玄米食礼賛

普段食べる米を玄米にしてからもう大分経つ。子供の頃、剣道の道場で一緒に練習していたT君の家で玄米を食べていて、一度T君のお母さんから握り飯を貰って「うわーこれはよぉ食わんわ」と思ってしまったのが、唯一の玄米へのトラウマだったのだが、これはもはや完全に払拭されている。

あの日T君のお母さんから貰った握り飯がマズかった(ああ、はっきり書いてしまったけれど)のにはいくつかの理由がある。あの味から推測される、そして「玄米食はマズい」と思われている人が大抵陥っている問題は、

  • 保存が悪かった
  • 吸水が不十分だった
  • 炊き方が悪かった
の3つである。これを改めれば、冷や御飯であっても玄米は美味しく食べることができるのだ。

まず、味云々の前に、ひとつ考えてみていただきたいことがある。どうして米は、玄米として流通するのか、ということである。最近は籾を付けたままで、お米屋さんで脱穀からするケースも多いけれど、そうなる以前、お米屋さんで仕入れる米はたいがい玄米のかたちで流通し、お米屋さんは精米からの処理を行っていたものである。なぜ、米は精米した状態で流通されなかったのか。

答は簡単で、糠を付けておくことで米の味の劣化が防げるから、である。皆さんご存知の通り、米糠には油が含まれている。この米糠の脂質には、抗酸化作用を持つ成分が豊富に含まれている。これらの成分が内部の酸化を防ぐ(身代りになって自ら酸化されてしまうわけだが)ので、米は糠を付けた玄米の状態で流通していたのである。戦時中まで米が一種の通貨のような機能を果たしていたという歴史的事実は、米糠のこのような効能があってこそのことなのである。

しかし、その米糠も一緒に食べるとなると、糠を犠牲にするわけにはいかなくなる。糠を含めた米の酸化を防ぐためには、それ相当の貯蔵をして、脱穀後あまり経たないうちに食べる必要がある。また、脂溶性の物質が残留しやすいということを考えると、農薬に関しても、白米よりは気を遣う必要があることは想像に難くない。

最近は、日本における米の貯蔵は冷蔵保存が当たり前になっている。だから、後は農薬と、脱穀してからの時間の問題、ということになる。こういうことを考えると、玄米を食するならば、脱穀を行っていて、米の生産状況を把握しているお米屋さんで購入するのが、最も望ましい、ということになる。最近はスーパーでも玄米を売っていることが多いけれど、こういう問題があるために、僕の場合は近所の米穀店で減農薬栽培の米を買うことにしている。

玄米を食べている、という話になると、「炊き方が大変で」という声をよく耳にするのだけど、ここで声を大にして言いたい。玄米を炊くのは非常に簡単である、と。いやそんなことないでしょう、うちの炊飯器では……とお思いの方。あれにダマされてはいけないのですよ。

近頃は、何でも付加価値というものが要求される。白物家電の中でも最も歴史の長いもののひとつである炊飯器でもこれは同じことで、そのために「玄米モード」として設定されているもののほとんどが、いわゆる発芽玄米を作って炊くためのコースになっている。そりゃあ、発芽するまで待たなきゃならないなら、確かに玄米を炊くのは大変である。市販の炊飯器の説明書にも、水を入れて12時間……とか書いてあるんでしょう。しかし、そんなことでは一般家庭で玄米が炊ける筈がないのだ。

困ったことに、一般社団法人日本発芽玄米協会 なる組織があって(ああ、農水省の天下りの臭いがプンプンしますねえ)啓蒙活動に励んでいるおかげで、発芽させない玄米にメリットがないかのように思い込んでいる方すら見かけるのだけど、それで玄米食に手を出しかねている、というのでは本末転倒である。ここに断言するけれど、発芽させなくとも、ビタミン B と繊維質を豊富に含んでいるだけで、玄米を食べるメリットは十分過ぎる程あるので、発芽にそう拘らないでいただきたい。

