という返事が返ってくる。しかし、打った場所が場所だし、出血もひどい。幸いなことに、この女性は完全に仰向けになっているので、自分の後頭部からの出血状況が見えない。パニックに陥らせないためにも、この姿勢を何としても維持させなければならない。僕は背中の荷物を探って、折り畳み傘を出して、地面に転がる女性の顔の上に差しかけた。

運転者の女性の声が聞こえる。

「え、ここですか?ここは、えーっと……」

再びパニックに陥りそうな女性に、通行人が通りの名と町名を教える。被害者の女性も冷静で、

「結婚式場の裏です」

とフォローしている。そんなやりとりを繰り返しながら、運転者の女性はどうにか消防に電話し終えた。

「電話しましたね」
「は、はい」

すると、被害者の女性が、

「あの、私の家、ここのすぐ近くなので、家族を呼んでもらえますか。電話番号は……」

と、すらすらと番号を言い始めた。運転者の女性がかけてみるが、どうやら席を外しているようで誰も出ない。

「出ませんねえ、どうしよう、どうしよう」

運転者はまた軽いパニックに陥りそうな状態である。

「この方の家の方には僕がかけますから。さっき電話したのは119番ですね?」
「は、はい!」
「警察には?」
「いいえ」
「じゃあそっちに電話する方が先です。警察に電話して下さい」
「は、はい!」

運転者に警察に電話をさせて、僕は被害者の状況を注視しようと視線を向けると、

「あの、家族は母の家の方に行ってるかもしれないんで、今から言う番号に連絡してもらえませんか?」

その番号にかけると、年配の女性らしき声で「はい**です」と聞こえる。

「あの、そちらの奥様が交通事故に遭われまして、救急の手配はしたんですが、お宅がご近所ということを伺いまして、ご家族の方、どなたかこちらに来ていただけますでしょうか」

と言うと、10秒程の沈黙(この10秒が、本当に長く感じられた)の後、

「しばらくお待ち下さい」

受話器の向こうで何やら話し声が聞こえた後に、男性の声で、

「お待たせしました」

ご主人だろうか。状況と場所を説明すると、「了解です」と聞こえて電話が切れた。

横を見ると、運転者の女性は電話し終えたのだろう、僕と同じように傘を地面の女性に差しかけて、女性の手を握っていた。その手は、やはり細かく震えていた。

不思議なもので、こういうときにふらーっと現われる見物人の中に、何も言わず冷静に行動する人がいるものらしい。救急車のサイレンの音に視線を上げると、こちらを見ながら何人かの人が救急車を誘導している。こちらも大きく手を振って、救急車が駐車しそうなスペースにあった自分の自転車を移動させた。サイレンを切った救急車がそこに滑り込む。

まず、救命救急士がコルセットを持って走ってきて、最初に首を固定した。そしてストレッチャと、体を持ち上げるための板を準備する。その横では、救命救急士がメモ帳を出して、運転者の女性と僕から事故の状況を聞き取って記録している。どうやら、女性と接触した瞬間、運転者から見て被害者の女性は死角に入っていたらしく、その部分は僕が補って、飛ばされた距離や姿勢に関して記録を行う。そのうちに、女性を収容する準備が整ったらしく、

「あのーそこの男の方」
「はい」
「我々でこの女性を持ち上げますので、この板を背中に沿って入れてもらえますか」
「了解です」
「では、せーの!」

数名で、首に負担がかからないように女性を仰向けのままで持ち上げる。僕は、渡された黄色い樹脂製の板を地面との間に押し入れる。勝手が分からず最初入れ過ぎてしまい、指示に従って位置を調整したところで、女性をそこに置き、今度は板ごと持ち上げてストレッチャに載せ、車内に収容した。

家族の男性も作業中に到着した。携帯で家と連絡をとっているらしい。僕ができるのはここまでのようだ。運転者の女性に声をかける。

「では、僕はそろそろ行きますね」
「は、はい! 有り難うございます!」
「いや、そういうことは気にしないで。まずは、落ち着いて下さいね」
「はい」
「あと、後々、証言とかで必要になるかもしれませんから……」

ということで、電話番号と名字だけを交換して、僕は帰路についた。

その後、今日の時点では何も連絡は入っていない。便りがないのは元気な印、であってほしい、と、今はただ祈っている。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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