作曲法ねえ

音楽の話になって、自分で曲を書いて演奏して……というのが趣味(これも世間で言う趣味と同じなのかどうか何とも分からないのだけど)だ、と話すと、多くの人が、

「えー、すごいですねえ。曲って、どうやって書くんですか?」

と聞いてくる。実は、この質問ほど答えにくい質問はなくて、この質問に答えるのが面倒だから、音楽の趣味の話をしないことさえあるのだけど……こういう質問にどう答えたらいいのか、今でも本当に悩まされる。

たとえば、何か一曲書こうと思ったとして、そういうときにどうするか……うーん。僕の場合は、手にギターを持つことが多い。鍵盤も使う(というか、ある段階以上になったら鍵盤がないときついかもしれない)のだけど、場合によっては、何も持たずに曲を書くこともある。

じゃあなんでギターを持つんだ?と聞かれそうだけど、もちろんコード進行とかオブリガードとかを確かめるのに使うんだけど、リズムパターンを考えるときにもギターがあると便利だからだ。最初にあるコード進行があって、じゃあこのヴォイシングからこのヴォイシングとして、リズムパターンは……と、その場でカッティングなんかして、ああこのパターンかな、などと考えをまとめていくわけだ。だから、ギターにせよ鍵盤にせよ、あれば便利なんだけど、なければ曲が書けないというものでもない。むしろ、集中しているときに楽器に触ると、その楽器の奏法が発想の縛りになってしまうので、そういうときは手には何も持っていない。

職業作曲家、それもオーケストラ向けの曲を数多く書く人なんかはどうしてるんだろう、と思って、"Musicman's RELAY"なんてのをネット上で見つけて読んでいたら、かの服部克久氏が同じようなことを言われていた。以下、該当箇所を引用する:

●まぁ、普通の音楽教育を学校に任せて、身近な音楽教育はなかったということですかね…。 そういえば服部先生は作曲を全部頭の中でピアノを弾かずになさるとか…これは先天性なものなんですか。

そうですよ。僕はそうしてますし…。親父はピアノ下手だったんで、あんまり弾かなかったかな。ピアノは横にありましたね。譜面向かって曲を書いてこっちに脇にピアノをおいて…ボロ〜ン♪とかってやって…確認のために弾いてたみたいですね。

●だいたいみんな頭の中に鳴ってるっていう…。

よく映画でね、バーッて弾きながらこう書くっていう…あれは嘘ですよ。あんなのしてたら先に進まないですよ。

●(笑)

ダーッて書いて「ここ大丈夫かな?」っていう時に、ちょっと確かめる。だいたいはそうやってやるんじゃないんですか。他の人が作曲してるところを見たことがないんでわかんないんだけど。

●オーケストラの譜面ですよね…何パートも全部頭の中にあるなんてすごいと思いますけどね。

うん。ただ譜面書くだけなら3年ぐらい勉強すればだれでもできるような話なんですよ。

コンセルヴァトワール出身の服部氏と、ほとんど独学で音楽をやっている僕とを比較するのには無理があるけれど、僕の場合でも、楽器や譜面にダイレクトに接していないと作曲できない、ということは、実はなかったりする。あくまで音の世界は頭の中で構築されて、それを確認するために楽器、記述するために譜面を使うけれど、楽器や譜面が世界を構築してくれるわけではないからだ。

そういえば、前に、何のテレビ番組だったかは忘れたけれど、職業作曲家に「作曲するときに何を使いますか?」というアンケートを取っていて、一位の「ピアノ」に次ぐ堂々の二位が「口三味線」だった、というのを観たことがある。一応曲を書く立場としては、これは実によく分かる話であった。

僕の場合、曲を書く上での最初のきっかけは、リズムパターンやコード進行の一節 (snippet) である。印象的な snippet が浮かんだら、譜面にメモっておくか、DAW でその一節のイメージを打ち込んでおく。余談だけど、IT 業界でも、ソースリストの「一節」(汎用性の高いルーチンとか)を code snippet とか、単に snippet とか称することがあるようだけど、意味はそれと全く一緒である。この snippet が、曲の中で印象的なフレーズとして機能するときは、これを hook と言う。まあとにかく、これが手をつける最初のポイントになるわけだ。