では、どうやって炊いたらいいのか。実は、圧力鍋を使うと非常に簡単に炊くことができる。以下に炊き方を書いておくことにする。

まず洗米だが、白米と違って糠を除く必要がないので、そう神経質にする必要はない。玄米には籾が混入していることがよくあって、これが口に触ると強い違和感を感じるので、白米より多めの水を入れ、攪拌し、水流がゴミを捉えている状態で水を捨てる、というのを、2、3回行えばよろしい。あまり神経質に米を研いでも意味がないので、簡単に考えていただきたい。白米の場合は、最初の水を米が吸水するので、最初に研ぐときには気をつける必要があるわけだけど、玄米だから(米が糠を吸っても一向に構わないのだから)何らそういう配慮も必要ない。

洗米が終わったら、米全体が十分浸る位のぬるま湯(夏なら普通の水で何ら問題ない)を張り、そこに塩をひとつまみ入れて攪拌し、完全に溶解させ、そのまま1時間放置して吸水させる。時間のないときだったら、3、40分でも大丈夫だろう。

吸水が終わったら、一度笊で水を完全に切り、これを圧力鍋に入れる(僕は無精なので、ここまでのプロセスを圧力鍋の中でやってしまうわけだが)。そこに、米の体積の1.3倍(僕は少し多めにするのが好みである)の水を入れ、蓋をして火にかける。蒸気が出てきたら、弱火で 13 〜 14分程度炊いた後、火を止めて、そのまま安全弁が開くまで蒸らしておく。圧力が抜けたら蓋を開け、全体を切るように軽く混ぜ、更に数分蒸らせば出来上がりである。

唯一面倒なのは、米を1時間吸水させるということだろうか。しかし、12時間とか24時間とかいうのに比べれば遥かに簡単だし、米を研ぐのはむしろ白米よりも簡単である。水の割合だけ覚えておけば、あとは時間調理だから、圧力鍋とクッキングタイマーさえあれば誰でもできるのである。

こうやって炊いた玄米は、全然パサつかないし、冷えても臭いなどが気になることはない。保存する場合は、冷蔵・冷凍時に水分が抜けやすいので、ジップロックの容器やラップなどできっちり密閉して、食べる直前に電子レンジで温めるだけでいい。

本当に、これだけのことなのである。是非皆さん、もっと玄米を食べてみていただきたい(特にカレーとの相性は絶妙である)。僕はもう、「えー、玄米食べてるんですかぁ?」と言われるのに、すっかり飽きてしまったのだ……

難問奇問

某所にて、中学三年の子に、どうしても分からない問題があるので教えてもらえないか、と言われた。見せてもらうと、大体こんな感じの問題だった。

以下の英文を読み、カッコ内に入る語を答えよ。

A Japanese tourist stood in front of the ticket counter at Santa Clara station. He wanted to move to San Francisco by Caltrain. He thought carefully, and said to clerk "To San Francisco." The clerk received money, and exchanged for two tickets.

The tourist thought that's the result of his poor English, and then said to clerk "For San Francisco." The clerk received money, and exchanged for four tickets.

The tourist was surprised by those unexpected results. He tried to calm down himself, and said "Well..." At that moment, he gave ( ) tickets from the clerk.

