難読文書

日頃からコンピュータを道具として使っているので、文書を電子化する必要が生ずることがしばしばあるのだけど、単語集のような本の巻末索引を電子化する必要が生じて、土曜日からちょこちょこと作業をしていた。

最近は「自炊」という言葉も定着して、本などを PDF 化する人も確実に増えている。そういう人だったら、そんなの OCR で楽勝じゃん、で終わりそうなのだけど、今回の索引はそうもいかなかったのだ。

そもそも、日本語と欧米系言語が混在している文書は、OCR で誤変換されることが少なくないのだけど、今回の文書の場合、まず欧米文字の部分に複数の書体が使用されていて、それに加えて発音記号まで(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛)書かれているのだ……土曜日に、試しに全てのページを 600 dpi の TIFF に変換して OCR をかけてみたけれど、いやーもう、何が何だか……というような状態であった。さあ、どうしよう。

まあ、こういうときには、手で入力できそうな量だったら、覚悟を決めて手で入力する方が速いのだろう。問題は、諦める閾値がどの辺りにあるのか、ということだけど……今回の文書は、エントリ数が千数百……うーむ、まあ、覚悟してやりますか。

ということで、がーっと入力する。こういうときには SKK は本当に便利で、英語と日本語の切り替えもスムースだし、誤変換に苛立たされることもない。しかし、まあ、数が数だから……昨日の午後の時間を一杯一杯使って、どうにかこうにか入力し仰せた。

さて、入力したこの文書を、どのような形式にしておこうか……手元では LibreOffice のフォーマットに変換してから、ソートをかけたりスペルチェックをかけたりする(まあ入力段階で既にチェックはかかっているのだが)。しかし、今回はこの文書を何人かの人に配布しなければならない。うーん……まあ、こういうときは Excel 2000 辺りの形式にしておいたら無難なのだろう、ということで、LibreOffice でエクスポートして、ファイルをメールで配布した。

しかしなあ……たとえば、最近は、子供の教科書を親がもう1冊づつ買って、自費で買った分を裁断して PDF 化する……なんてことがあるらしい。そういう人達は、どうやって記述の内容を電子化するのだろう? 英語の教科書なんて、今回の僕が扱った文書どころではない程に、OCR で処理し難いのではないかと思うのだが……それとも iPad で見られればそれでいい、って話なの? そういうのを電子化とは言わないように思えるのだけど……

反吐が出る

まあ、Twitter とか SNS のサービスとか facebook とか、世間には「つぶやく」メディアが数々あるけれど、地震や原発絡みで、さも自分はそういう事々の痛みに心を向けているのだ、と装っているらしき輩が最近目について仕方がない。

たとえば、先日、我が郷里茨城県で、原発事故が発生したと想定して、県内にあるバス等を総動員して県民を避難させることが可能かどうか、という試算が行われた。

【茨城】県内のバス総動員しても24万人どまり 東海第二原発 一斉避難は不可能

東海第二原発(東海村)の再稼働問題をめぐり、橋本昌知事は五日の県議会本会議で、同原発事故が発生した場合の避難について「県内のバスを総動員しても一回に二十四万人しか搬送できない」との試算を示した。三十キロ圏内の自治体の総人口は百六万人で、知事は「一斉に避難させることは不可能」と述べた。井手義弘氏(公明)の代表質問に答えた。

県によると、把握している県内の路線や通学、自家用等の全バス約七千台に平均定員の約三十四人を掛けて試算した。震災などの大災害時の混乱や道路損壊などを考慮すれば、県内各地から三十キロ圏内にバスが集まり、運び出すことも難しいとみられる。知事は「国が防災対策等、どう方針を示すか注目する」と加えた。

また井手氏は、原発の稼働は原則四十年と国が示したことを受け、三十三年経過した東海第二原発は稼働期間が残り少ないとして、その後の村の将来像も質問。知事は「これまでに蓄積した村の施設や優秀な研究者を生かし、つくば市とも連携して世界最大の巨大加速器を備えたスイスの欧州合同原子核研究所(セルン)のような科学拠点都市として発展することを期待する」と述べた。