……と、ここまで書いてきて、「その snippet はどうやって作るんだ?」とかいう疑問を向けられるような気がしてきた。うーん。これは、こう、浮かぶんですよ。何か曲を聞いているときとか、音楽とは全く関係ないことをしていたりとか、人によってはクルマに乗ってるときとか。昔、まだ IC レコーダとかがなかった頃に、ミュージシャンは出先にいるときやクルマの運転中に snippet が浮かんだとき、家に電話する、という話があったけれど、これは家の留守電に吹き込んでおくというわけだ。曲をかかない方々も、でたらめな鼻歌とか唸っていると、きっとこういうフレーズが浮かんでくることがあると思う。

で、その snippet の前後を構成するものを考えつつ、曲全体の構想を組んでいく。これは、印象的な一言を出発点にして、短編の小説を書くようなもので、文章を書くのに漢字や文法が必要なように(というかその程度には)、和声学とか対位法とかリズムパターンの構築とか、まあそういうものは必要になっていく。これは、僕の場合は浴びるように大量の音楽を聴いていたという背景があって、その記憶に楽典で説明をつけていく、というようなかたちで学習したものを、自分のイメージに適用して書き進めていく……という感じだろうか。まあこれは、小説を読むのが好きだった人が、やがて自分も書くようになる、みたいなもので、自分としては極めて自然な行為なのだけど、段階的にこれを他者に伝えるというのは、どうにも難しいかもしれない。

こういう作業の結果、メロディとコード進行と簡単なリズムパターンの組み合わせができてくる。おそらく、世間で言う「作曲」はここまで、ということになるのだろう。その後は、全体の構成の中で聴く人をはっとさせるようなコード進行とかリズムパターンとかを改めて考える。場合によっては、最初考えていたのと全く違うリズムパターンになる可能性もあるし、必要に応じて、それらのパターンに合わせてメロディの方をいじることもある。この作業と並行して、DAW でリズムパターンを組んでいく。最初はドラムとベース、鍵盤辺りを組みながら、印象的な楽器(ホーンセクションとかストリングスとか)の旋律を決め、更にそれに合わせて他の部分をいじることもある。

……まあ、こうやって曲を作っていくわけなのだけど、結局、作曲・編曲・演奏は、作業としては不可分なものになっている。自分ひとりでやっていて、メロ譜や書き譜を書く必要もあまりないし(ベースのようにアレンジに大きな影響を与えるものの場合は、自分の演奏用に譜面を書くこともあるけど)、おそらく他人が見たら、何だか分からないうちに曲が出来上がっていくのかもしれない。そういう意味では、このような作曲は彫塑によく似ている。

石や木を掘り込んでいくのを横から見ていて、どうしてそこから動物や青年や裸婦や、あるいはガウディの建築物のようなものが出現するのか、これは「謎」のようにも思える。漱石の『夢十夜』の第六夜に、「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる」話というのがある。天衣無縫の体で木に埋もれた仁王を掘り出すがごとく彫る運慶を見て、自分も庭の裏に積んでいた薪を彫ってみるけれど、結局何も出てきませんでした、という話である。この話は、

自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋(うま)っていないものだと悟った。それで運慶が今日(きょう)まで生きている理由もほぼ解った。
と終わるのだけど、勿論木の中に仁王が隠されているわけではない。木塊という閉空間の中に他者が掘り出し得ない仁王を見、それを彫りだすのは、ひとえに運慶自身が木に何を投影し、どう鑿を振るうかにかかっている。運慶が今日まで生きている(その他者に代え難い存在が重く認知されている)のは、あの仁王が運慶でなければ彫れないからだ。僕のように「ささやかな」アートに取り組む人間であっても尚、一応は他人が作らない・作れないものを「かたち」にしているところは同じであって、その過程が他者にはどうにもよく分からない、というくだりも、よく似たものを感じるわけである。

さて……で、毎度おなじみニコニコ動画などでも、オリジナル曲を公開する人が増えている。増えている……のだけど、なんかこう、どうもぱっとしないのである。アクセス数などを見て、高い人気を誇るものを聴いてみても、あーこれいいなあ、と学ぶべきものを感じることはまずほとんどなく、毎度おなじみのコード進行やメロディに、味のない練り餌を喉に詰め込まれたような気分にさせられることがほとんどである。

こう感じるのば僕だけではないらしい。「音極道」で書かれて、後にニコニコ動画でも配信された『JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話』なんてのはその一例だけど、実際、最近の avex ものとかが、如何に automatic にこの「王道進行」とか、あとはいわゆるカノン進行(馬鹿の一つ覚え的に誤解している人がいるようなのでここに明記しておくけれど、「王道進行」と「カノン進行」は異なる進行形である)を用いていることか。そういうのが好きな人には、作曲というのは簡単なことに思えるのかもしれないけれど、まあそう安易なものではないんだよなあ。