「Thomas さん、答を見ると eight って書いてあるんですけど、どうしてこれが eight になるのか、僕には全く分かりません」

……いや、分かりますよ。英語の問題に少しは面白さを加味したいんだ、という、その思いはね。でもね、これは分からないでしょう。

「……これは、分からないだろうなあ」
「はい。全く分かりません」
「……あのさあ、サンフランシスコ行きの切符を買うとき、カウンターで何と言ったらいいと思う?」
「え? ここに書いてあるみたいに To ... とかですか?」
「ああ、いや、単純に行き先だけ言えばいいのさ。だから、前置詞がどうとか考える必要はないんだ」
「はあ」
「だけど、この話に出てくる日本人旅行者は、考えないでもいいことを考えて to をつけてしまった。だから to を two と聞き取られて、切符が2枚出てきたわけだよ」
「はあ」
「で、I need only one. か何か言やいいところを、ああこれは自分の英語がマズかったんだなあ、と要らぬ知恵を巡らせて、彼は For San Francisco. と言う。で、For を Four と聞き取られて、切符が4枚出てきた。ここまではいいよな?」
「はい」
「で、この "Well..." ってのがあるよな。これは本当は彼は日本語で呟いてるんだよ。『えーっと……』ってね」
「はあ……」
「うーん、分からんかな。『えーっと』って、何に聞こえる? Eight に聞こえないか?」
「はあ」
「だから、『えーっと』で出てくるのは八枚だろう? だからここは eight になるんだよ」

悔しさに満ちた声をあげる中三の子に僕は言った。

「まあ、"Well..." から『えーっと』はさすがに出てこないよなあ。それに、これは英語の問題じゃなくて、トンチの問題だよ。だから、問題の方に問題がある。出来なくてもメゲることなんかないからな」

出題者は、少しでも解く者に面白いようにと作ったのかもしれないが、いくら何でもこれじゃあ答には辿りつけないだろう。僕だってこの話を知ってるから分かるのであって、元ネタを知らずにこれがテストに出たら、そりゃあ出題者を恨むよな。いやはや、中学生稼業も楽ではないことよ、と思わされたのだった。

ロータリーポンプの思い出

僕の稼業では、よく真空ポンプというものを使う。真空ポンプと言ってもピンからキリまであるのだけど、僕等の業界では、真空度の低い方だったら油回転ポンプ(通称ロータリーポンプ)、高真空だったら油拡散ポンプ(通称ディフュージョンポンプ)、二者の間で高速排気が必要ならスクロールポンプ、ディフュージョンより高い真空度が必要ならターボ分子ポンプを使うことが多い。油拡散ポンプとかターボ分子ポンプというのは、基本的には単体ではなく、より低真空度のポンプと結合して使うものなのだけど、そういうときにはロータリーポンプを使うことが多い。だから、真空デシケータを引くようなちょっとしたことから、XRD の回転電極管を引くような時まで、このロータリーポンプはありとあらゆる所に転がっているものだ。

あれはまだ大学院生の頃のことだけど、あるときこのロータリーポンプを動かさなければならないことがあった(そういうことは日常的にあるものだけど)。で、たまたまそのときは急いでいて、何十キロもあるポンプを台車に載せるのに、えいやっと力任せに持ち上げた、そのときだった。

「ピキ」

という嫌な音がどこかしらかで聞こえて、僕はその場に崩れ落ちた。身体を曲げようとすると、腰に激痛が走る。何だ、何が起こったんだ?

当時の指導教官T氏が部屋にやってきて、床に転がっている僕に気付いて、どうした、と声をかけてきた。脂汗を流しながら事情を話すと、

「アホやなぁ、こういうときは腰を折らずに膝を曲げて持ち上げんと……」

しかし、T氏は妙にニヤニヤしている。

「T先生、これ、一体、どうしちゃったんですかね?」

「どうって……分かるやろう。これがギックリ腰ってやつや」

そして、そうかぁ、Thomas 君初めてかぁ、いやいや、ついにやってしまったなぁ……と言いながら、妙にニヤニヤし続けている。こっちは痛くて、脂汗を流しつつ、近くの壁に身を寄せているのだが、そのうちに、ボスのH教授が上がってきた。

「ん、何や、どうした?」
「ああ、H先生、Thomas 君がね……」

T氏はニヤニヤしながら、

「腰イワしたみたいで。初めてらしいですよ」

これを聞くと、H教授の口角がきゅん、と上がった。

「何、腰か? 何や Thomas 君初めてか、あーそうかそうか、ついに Thomas 君も腰イワしたか……」

二人顔を見合わせてニヤニヤしながら、妙にしみじみしたような口調で「いやぁ」「いやぁ」と言い合っているのを見上げながら「アンタら鬼か」と思ったのは、今でもよく覚えている。これが僕の「初ギックリ」で、このときは治癒までに1週間程かかった。最初の何日かは、トイレでいきむのにすら苦労したものだ。

