そして、また、酒を飲む

公私共に、この数年間実に色々なことがあって、それまで足繁く行っていたバーから足が遠退いていた。それを心配していて下さったのが、バーリーのI氏だった。毎年年賀状に、どうしているんだ、大丈夫か、と書いているのを目にして、ああ無沙汰をしてしまっている、と思いつつも、敷居が高い、という感じで行けずにいたのだった。

しかし、いつまでもこんな無沙汰をしているわけにはいかない。そう思って、昨年の暮れ、ついにバーリーに赴いた。つもる話に、気がついてみたら明け方手前の時間で、I氏にクルマに乗せてもらい(誤解なきよう強調しておくが、I氏は仕事中は飲まない……彼は手持ちの酒だったらおそらく 100 % ノージングだけでチェックできるので)帰路についたのだった。

ちなみに、僕が無沙汰をしている(&していた)リスト、とでもいうものを下に挙げておこう。

他にもBar Neatとかホテルバー(エストマーレとかFONTANA DI TREVIとか)まあ色々あるんだが、とりあえず僕はark BARに関してはあまり積極的にはお薦めしない。銀座テンダーばりのハードシェイク、フレーク盛り盛りのカクテルは、見栄として以上の意味をあまり感じないからだ。そうそう、いつだったか、ここで一杯目にジンリッキーを頼んだら、横にいる客に聞こえよがしに「へー、ここで一杯目にジンリッキーだってぇ」とか言われて笑われたことがあったなあ。一杯目にジンリッキーを頼む、ということの意味も分からぬ馬鹿な自称スノッブが居着いている店が、少しは変わっていてくれれば良いんだが……そうそう、そして上に挙げていないStand Bar、ご存知の方もおありかもしれないが、こここそスノッブを気取りたい連中(そして彼らは良きスノッブですらないのだが)が屯しているので、未来永劫行く気もないし、他人に薦めることもしない。僕の主観で言うならば、ここはクソだ。僕がバーに関して悪いことを書くことは今迄もまず滅多になかったので、その僕がそう書くということでご理解いただきたい。

まあ、そんなことはどうでも良い。僕が特に無沙汰の為に敷居を高くしてしまっていたのが、名古屋で飲むようになって間もなくからずっと世話になっていたBar Barns、そしてYoshino Barで修行したT氏が満を持して独立したBar Kreisなのだ。聞くと、Barns は最近それはそれは繁盛していて、予約を取らないと飲みに行けないとのこと。では……ということで、T氏の Kreis に行ったわけだ。

一目でお互い分かったわけだけど、積もる話をするにはちと時間が遅過ぎた。店は繁盛しているのだ……僕は SMWS のボトルの中身をニートで数十分かけて飲み、上海を作ってもらい(このオールドスタイルのカクテルを作るのに必要なアニゼットを置いている店は最近どんどん少なくなっている……)、店を出た。彼はバリバリ最前線で働いている。うん。彼ならば当然だ。彼が芳野バーを任されたときから、彼がきっちり仕事をする人だということはよく分かっている。そう言えば、あのビルの電源が落ちて、一緒に懐中電灯持って原因探しをしたりしたこともあったっけ。その彼がオーナーバーテンダーになったのは、むしろ遅過ぎる位のことだったのだ。

そして、刈谷時代からの酒飲みとしての知り合いであったF氏の finch に行く。ここでも色々積もる話をしたのだった。今度は Barns に、予約をして行かなければ。H氏だけでない。O氏にもI氏にも、あまりに無沙汰をし過ぎているのだから。

耳だけの天国

カトリックのミサでは、司式を担う神父の説教がある。プロテスタントの牧師の説教みたいにパワフルな口調で行われることはほぼないわけだけど、いやいやどうして、なかなか聞いた甲斐のある話を聞けるものなのである。

僕の所属教会にF神父という司祭がいる。彼はフィリピン人なのだけど、カトリックの司祭だから、その地の言葉でちゃんと説教をする。訥々とした口調であるが故に、どきりとさせられることがあるのだ。先日の説教で、こんな話を聞いたのである。

ある人が亡くなって、その人は生前の行いが清いものだったので天に上げられた。その人が天の入口に着くと、天使が彼を案内して、門にあたる建物の中に通された。すると、そこの壁には一面に箱のようなものがしつらえてある。

「これは何ですか?」

彼が天使に聞くと、天使はその箱の一つを開けた。中には耳が入っている。

「全部、ここにある箱には耳が入っています」

と、天使は言う。彼が理由を尋ねると、天使は溜息をつきながらこう言った。

「この耳の持ち主達は、有り難い教えを、たくさんたくさん聞いてきたのです。だけど、その教えは耳から先には入らなかった。だから、耳だけが天に上げられたのです」

ああ、確かに、僕の所属教会にも、こいつは耳しか天国に入れないんだろうなあ、という輩がたくさんいるよなあ……いや、他人のことはさておき、自分自身はそうならないようにしたいものだ。

disinfection

通常は自転車通勤をしている僕なのだけど、あまりに颪が強かったり、雨が降りそうな空模様だったときには、バスで通勤することになるわけだ。しかし、このバスが曲者なのである。

職場に行くまでに、2本のバスを乗り継ぐ必要があるのだが、ひとつは極端に利用者が多い。利用者は僕同様通勤、あるいは通学に使用している人々、そして何より多いのがお年寄りである。

名古屋市は、福祉政策の一環として敬老パスなるものを交付している。これは、65歳以上のお年寄りを対象にしているもので、年間多くても五千円の負担で、市バスと地下鉄が乗り放題、というものである。まあ、運転の怪しい自家用車が減る上でも、この政策の恩恵を僕も間接的に享受していると思うのだけど、このパスのおかげで、名古屋市内の公的交通機関はお年寄りで溢れ返っているわけだ。