遅れてやってきた幸運

僕は音楽制作に、年代物のオーディオインターフェースを使ってきた。これはTASCAM US-428というシロモノなのだけど、アナログ関連が結構しっかりしていて、Cubase のオペレーションに対して至極便利で、おまけに Linux 上からも簡単に使えるので、もう十年くらい(いや、それ以上かな?)、僕はこのインターフェースを使っている。

とはいえ、もう完全にメーカーも legacy 扱い(っていうかこういうのをまさに legacy って言うんだろうけど)の状態なので、可搬性があるオーディオインターフェースということで、TASCAM US-144を購入してあった。このインターフェースは USB 接続だけど、バスパワーで動作して、しかもファンタム電源まで付いている。音質は US-428 のそれを継承しているならば問題はあまりないだろう……ということで、衝動買いに近い勢いで買ってしまったのだが……実はつい最近まで、こいつは埃をかぶっていたのだ。勿論それには理由がある。

この US-144 を購入したとき、僕は音楽制作に使用している端末を Windows XP (32 bit) で動作させていた。この時点では、使用に際して何も問題は生じなかったのだが、メモリを 4G に増設するのにあわせて、OS を Windows Vista 64bit に更新したとたん、US-144 がまともに動作しなくなった。音がプチプチ切れて、CPU に異常な負荷がかかって、甚だしきに至っては blue screen で OS ごと落ちてしまう……これは僕が 64 bit Windows を使っていてほぼ唯一とも言えるトラブルだったのだけど、これには参った。だって、32 bit OS で動作させていたときには何も問題なかったんだぜ?

まあ、当然これはドライバに問題があるんだろう、ということで調べてみると、この US-144 のドライバはどうやらPloytec GmbHが作っているらしい。更に調べてみると、どうもここの 64 bit 版ドライバには USB コントローラに対するキッツーい相性問題があるらしく、僕の使っている Dell Inspiron 1501 の Ricoh 製 USB コントローラに対して、このドライバがちゃんと動作してくれない、ということらしいのだ。うーむ……丁度そのとき、僕は新しい曲の録音をしようとしていたところで、ドライバ問題を抱えて右往左往するより、もう使わないだろうと思っていた US-428 の 64 bit OS 上での使用を試す方が現実的だったのだ。で、恐る恐る US-428 の 64 bit ドライバを入れてみると、何のことはない、こちらは至極快適に動作する。これならもうこれでいってしまおう……ということで、僕は結構長い間 US-428 を使っていたわけだ。

で、最近、mixi の DTM 関連コミュニティにおいて、「32 bit OS と 64 bit OS、どちらがいいんだろう?」というような質問が頻発していた。そもそも DTM はメモリもたくさん使うわけだし、僕の US-144 のようにドライバで問題が生じるようなことがない限りは、こんなものは 64 bit に移行した方がいいに決まっている。しかしながら、32 bit OS しか使ったことのない人々が、ビギナーに「64 bit はダメですよ」みたいなことをしたり顔で教え込もうとするのを何度となく目にしたので、そのたびに、ドライバで不都合が生じなければ、そんなものは 64 bit の方がいいに決まってるじゃないか、という主張を(当然論拠を明示して)書いていたわけだ。

しかし、どうも喉にひっかかった骨のように、US-144 に関する問題が未解決のまま存在していた。うーん、どうしたものかなあ……と思いつつ、久々に TASCAM のサイトを覗いたら……あれ、ドライバが一気に ver.2 レベルまで up してるじゃないの?どういうこと?

僕も、US-144 がディスコンになったことや、その後継機種としてTASCAM US-144MK2というのがリリースされたということは知っていたのだが、US-122 と US-122L のときのような差異(この2機種は名前はそっくりなのだけど内部チップが違う…… ALSA 関連で USB オーディオインターフェースをいじっているとよくこの話を聞いたものだ)はなく、この後継機種の初期のドライバは US-144 用としてもリリースされている……ということらしい。早速そのドライバを入れてみると……おー、問題なく動作するじゃん!