その後も、何年かに一度腰を痛めるようなことがあって、現在に至るわけだが、この十何年か、自分のも他人のも含めると、結構な数のギックリ腰に遭遇してきた。しかし、どうして、誰かがギックリ腰で倒れると、皆ああもしみじみした様子になってしまうのだろうか。仲の悪い人達ですら、顔を見合わせ口々に、自分の過去の経験を交えた「養生訓」をしみじみと語り合ってしまうのだ。

あの「初ギックリ」以来、僕はロータリーポンプを見るとその体験がフラッシュバックしてしまい、ポンプを運んだりメンテナンスで分解したりするときには、妙に慎重になってしまう。「Thomas さんどうしたんですか」と聞かれることも少なくない。いや、でも、あの初ギックリのときの記憶は、おそらく一生忘れることはないだろう。

あれは30になって間もない頃のことだったと思うけれど、某研究所でやはり腰をやってしまい、早退して近所の整形外科に受診した。腰のレントゲン写真を何枚か撮影して、シャーカステンを前にドクターと二人向い合うと、

「Thomas さん……腰ですけどね」
「はぁ」
「まあ……一口で言うとですね……」
「はぁ」
「……もう、若くはないということですよ」

ハァ? と思わず聞き返してしまったけれど、あのときのドクターの妙に嬉しそうな顔ったらなかった。どうして、腰を痛めた人を前にすると「こちらの世界にようこそ」みたいな反応をするんだろうか。次の日、出勤時に上司に報告がてらこの話をしたら思いっ切り笑われてしまったのだった。

「まぁ、皆やっとるんや。君だけやない、ということや。そうか……しかし、そうか……『もう若くない』か……プププ」

プププちゃうわ。まあそういう経験をしたので、自分より若い者が腰を痛めたときは、そういう対応だけはしないように心掛けている。

いや、なぜ今日こんな話を書いているか、というと、実は今日、教会で椅子を運ぼうとして、腰を痛めてしまったのだ。もうさすがに慣れたし、周囲の人にそういう風に扱われるのが嫌だから、帰宅するまで一人耐えていたけれどね。

統一教会に関わる哀しい思い出

僕は、自分がカトリックの信者であることを公言しているわけだけど、日本において、ほとんどのカトリックの信者は、必要ない限りはそういうことを公言したりはしない。それは信仰に関わる問題のためではなく、周囲との無用な摩擦を避けるためである。

僕自身も、そういう摩擦を経験したことがある。たとえば、大学に入って間もない頃のこと……当時、銀座の外れに住んでいた友人Yの家に遊びに行くと、一人の男が訪ねてきた。中学時代の同期だ、と言うのだけど、僕はどうにも思い出せずにいた。Yと話もあるだろうし、僕は移動の途中にYを訪ねたに過ぎないので、そのときはしばし歓談した後に辞去した。

それから程なく、僕が再びYに会ったときのことである。

「あのときは酷いめに遭ったよ」

とYがこぼすので、何があったのか、と訊くと、

「あのとき本人が言わないので黙っていたけれど、あいつは一家揃ってのガチガチの創価学会員なんだよ」
「……うん」
「あのとき、お前がカトリックだとかいう話になったろう」

そう言えば、そんな話をしたかもしれない。

「お前が帰った後に、あいつ、キリスト教がいかに不完全な宗教か、ということを滔々と俺に語ってなあ」

それは災難だったろう。なにせYは倫理学専攻で、カトリックの神学者にして倫理学者であるスピノザの倫理学を研究していたのだから。

「で、な。俺はもうあいつの弁にうんざりしてしまって、論破してしまったんだ」
「……うん。そうしたら?」
「そうしたら、あいつ、俺は帰るけれどこれを置いていく、読んでくれ、って」

