洗濯日和

今日は昼に雨が少し降ったが、洗濯するのにはこのチャンスしかないので、何度も洗濯機を回していた。

仕事で着る服も一切合財洗ってしまう。しかし、ポケットの裏地辺りに湿気の残り易いスラックス等も、2、3時間で乾いてしまう。夏は本当にこういうのが楽で良い。

しかし……職場の共用のタオル10枚近くを洗おうと思ったら、洗剤と柔軟剤(僕はダウニーの類は嫌いなのだが、適切な柔軟剤を使うことは洗濯の時間を短縮する上で重要なのだ)の残りがもうなくなりそうだ……今日は買い物に出るつもりだったから、買ってきてから夜に洗って干すことにしよう。そうしたって、明日の朝には確実に乾いているからね。

忙しいわ

忙しい。あまりに忙しくて、医者に行く暇も作れない。土曜に行くつもりだが、ダウンして行けないとちとまずいことになる。ああ、汗も止まらんし。これは床屋で項に毛がかからないように切ってしまわなければ治まりそうにない。一体何なんだ、この忙しさは。

おまけに明日は早く家を出なければならない。12時間以上、喋りっぱなしの動きっぱなしだ。何なんだ。しかもこういうときに限って仕事の関係の予定をころっころ変える人がいるし。ああもう厭だ厭だ。何かで言ってみたいよなあ。それ僕出来ませーん、とかさ。いや本当、どうしてあれもこれもこういうことになるのか。はー。

日本人の誇り?

最初に断っておく。これから書くことに対して、僕のことをチョンとか何とか言ってくる馬鹿がいるかもしれないんだが、残念なことに、僕の本家は青森の豪農で、6、7代前まで家系図もしっかり存在している。だからはっきり言おう。朝鮮半島の民族に対して差別的なことを言っている人、あなたの家系は本当ににクリーンな日本人なのか? それをあなたはどうやって証明するんだ? できるんだったら、まずそこからやってもらいたい。僕だって、家系図の存在しない昔において、自分の家系に渡来人が入っていないと断言することなど、到底できはしないのだから。僕に出来ないことを出来るんだったら、さっさとやってもらいたいものだ。

さて。僕は「誇り」というものは極めて個人的なものだと思っている。たとえば、僕の「誇り」は、僕がどういう集団に所属しているか、ということなどで保証されるものではあり得ない。それは個としての僕が負っていかねばならないものだからだ。だから、僕はまあそれなりに色々負っているわけだ。

前に僕が、twitter で日の丸をアイコンに入れている連中のことを非難したとき、自分で何も負っていない連中が色々書き込んできたことがあったけれど、彼等の誰一人として、僕の「あなたはこの国の為に何をしてきたのか」という問に答えられなかった。黙っちゃったものねえ。僕はこの国のために、国民の血税を使って、それなりに色々やってきたわけだけど、まあそれは確かに僕の持つ「誇り」の一部になっているかもしれない。しかしそれは、心酔を以て僕に快楽を与えるものではない。むしろそれは、キリスト教徒の言うところの「十字架を負う」ような代物なのだ。

何故かって? 単純な話だ。「誇り」は与えられるものでも、他者に保証されるものでもないからだ。それは自らが個人として獲得し、他者にあかしするものだからだ。その義務を果たしていなければ、その「誇り」を我がものにする資格など、その人にありはしないのだ。

だから僕は、日本人の誇り、という言葉を軽々に口にする人々に問いたい。あなたは何を以てそれを主張するのか。あなたは日本人の誇りを負っているのか。あなたの何が、日本人の誇りの一部として、それを主張するに足る存在となっているのか。これに対して、客観的な視点を満足するだけの答を用意できないならば、あなたにそれを主張する資格はない。あなたがそれを身に纏う資格もない。あなたは他の日本人の支える誇りに寄生している、醜い存在に過ぎないのだ。それを思い知る必要がある。最近の自称日本人は「虎の威を借る狐」という言葉も知らないらしいが、狐どころか、アンタは汚ならしい寄生虫なんだよ。

そういうことにしたいのですね

先日も、日記で質問者に対して書いたばかりだが、今日もそういう話を書く。どうも、厭なめにあうことが多いもので。

何事か人に質問されることの多い立場に、この何十年か身を置いているわけだけど、質問者というのにも色々いる。前回の『質問は何のために』に書いたような手合いもいたりするわけだけど、これに限らず、問題があるな、と感じる質問者に共通しているのは、何事かを前に進めるために質問しているのではなく、彼もしくは彼女が「安心したいから」質問してくるらしい、ということである。

たとえば、最近多いパターンなのだが、漠然とした質問をしてきて、「一体何がしたいんだアンタは」と思いながら、その質問の意図するところを訊き出そうとしていると、「やっぱり無理なんですね」という言葉を返してくる。回答のために他人を動かしておいて、それを後目に、どうしてそういうことが言えるのだろう、と思うわけだが、向こうさんはそういうことは欠片程も考えていないらしい。悪意はないのかもしれないが、自分ができないかと思っていることが無理なのだ、と安心したいがために動かされる方はたまったものではないのだ。

あと、これも多いパターンなのだが、訊きたいことをまとめることのできない人というのが大変に多い。何かひとつ質問する→答える→「じゃあこっちは」と質問→答える→何が訊きたいのか分からずに訊き返す→「実は……」という話が返ってくる……まあ、こういう状況になるわけだ。

何か分からないことがあるときに、本気でそれをどうにかしたいのだったら、どこまで出来てどこから出来ないのか、とか、それ以前に何をどうしたいのか、とか、頭の中でも紙の上でもいいけれど、まず整理するものだろうと思う。しかし、この手の質問者達はまずそういうことをしている気配がない。要するに、「これは無理だね」という答が出てくることを期待しているから、手近の順に質問を投げてくるのではないか。そう思えてならないのだ。

どうにかしたい、と思っていないんだったら、最初から諦めて指を咥えていればいい。それに他人を巻き込むなんて、傲慢の極みだと僕は思う。他人の時間や手間を奪っているのだから、それに応えるだけの何かにつなげてほしいと思うのだ。別にそれが回答者に直結する利益につながらなくてもいい。回答者は、回答によって誰かがより良い状態になることにボランティアとして手を貸しているのだ。だから、質問者はその期待に応え切れなくてもいいけれど、裏切ったり無駄にしたりするのは、勘弁してもらいたい、と僕は思うのだけれど。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(902)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address