お年寄りに元来変な恨みなど持ち合わせてはいないつもりなのだけど、名古屋市のこの敬老パスでの利用者のマナーは概してよろしくない。群れる、騒ぐ、道を譲らない、並ばない……という、僕を苛立たせることの他にもう一つ問題があって、お年寄りの一定割合の人々は、マスクもせずに平気で車中でゲホゲホやらかしているのである。これが僕は怖くてたまらないのだ。

そして、もうひとつの路線は、大きな医療機関が沿線にあるので、いつも病気の方がバスに乗り合わせている。これはある意味仕方のないことだと思うのだが、やはりこれが僕は怖いのだ。

だから、いつからか、僕が職場に来たときに最初にやることは、洗面所のタオルを交換してから手を念入りに洗い、その後にうがいをすること、と決まってしまった。どんな風なのか、今日の場合を例に書いてみようと思う。

職場に着き、コートを脱いでから、まずタオルを交換する。これ用に自腹で買い溜めたタオルを置いているので、そのストックから1本取り出して、昨日のタオルと入れ替える。前日の帰り際にこれをしないのは、手を洗う直前にやりたいから、そして帰りのバスで僕自身が他人の感染源になってしまうことを防ぐためでもある。

それから、腕時計を外して、洗面所でぬるま湯を出して手と束子(このためだけに元祖亀の子束子1号を1個買って置いてあるのだ)を湿らせてから、泡タイプの手洗いフォームを出して、まず束子の毛が届く範囲内を念入りに擦る。束子はやり過ぎだ、と言われそうだけど、近所に手洗い用のナイロンブラシを売っていなかったのと、医師が手術前に手を洗う際にも昔は束子を使っていたというのを聞いたので、目下これを愛用している。

それから、指の谷間や親指の付け根の周囲、手首等、束子で洗い切れているか微妙なところを念入りに擦り合わせてから、ぬるま湯で完全に洗い流して、さっき交換したばかりのタオルで拭く。それから自分のマグカップにぬるま湯を満たしてうがいをする。マグカップなみなみ1杯分のぬるま湯でうがいを終えて、さあ、準備完了、仕事にとりかかる……というわけだ。

強調しておきたいのだが、僕は潔癖症ではない。むしろズボラな方なのである。しかし、職場の人間をそれに巻き込むようなことはしたくない。だから、これが習慣になっている、というだけのことなのだ。これだけやっても 100 % だと言えるかどうか分からないわけだけど、とりあえずこれでどうしようもなければ、それは他の誰がどうしたとしてもどうしようもないのだろう……と、納得することだけはできるのだろう。まあ、そういう程度のことに過ぎない。でも、これで手を抜いて、車中で病気を拾ったり、それを他の誰かに伝染させたら、と考えると、それは寝覚めの悪い話だろうと思う。だから今日も、「痛ぇな」と独り言ちながら、僕は手を洗っているのであった。

幸せな人

日々、生活していると、実に横暴な人に会うことがある。そういう横暴な人に限って、自分のしていることを棚に上げて、こちらが物申すと、まるで頭の上に人工衛星でも落ちてきたような顔をして、己に向けられたもので如何に自分が傷付けられたか、そしてそれが如何に理不尽なのかを一方的、かつ声高に主張する。

そういう手合いのことを、僕はこう表現することにしている:「世界は己のために存在しているのだと確信する人々」僕はそういうことを確信することなぞ到底できないものだから、時々そういう手合いに出会うと、ほんの少しだけだけど羨ましく思ったりもする。どうしたら、あんな風に、世界が自分の見えているものだけで存在していると確信できるのだろう。

先日、僕はこんなことをここに書いた:

しかし、この年末年始に、色々なことが僕の耳に入ってくる。なんでも某所で僕のことを面倒臭い人だ、とか言っている人がいて、ところが僕はその人に会ったことがただ一度しかないわけだ。アンタ俺の何を知っているんだっての。ユダの罪が神の意志によるものなんじゃないか、みたいなことを書いていたので「グノーシスもご存知ないのか」と指摘したら、何も反応が返ってこないと思ったら、そんなかたちで憂さを晴らしているわけね。いやー。アンタの方が余程面倒臭いし、それに有害だっての。いや本当、馬鹿だということも分からぬ馬鹿の有害なことよ。
そうしたら、当の本人がどうやらそれを読まれたらしい。「ひどいことが書かれている」と、わざわざ U にメールで連絡してきたそうな。

まず確認しておこう。ここに書かれていることは事実なんですよね。僕は当然だけど、ここに書かれたことの経緯が事実であることを確認した上でこれを書いているわけだ。僕が何か嘘を書いているとでも言うんだったら笑止千万というものだ。ここに書かれている「ひどいこと」は実際に言われたことで、それは僕があなたに言ったことではない。あなたが僕に対して言ったことなんだよね。それも僕の知らないところで。僕のことなど何も知らないのに。

そしてもう一つ確認しておかなければならない。被害者は誰なんですかね。それはあなたじゃない。僕なんだよ。陰口を、あなたが誰にどこで言っていたのか、その範囲は分からないけれど、まずはあなたが己の口さがない陰口を恥じるべきじゃないんですかね。繰り返すけれど、「恥を知れ」。

いやはや、それにしても、あなたは幸せな人だ。この世界があなたのためにだけ存在しているとでも思っているんだろう。それはあなたの勝手なのかもしれないけれど、それに他人を巻き込むのは勘弁してもらえませんかね。そして、これだけ言っても尚、自分が被害者だ、などと吹聴できるんですかね。あなたが加害者なんだよ。勘違いしないでいただきたい。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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