そう言うと、Yは一冊の文庫本を僕に差し出した。青春文庫、と表紙にある。裏を返すと、聖教新聞社と書かれている。著者は……池田某。中を見ると、あちこちに線が引かれている。なるほどねえ。知らなかったとは言え、Yを酷いめに遭わせてしまったのには、僕にも責任の一端はあったのかもしれぬ。

こんなこともあった。やはり大学時代のことだが、大学に NeXT というコンピュータが導入されて、ネットワーク接続され、モリサワフォントや Mathematica がインストールされ、400 dpi の PostScript レーザープリンタが使える UNIX ワークステーションが24時間好き放題に使える状態になって、2年程が過ぎたときのことだ。

当時、端末室に入り浸っている面々は仲良くなって、深夜に皆でファミレスに行ったりしていたのだけど、その面々のひとりに、「ユンカース」というハンドルを使っている下級生がいた。彼は僕に、自分は木根尚登のファンだ、としきりに言う。僕が音楽をやっているからだったのかもしれないが、別に僕は TM Network のファンというわけではなかったので、正直持て余していた。彼は、木根氏の『ユンカース・カム・ヒア』をしきりに賛美し、学内の電子ニュースにおいても、木根氏に関する宣伝を延々と書き続けていた。

当時の僕は、中学以来の読書量を落としておらず、大学の最寄り駅の近くにある古本屋で毎日のように本を買っては読む、という生活をしていたので、あまり自分が読む価値も感じない単一の作品を毎回毎回賛美されることにうんざりしていた。まあそんなことがあって、彼とはそのまま疎遠になっていったのだが、誰かが電子ニュースで、彼と彼が宣伝している木根氏に関して批判的なことを書いたときに、逆上した彼が「罰が下る」と書いたことを、僕は妙に鮮明に記憶していたのであった。

それからしばらくして、木根尚登という人が熱心な創価学会員であるという話を聞いて、彼の「罰が下る」という言葉の意味が分かった。おそらく彼は「仏罰が下る」と書きたかったのであろう。この言葉は、創価学会員が自分達に批判的な意見に対して使う常套句である。つまりは、彼もまた熱心な創価学会員だったのだろうと思う。

誤解しないでいただきたいのだが、僕は何も創価学会だから何もかも悪だと言っているわけではない。社会との折り合いを付けて暮らしている創価学会員がいることを、僕も知らないわけではないからだ。僕が豊中・晴風荘に暮らしていた頃、隣に暮らしていた年配の女性は創価学会員で、一度だけ「聖教新聞を取ってくれないか」と来たことがあるけれど、それ以外は実によくしていただいた。そういう方も、いないわけではない。しかし、皆がそうだというわけでもない。社会においてしばしば耳目にし、僕も実際に目の当たりにしたことのあるトラブルが、そういう「社会と折り合いを付けられない」ものの存在を裏打ちしてしまっているのだ。

まあ、それでも、創価学会に関しては賛否両論あるところと言うべきなのかもしれない。しかし、標記の統一教会(世界基督教統一神霊協会)が反社会的存在である、ということに関しては、おそらくほとんど反論される方はおられないであろう。カトリック、というか、クリスチャンとしては実に迷惑な話なのだけど、未だに統一教会がキリスト教の一種であると思われている方がおられるようだが、統一教会はキリスト教ではない。ここは何が何でも強調しておかなければならぬ。

なにせ、統一教会の教義によると、文鮮明はキリストの生まれかわりなのだ、という。冗談ではない。僕等の知るキリストは、あんなに現世利益に塗れた存在では断じてない。文鮮明は、自らがキリストの実現し得なかった地上の理想の世界を実現する、と言っていたそうだけど、自分の息子をコカインの常用による心筋梗塞で死なせるような輩にそんなことを言われたかぁないのだ……と、まあ批判するとキリがないのだけど、大学というところに居たときには、僕の身近にもこの統一教会の気配があったのだ。

