実に久々に
alternative に加筆。衝撃の事実が判明したので。alternative についてご存知で、URL や ID, パスワードをお忘れの方は私まで、メールか facebook 辺りでご連絡下さいな。
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某コメントのおかげで、SKK のソース取得を全面的に git ベースに切り替えた。辞書に関しては、Open Lab の FTP サーバから wget で落とすようにしてあるのだけど、まあこれもサーバの様子をみて、変えられる状況になったら変えるつもりでいる。
それはそうと、先週末からどうも風邪をひいたようだ。年に1、2度、鼻の調子がおかしくなって、その炎症が鼻から喉へと降りてくるようにして風邪になることがあるのだけど、今回もそういう感じである。いやあ、参った。とりあえず総合感冒薬を対症療法に、トローチで喉や口腔内の殺菌、という感じで対処する。他に手がないものねえ。
スタバを使うようになったのは、当然大阪に住んでいる頃だった。当時は出張で空港を通ることがとにかく多くて、その度に伊丹や関空のスタバには世話になったものである。当時はまだ、メニューにエスプレッソ・コンパナも掲載されていて、朝の出発で眠たいときには重宝していたものだ。
しかし時代は、そして社会は変容するものである。当時はちょっと「イケてる感」があった(僕がそれを希求していたわけではないんだが)スタバが、いつの間にか若者の為の場所、みたいな扱いになって、気付いてみたら、高校生や大学生の勉強スペース、ということになっているらしい。
そういう状況に違和感を感じまくっている Thomas が、どんな風にスタバを利用しているか、というとだ……
まああと、スタバには無料の(けれど unsecured だってことは皆意識しないものらしい)Wi-Fi があるので、これを使うために来る、というのもあるわけだ。でも、僕が普段使っているのは Debian GNU/Linux に XFce4 だから、得体の知れないデスクトップを開いて、bash にガシガシ何か打ち込んでいると、これまた気味悪がられてしまうわけだ。
嗚呼、どうしてこの国は、いや、この地はこうも横並びを求めるんだろう。他人が自分と同じだと安心する、なら分かるけれど、他人が自分と違うと、どうしてそうも異邦人扱いするんだろう。意識していないのかな。いいじゃん、僕があなたと違っていたって。興味があるなら、へーそれ何使ってるんですか、とか訊けばいいじゃん。訊きもせず、放置もせずに、異物扱いするのだけは、どうかやめてもらいたいんだけどなあ。ほら、この辺りには、異物扱いされない異物がそこら中に転がっているじゃない。勉強するフリしてる学生とか、スタバに来たら甘いもの頼まなきゃならない、って強迫観念に酔ってる奴とかさ。
知っている人は皆知っているけれど、僕の名前は「
思えば、小学校の頃から、何かで賞状を貰う度、卒業証書を貰う度、名前の横には鉛筆でルビがふられていたものだ。貰うとまずそれを消しゴムで消すわけだ。生まれて初めて、何もなしで僕の名前を読んでくれたのは、何と阪大の総長だった。学位授与式でのことだったけれど、このときばかりは本当に嬉しかった。よりによって、この手の証書を貰うおそらく最後の機会に、ようやくちゃんと読んでもらえたのだから。
まあ、その話はどうでもいいんだけど、今回の話は、朝霞市で二年前に行方不明となり、つい先日中野区で保護された15歳の少女を連れ去り、監禁していたとされる寺内
「「かぶ」って読むんか…そりゃどこかねじれるわ。カブが車庫にたくさんある職場とは関係ないと思いたい」
もしこれが当たっているならば、おそらく僕の方が余程反社会的な生活をしていなければならないのだけど、一応これでも社会の中でちゃんと生きている、つもりである。それどころか、僕がこうやって生きていけるのは、おそらくは自分の名前のおかけだ、と思っているのである。
どういうことか。僕の名前を聞いた人は、皆それぞれにそれぞれの反応を示すわけだけど、それを見ていると、その人がどういう人かが実によく分かるのだ。特に、人としての浅さ、薄さとでもいうべきものは、実によく見てとれる。だから、僕は生まれながらに、人を見分ける試金石を持たされているようなものだ、と思っているのだ。
小学校の頃だったけど、読書感想文か何かで賞状を貰うことになって、学年集会で学年主任が僕に手渡すことになった。その学年主任は、壇上に上った僕の目前で、名前を読みながら、
「えーと、かんって読むのかな?」
と聞いた。たまたまその日の賞状にはルビがふられていなかったのだ。同級生達は、僕の名前のことを皆よく知っているわけで、この教師が読み間違えたのを見て皆で笑った。すると……この教師は烈火の如く怒り、こう言ったのだ。
「何だ君達!失礼じゃないか!」
はい、ダーウト。失礼なのは読み間違えたアンタの方だろうが。何逆ギレしてるんだよ。同級生に怒鳴る前に、俺に何故謝らない。結局は俺のことなんか何も考えていない。笑われたのが自分だということをよく分かっていて、いたたまれなくなっただけだろうが。なるほどねえ、この人はこういう風にするんだね……
ということで、難読名を持つと、むしろねじれないものだと思うんだよな。もしねじれるとすれば、名前をあげつらう連中の心ない言葉のせいだと思うし、上に引用したコメントをした奴も、確実にそれに加担しているのだ。アンタの言う通りだとするならば、そういうモンスターを生み出すことにアンタ自身が加担しているんだよ。
茨城県水戸市生まれ。
横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。
その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。
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