(2012年3月6日, 東京新聞)

まあ、これは深刻な話である。現在、茨城県内には商業用原子炉は東海第二原発にある1基しかない。しかも首都圏に近く、常磐高速もあってクルマ交通の便が良い茨城県でこの状態である。他の都道府県においては、これより問題が深刻であることは言うまでもない。

しかし、これを読んだらしい輩の、こんなつぶやきがその直後に僕の目に入ったのだ:

逃げられないのか茨城。
……はぁ。たとえば愛知県辺りだとして、これがそんな他人事だと思っているのだろうか?繰り返しになるけれど、茨城県には商業用原子炉はたったひとつしかない。しかもその規模は小さい。隣の県、しかも東海地震の中心と目されているところに、あれだけの数・規模の商業用原子炉が集中しているところに住んでいて、どうしてこれを我が事として捉えられないのか。

まあ、僕には何となく分かるのだ。全て、事々は big brother の御旨のままだ、と、そこにどっかと胡座をかいて暮らしている人だからこそ、こんなことを平気で書き散らかせるのだ。他者が家族や人生の重みを負うて生きることに、ここまでの傍観者的なコメントを書いて何ら恥じずにいるのだ。論を重ねて研ぎ澄ますことと、論を無意味に混練した挙句に何もかもを混濁させることとの区別が付いていないのだ。

これは何度も書いていることだけど、僕は小学生の頃にビルの7階で宮城県沖地震に遭遇し、大学院生時代に活断層のすぐ横で阪神淡路大震災に遭遇した。今回の地震でも、親父はビルの上階に閉じ込められ、教会や知人宅は石塀が皆倒れ、そして(今まで書きたくなかったのだが今回はあえて書く)福島・相馬に住んでいた親戚はひどい目に遭っている。そう、僕の母方の親戚の一家族は相馬に住んでいたので、今回の件は全くもって他人事ではないのだ。だから、さもそれが分かっているかのような顔をして、ネットで情報を拾い、講演会等にちょろっと行った位で、自分は何もかも把握しているんだ、という顔で軽口をたたいている輩を見ると、正直言って殺意すら感ずる。

おまけに、ネットで情報を吟味することなく収集し、「つぶやい」て「拡散」する、なんてのは、有害だと言う他はない。一応「知ること」を生業とした人間として断言するけれど、我々に第一に必要なことは「知る」ことではない。何かをただ知っても、知ったことの価値を知り、取捨選択することができなければ、演繹的に未知の領域や未経験の事柄に踏み込むことなど出来はしないのだ。そういうことを欠いた浅はかな「知る」行為の結果を、我々は浅知恵という。

我々に第一に必要なことは「知る」こと以前に、「知らない」ことを知ることなのだ。闇を知らずして、そこを照らすことができるはずがない。我々が他者に誇れるのは、吟味されていない物量だけの知識を披瀝することでも、それを蓄積しようと遮二無二あがくことでもない。まず、己の内面に問いかけることなのだ。自分は知らないのではないか、と。僕の経験則として、その抑制を感じられない輩は、知の領域において百害あって一利もない、ただの迷惑な存在でしかありえないのだ。

愛知県というところに住んでいると、本当に厭になる程感ずることだけど、東海地震に備えよ、という話がされるようになってから数十年が経過して、今回の地震に関して、比喩ではなく「明日は我が身」なのにも関わらず、まるで他人事みたいに、日常会話のネタのように軽口を叩いている人々を、僕は彼らの他に知らない。僕が住み出した頃の大阪は、地震の話をしてもピンとこない、という人が多かったけれど、あの阪神淡路大震災でそれもすっかり変わってしまった。もう、そんな寝呆けた連中が大手を振っているのは、この辺位しかないのではないか。

あいたが、という言葉があるけれど、この土地で、僕はこの言葉を一度も耳にしたことがない。僕の郷里の水戸はもともと武家の町だったせいか、僕は幼い頃から、僕を可愛がってくれた爺様達や親父から、聞くともなく聞いて育ったのだけど、名古屋とかって、同じ武家社会の土地じゃなかったのかね?僕がこの土地で聞いたのは、

