なべスパイラル

最近、標題の通りの状態である……と書いても、何のことやら分からないだろうけれど、要するに、鍋から抜け出せずに一日の食事が決まってしまう、ということを言いたいわけだ。

晩の食事を作るのが面倒で、手元に白菜と鶏の腿肉があると、ついつい鍋にしてしまう。これを食べ終えると、野菜と鶏のだしが程よく出たのが残るわけだけど、これを捨てるのも勿体無くて、先日年越しそばを食べるのに作っためんつゆ(かえしとかつおだしから自分で作ったものである)でちょいちょいと味を整えて、野菜をちょこっと入れてみると、なかなかにいい塩梅になる。ここに焼いた餅の二切れも入れればお雑煮の出来上がりで、これで朝昼兼用、とかしてしまう。するとちょうど空になった鍋が残るのだけど、これをきっちり洗って乾かして……というのが何となく面倒で、ついついそこに野菜と鶏肉を投入して鍋にしてしまう。で……振り出しに戻る、というわけだ。

始末が悪いのが、こうやっておくる食生活は至極バランスがよろしいのだ。快食快便(ビロウな話で申し訳ないけれど)だし、餅は腹持ちがよろしい。肉も野菜も、脂肪少なくがっつりといただける。かくしてますますこのなべスパイラルから抜け出せなくなっていくのだ。こまった。七草までには餅がなくなりそうなので、そこまではこのペースで続いてしまいそうだ。

聖体拝領時の騒ぎ

クリスマスイブのときもあったのだけど、今日の年始のミサに行ったときに、ちょっとした騒ぎがあった。聖体拝領のときに、従者の一人がある女性を血相変えて追いかけていき、こう咎めたのだ:

「あなた、洗礼受けてますか?聖体拝領できますか?」

で、何やらもめていたのだが、この女性、誰も彼もが聖体拝領できるわけではない、ということすら知らなかったようで、ホスチアの返却を求める従者に半ば逆ギレしつつ、ホスチアを返すとカツカツと音を立てて席に戻っていった。

先にも書いたのだけど、最近このような人を目にする機会が多くなったような印象を受ける。ここで誤解がないように明記しておきたいのだけど、

  • カトリックのミサにおける聖体拝領時には、一般の方はホスチアを貰うことはできません(許されていません)
  • ホスチアを貰えるのは、一般洗礼受洗者か、幼児洗礼などを受けた後に初聖体を受けた人に限られます
……しかし、こんなことも通らない世の中になったのだろうか。何とも困ったものである。

そう言えば、最近は mixi などでも見かけるのだけど、熱心な信者を自称していながら受洗していない人、というのが少なからず存在するらしい。僕が mixi のカトリックのコミュニティをやめた理由が、この手の輩が妙にプライド高く「自分は幼児洗礼を受けた人より篤い信仰を持っている」などと主張するのがうざったくてならなかったからなのだけど、今回の女性もどうもそういう感じに見受けられたのだ。篤い信仰を持っていながらなぜ受洗できないのか、僕には不思議で不思議でならないのだけど、少なくともルールは守っていただかなければ困る。

聖体拝領の前後の司祭や助祭の所作を見ていれば自ずと分かることなのだけど、一旦祝福されたホスチアは、カトリックにとっては「キリストのからだ」なので、かけら一つたりともおろそかにすることはない。ワインの中にわずかなかけらですら払い込んで、かき混ぜて飲んでしまう。これはケチ臭いからではなくて、たとえるならば仏舎利のように、かけらですらキリストのからだの一部として、大切に扱うためである。これが分からない人には、聖体拝領のかたちだけを真似ても何の意味もないし、それはキリスト教における信仰の極めて大事な部分に関して理解していないことに等しい。だから、そういう人は聖体拝領をしてはいけないのだけど……そういう人の中に、かたちだけやればお恵みがいただける、などと不遜なことを考える輩が存在するのが、どうにも不快でならない。こちとら、ごっこ遊びでミサやってるんじゃないんだから、少しは知るべきことを知ってもらいたいものだけど……

年越しの準備

いくら僕でも年越しの準備位はする。僕は神道ではないので、家を掃除するとか門松を飾るとかいうことには縁が無いのだけど、まぁ一人でも少しは楽しめるように、ちょこちょこと作業をするわけである。

今朝は、年越しそばの準備をしていなかったことを思い出して、汁を作っていた。市販の汁が嫌いな僕としては、そばを家で食べる以上、これ位のことはしなければならぬ。

醤油……今回は和歌山の湯浅醤油を使用……100 cc にみりんを大匙2、砂糖……今回はきび糖を使ったが、あればざらめを使うことをお薦めする……を大匙2強加えて、よくかき混ぜながら火に当てて、沸騰直前で止める。これをゆっくり冷ませば(やぶなんかだと一週間以上熟成させるそうだけど)いわゆる「かえし」ができる。ここに、強火で煮立ててとったかつおだし(できれば分厚く削った鰹節を「え、もったいない!」と思うくらい使うと言うことはない)を、かえし:だし = 1 : 3 の割合で加えて、そのままビンにつめて出来上がり。今夜食べるのに、即席で作る分には間に合う(いや、寝かせる時間を確保すればこのままのレシピで店でも出せるのだけど)。