先の、端末室に入り浸っていた面々の話である。この面々というのが、下は学部の2年生位から上は院生まで、結構な幅があったのだけど、その中にひとり、電気系の学科に所属する大学院生がいた。この面々の根城になっていたのが、その電気系の学科に隣接した端末室と、理学部にある端末室だった(事実上24時間開放された状態だった)のだが、寮からの距離は前者の方がやや近い。そこで毎夜のことく過ごしているうちに、その院生と顔見知りになったのである。

あるとき、彼からメールが送られてきた。共同購入で、光磁気ディスクを買う計画があるのだけど乗りませんか? という内容だった。当時、まだ光磁気ディスクは普及する前だったのだが、僕等が使っていた NeXT には 5インチの光磁気ディスクドライブ(容量 256 MB)が付いていた。まだこの頃は、数百 MB もの容量のディスクを持ち歩くなど、普通の生活をしていたら考えもしなかった頃で、数千円という価格でそれを実現できるというのは、まさに夢のような話だった。当然、僕は二つ返事でこの話に乗ることにした。

それから一月程後だったろうか。端末室で、彼から光磁気ディスクを受け取った。丁度5インチの FDD のケース位の大きさ(そりゃそうだ、同じ5インチなんだから)で、厚さは1センチちょっと位だったろうか。このディスクはリード / ライトが非常に遅かったのだけど、ゴトゴト音を立てながら NeXT cube にこのディスクをマウント / イジェクトしているだけでも、何やら特別なものを掌中にしたような興奮を感じたものだ。

これが縁で、その院生(以下H氏と称す)と、オンラインでもオフラインでもちょこちょこ話をするようになったのだが、あるとき、H氏が1週間程姿を見せなかったことがあった。学会にはまだ少し早い時期だったので、どうしたのだろうか、と思っていたところに、

「ちょっと旅行に行っていました」

と、学内の電子ニュースに書き込まれていた。へー、俺なんかとても旅行に行く時間も金もないのに、そういう余裕のある人もいるものなんだなあ、と、そのときはそのまま納得していたのである。

ところが、そのうち妙なことに気がついた。H氏が左薬指に指輪を嵌めているのである。指輪といっても、普通の結婚指輪より妙にゴツい感じの、金色の指輪である。目敏い連中が、

「あー、Hさん、もしかして結婚したんですかぁ?」

とはやしたてると、H氏は笑うだけで、それ以上何も答えない。

「じゃあ、婚約したんですか?」

と水を向けてみたが、やはり笑ってそれ以上何も答えようとはしなかった。

そのうち、端末室で、顔見知りの学生から妙な話を聞いた。H氏が、デスクトップに女性の顔写真らしきものを貼り付けているというのである。当時……まだ Windows 95 の出現する前の話である……、僕等が使っていた NeXT の GUI システムでは、画像をデスクトップに置くこともできないわけではなかったけれど、ほーHさんもなかなか大胆じゃないですか……と、早速見物に行った。H氏が何か書きものをしているのを後ろから見てみると、確かに女性の顔らしきものが貼られている。しかし、解像度が今一つだったので、どんな感じなのかはっきりとはしなかった。他の学生達はその件で盛り上がっていたけれど、僕はあまりその話には深く踏み込まない方がいいような気がした。どうも、何か普通と違っているような気がする。あの指輪にしても、その妙に不鮮明な画像ファイルにしても、何か、何かが普通ではないような気がしていたのだ。

実は、その指輪がどんなものだったのか、検索で見つけることができた。こんな感じである:

http://p.twpl.jp/show/orig/UBgeW
僕の感じた違和感がどういうものだったか、皆さんにも伝わるのではないかと思う。

そのうち、ひょんなことから、僕はバンドを組むことになった。このバンドのドラム(ドラムだからD氏とでもしておくか)が、なんとH氏と同じ電気系の学科に所属しているという。あれ、じゃあHさんって知らない? 端末室でよく会うんだけど……と言うと、D氏は、ああ、はいはい、同じ研究室ですよ、と言う。