「東海地震? ああ、どうせ来ないから(笑)」

なんて軽口だけなのだけど。

無神経

今日は、これを読まれている皆さんも、各々、色々なことを考えられたことだろうと思う。丁度一年前の今日、あの東日本大震災が起きたのだった。

しかし、僕は、今日というこの日に、厭な気分にさせられることが二つもあった。まずひとつは、今日「名古屋ウイメンズマラソン」が開催された、ということだ。まあ、交通規制等の都合もあって、なかなか後から開催日をずらし難いのは分かるのだけど、せめて今日位は何とかならなかったのだろうか。

もちろん、今日という一日だけかしこまっていたって、地震や津波の被害……それは一年前の被害も、そして来たるべき東海・東南海地震で予想される被害に対してもであるのだが……を本当に思い遣っていることになるわけではない、という主張は、僕ももっともだと思う。しかし、だ。今日のような日に、あの地震に、津波に、そして原発事故に、心をを向けずして、ではいつ心を向けるのだ、とも思うわけで、そういう意味では、せめて一週間ずらすとか、スタート前に皆で黙祷するとか、少しはやり様があったのではないか、と言いたいのだ。

そして、僕の所属教会。9時半から、東日本大震災追悼ミサを行った、そこまではいいとして、その後、教会建立50周年式典とパーティーを、よりによって午後2時46分をまたいで挙行する、というのは、これはどういうことなのか。せめて、朝9時半から記念式典をやって、午後の時間を追悼ミサにして、あの時刻に皆で黙祷をすべきだったのじゃないか。こういう時に祈ることもできないで、何がカトリックだというのか。呆れて言葉も出てこない。

え、僕はどうしたか、って? 当然、そんな記念式典はボイコットして、家で政府の追悼式典の中継をつけて、一緒にあの時刻に黙祷していましたよ。当然でしょう。それにしても、この地方の連中の無神経さには、ほとほと嫌気がさしているのだ。これで自分達が地震で被害にあったら、きっと自分達が世界で初めて震災被害に遭ったんだ、みたいな顔をするに違いない。本当に、本当に厭になるのだ。

眼鏡完成

日曜の夜、電話がかかってきた。眼鏡ができたので、いつでも取りに来て下さい、というのだが……おいおい、3週間かかるんじゃなかったのかね、と言いたいところを大人の我慢で、では今週中にそちらに伺いますので……と言って電話を切ったのだった。

で、昨夜に取りに行った。「いやーお客様、フレームはこのままでぴったりですよ」本当かぁ? と思いつつも、面倒なのでそのまま帰ってきた。保証書を見ると、どんなレンズを入れたのか分かるはずなんだが……と見ると「ハイライト 70」の文字が。

こういうのは最近はすぐ分かるわけで、これは東海光学の「ハイライト70」というレンズである。同社のラインナップを見ると、ガラス単焦点レンズのラインナップ4種類のうち、下から二番目のグレードで、ガラスの屈折率が 1.705(僕の度数でガラスなら 1.8 以上の高屈折率ガラスを使うことが多い……まあこれでも、プラスチックで「超高屈折率」とうたっているものと同程度なんだけど)、しかも球面レンズ(僕の度数だと視野の歪み等の問題が出るので、非球面レンズを使うことが多いんだが)……はー、なるほど。そういう扱いをされるんですか。

まあでも、フレーム(これはどこだろう……中国か、韓国か、それとも国産か)はそこそこちゃんとしているんじゃないの……と検索してみると、なになに、素材はステンレスだぁ? はぁ……僕は金属アレルギーはほとんどないので大丈夫だと思うけれど、Ni アレルギーの人だったら問題なんじゃないのかねぇ。

まぁ、文句たらたら、のように思われそうだけど、せっかく買ったので、せいぜい大切に使っていくつもりだ。とにかく、今迄使っていたレンズが、コーティングは剥げ剥げだし傷はあるし、で、とにかく目に負担がかかってどうしようもなかったので、それに比べたらこのレンズでも雲泥の差なのである。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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