そばは乾麺の十割を毎年使っている。有名で人がおしかける蕎麦屋に限って、持ち帰りのそばは手抜きがちになるし、そもそもそういう意味で愛知県の店自体が信用できないので、僕は決して愛知県では生そばは買わない。まぁこんなことを書いているとグルメかとか言われそうだけど、金がそんなにかかるわけでもないし、皆さんにもぜひこのような年越しそばをお薦めしたい。

ある人格障害者とヘタレ教会の記録(まとめ・後日譚)

以前、fugenji.org の復旧前に書いたのだけど、去年のクリスマスから今年のイースターにかけてあったことをまとめた文書がある。その名も『ある人格障害者とヘタレ教会の記録』:

というものなのだが、これに関して続報が入った。本当に嫌な話なのだけど、こんな話を抱えてクリスマスを迎えるのも嫌だし、今年のクリスマスにも上のリンク先で書いたような騒ぎが起きない保証がないので、ここに後日譚を書き添えておくことにしよう。

上の文書で登場する問題人物 Q だが、教会でボランティアに関わっている A 女史がわざわざ大阪の修道院に紹介して、そこで暮らすようになった。この A 女史は、Q の問題を全く理解しようとせず(理解していなかったとは言えないだろう……正確に言うなら、すぐそこにあった事物を観て見ぬふりをしていたのだから)、Q のシンパ(信じがたいことだが、教会に今でもこういうシンパが複数存在する……彼らは Q の「U に『塩酸を浴びせるぞ』と脅された」という言葉を何の疑いも無く頭から信じ込んでいるらしい)の一員として Q をこの修道院に紹介したのだ。

で、数日前のことだが、U のところに A 女史から電話がかかってきた。U は、自らに対する誹謗中傷に対しても「私の評価は私の行動でなされるのだから、臆するところは何もない」と無視を決め込んでいたので、A 女史の電話にも普通どおりに応対したのだそうだが、A 女史は、言いにくそうに U への謝罪を口にしたのだという。

「ごめんなさい…… U さんの言うとおりだった」

まぁ今更何をどう言っても仕方の無いことだろう、と U はクールに応対したのだそうだが、A 女史の話によると、前述の大阪の修道院は、西成の人達に炊き出しをしているのだという。で、いつものように炊き出しに出かけようとして、ニューカマーの Q に声をかけたところ、

「私は炊き出しをするために来たのではない」

と言って拒絶したのだ、という。何言ってるの、皆でこういうことをやっているのは分かるでしょう、とシスター達が言うのに、Q はこう反論したのだそうだ:

「私は名古屋教区で一番レベルの高い教育を受けた。名古屋の某 NPO 法人の理事のオファーがあったのを蹴ってここに来ているんだ」

これ式で、炊き出し(これはこの修道院にいる以上はしなければならない「仕事」なのだが)も、何か勉強会にでも参加したらどうか、というアドバイスも、すべて拒絶したのだという。修道院では、ただいるだけで何もしない Q を持て余し、早々にお引き取り願ったのだ、という。この話を U から聞き、僕は絶句しそうになるのを何とか言葉を連ねて U に聞いた。

「……しかし、それでは Q は今どうしているわけ?」
「結局、その修道院を追い出されて、今はお好み焼き屋さんでバイトしているらしいよ」

しかし、そのお好み焼き屋さんも苦慮していることだろう。U に A 女史はこう言ったのだという。

「あの子(Q)ね、雑巾を絞ることもできないのよ……」

まあそりゃそうだろう。何せ第一次反抗期の辺りで止まっているんだから。A 女史は U にこう言ったのだという。

「私、あなた(U)がお手紙下さったとき、Q さんのことを知りもしないでこんなにひどく書いて、これでは名誉毀損なんじゃないか、と思っていました。けれど、本当に何も知らなかったのは私の方でした。あなたが『こんな危険がある』と書いていたこと、今は自分の危機として感じています。本当に申し訳ありませんでした。嫌な思いをさせました。ごめんなさい」

U は「私と同じめに遭わないと分からないと思っていましたし、とにかく今後はご注意下さいますよう」と応じたのだという。まあ、僕にしても U にしても、Q に関しては、もう正直係わり合いたくない、と思っているので、こちらが何かしてあげることもできないし、そもそもする義理もないのである。

今夜、僕と U は教会に行くわけだけど、今夜辺り、もしかしたら教会に Q が姿を現わしやしないか、という話をしている。まぁ、今度はもう、あの人格障害者の思うようにはならないだろうし、何かすれば何かしただけ、Q が世界に感じている痛みは増すばかりなのだけど。つくづく、受洗しようが受堅しようが、救われないものは救われないものであるし、この言葉に当事者やその周辺の人々がもし反感を感じるならば、問われるべきは「そんな洗礼に、そんな堅信に誰がした」のか、ということなのだ。どこに罪があるかって、そもそもそこにあるわけだし、その罪を犯した人々は未だにその罪を悔いていない…… A 女史は尻に火がついてようやく少しは分かったようだけど……のだから。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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