当時、僕等は箕面市の公民館(さすがに高級住宅街で有名なだけあって、簡単なレコーディングの設備も付いた十分な広さの練習スタジオが、なんと半日500円で借りられた)で練習をすることが多かったのだけど、練習の帰り、D氏のクルマの助手席で、ふとH氏の話になったのだった。すると、

「あのさあ、Thomas 君ってクリスチャンとか言ってたよねえ」
「え? ああ、そうそう。うちは祖父の代からのカトリックでね」
「カトリック? カトリックって、旧教のこと?」

えらく珍しい言葉を聞いたなあ、と思ったのだが、考えてみれば、キリスト教と縁のない人にしてみたら、まあそういうことになるのだろう、と思い、

「旧教……まあ、歴史の教科書とかにはそう載ってるねえ。そうそう、その旧教だよ」

すると、D氏は少し考えてから、

「じゃあ、Hさんとどうして知り合いなの?」
「え? ああ、ほら、NeXT 使う連中が、君の研究室の近くのあの端末室に集まってるだろ。あそこで会うことが度々あって、そのうち光磁気ディスクの共同購入とかで誘われて、それで、ね」

D氏は、クルマを路肩に寄せて停めた。そして、うーん、と、やや混乱したような表情で、

「…… Thomas 君は、Hさんの件を知らないんだね」

と言う。

「Hさんの件?」
「うん…… Thomas 君、Hさんが指輪してるの知らない?」
「ああ、知ってる知ってる、皆が結婚指輪かエンゲージリングか、って騒いでたんだけど、あの指輪、あまり見ない形だよね」
「……うん。あと、今年の8月末位に、1週間位休んでたのも知ってる?」
「ああ、そう言えば、旅行に行った、とか何とか」

D氏は溜息をついてから、こう話し始めた。

「Hさんってね、統一教会の信者なんだよ。今年の8月に旅行に行った、っていうのは、あれは合同結婚式に行ったんだって」

それを聞いた途端、それまで違和感を感じていたことに合点がいった。

「じゃあ、デスクトップに貼ってた女性の顔は……」
「うん、それはその合同結婚式で結婚した相手だろうね。ただし、結婚してから、しばらくは一緒に暮らせないとか何とか言ってたけど」

僕は、次にH氏と会ったときに、どんな顔をしたらいいんだろう、と、考え込んでしまった。

「……しかし、Thomas 君、本当に知らなかったの?」
「そりゃそうだよ、今ここで初めて聞いたんだから。それに、僕に対して宗教的に攻撃してくる、とか、布教しようとかいう風でもなかったしね」
「……まあ、そういうことでね。ほら、Hさん、D4 だろう? あれも、その件で揉めて学位論文が遅れてるらしいよ」
「なるほど……今、ようやく、全てが頭の中でつながったよ」

……その後、僕は別にH氏を遠ざけたわけでもないし、どちらかがどちらかを攻撃したということもなかったのだけど、彼とは疎遠になってしまった。今はどうしていることだろうか。

一説によると、合同結婚式で結ばれたカップルの8割が、その後壊れてしまうのだという。人と人の縁というものを、まるでブリーダーが犬を交配でもするように貶めてしまった結果がこれだ。幸せは、人が人にモノのように与えることなどできはしない。神を騙った、汚れたヒトが他人の幸福を無責任にも粗製濫造することが、どれ程罪深いことなのか。ここにこれ以上書くまでもなく、それは明らかなことであろう。

あの頃、僕は丁度プライベートでも色々あって、純粋な出会いとか恋とかいうものに飢えていた時期だった。そんな時期にこういうことを知ってしまい、何とも言えず哀しい気持ちになったことは、今でも鮮明に記憶している。文鮮明が死んだ、というニュースを聞いて、ふと、そんなことを思い出してしまったのだった。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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