かくして、サウンドインターフェースとして今僕は US-144 を使用している。ASIO の負荷が US-428 よりも高いような印象があるのだが、僕のように大規模な同録をしない(自分の歌かギター、ベースか、アウトボードのシンセを使うとき位だろう)場合は、これでもどうにかなるようだ……まあ、デスクトップ環境を整えたら、RME Fireface 400RME Fireface 800かのどちらかを入れるつもりなので、それまでのつなぎということになるわけだけど。遅れてやってきた幸運によって、僕はもうためらいなく 64 bit OS の導入を人に薦めることができるようになった。

【後記】US-144 でちょっと録音してみたけれど、よくよく考えてみたらこいつには ASIO ダイレクトモニタリングの機能がないのだった。その代わりに、インターフェース上でマニュアルで入力を返すように設定できるのだけど(まあ ASIO ダイレクトモニタリングも、これを DAW 上で実現しているわけだが)、うーん……せめてドライバでフォローしてくれればなあ。というわけで、結局家での環境は US-428 に戻すことになりそうな感じだ。

空間喪失

今年、2010年という年は、プロで音楽に携わっている人にとっては記憶に残る年なのかもしれない。というのも、ソニーがテープを用いたデジタルレコーディングシステムの保守を打ち切るのが今年なのである。

ロックに代表される、マルチチャンネルレコーディングの現場にデジタル化の波が押し寄せたのは、1980年代初頭のことだった。1978年に 3M 社が開発したデジタルレコーディングシステム(The Digital Audio Mastering System = DMS)が、今はなき田町駅前交差点のアルファスタジオに設置されたのだ。このシステムで、YMO や CASIOPEA(なんか時々指摘されることがあるから書き添えておくけれど、バンドのカシオペアは何故かこう書くことになってるんです……僕もさすがにギリシャ神話のカシオペアを Cassiopeia と書くこと位は知ってるのでね)がレコーディングを行っている。

このシステムは 16 bit 50 kHz のサンプリングレートで 32 ch. の録音が可能で、それをマスタリングするための 4 ch. のシステムも付随していた。音質に関しては、日本では主に YMO のファンが中心となってこれを酷評しているのだが、それは YMO 以外の音楽を知らないからなのだろう、としか僕には思えない。僕のような人間にとっては、何と言っても Donald Fagen の "The Nightfly" のレコーディングにこのシステムが使われた、ということが記憶に鮮明だし、実際、"The Nightfly" は多くのレコーディングエンジニアがリファレンスと位置づけているのだから。

ただし、この 3M のシステムは、やはり機械的には無理のあるものだったと言わざるを得ない。当時入手が比較的容易だった1インチ幅のビデオテープを媒体に使えるとはいえ、そのテープ走行速度は毎秒 45 インチ、つまり毎秒 114.3 センチというとんでもないものだった。ヘッドやキャプスタン等の消耗は当然激しい。そしてこのシステム、デジタルで重要になるエラー訂正に弱いところがあって、現場ではかなり神経を使わされるシロモノだったらしく、登場から数年で姿を消すこととなった。余談であるが、現在動作する 3M のシステムは世界中探してもほとんどない状態らしく、当時このシステムでレコーディングした音源を抱えている人々は大変困っているのだそうだ。

3M 以後のデジタルレコーディングシステムとしては、三菱が中心となって提唱したProDigiと、ソニーが提唱したDASHが登場した。ProDigi システムによる録音例としては、松任谷由実の "ALARM à la mode"(三菱の X-800 シリーズが用いられている)が挙げられるけれど、業界標準はソニーが一手に担うことになる。

今回、これを書くためにソニーのデジタルマルチに関して調べていたら、1979年には既に PCM-3224 なる 24 ch. デジタルマルチが存在していたらしいのだが、いわゆる業界標準の流れを形成したのは、1982年に発表された PCM-3324 である。この PCM-3324 で録音して、PCM-1610 でトラックダウンする、というのがソニーのシステムで、ソニー傘下での音源制作がこのシステムで完全デジタル化されたのが1984年のことらしい。しかし、当時のデジタルメディアは非常に評判が悪くて、その悪評が払拭されたのは1986年の PCM-1630、そして1989年の PCM-3348 の登場以降のことである。

当時は、デジタルの音はとにかく薄っぺらいとよく言われた。これは AD・DA 変換とフィルタの特性に問題があったことと、トラックダウン〜マスタリングの過程での音圧管理(音の強弱を、人間の聴感に対して美味しいところにもってくる処理)という概念が未発達だったことに起因している。実際、この問題が克服されてからは、アナログ 24 tr. でのレコーディングは激減したのだ。

そして、1990年代末辺りから DigiDesign の ProTools が普及すると、一台数千万もの価格で、毎秒 30 インチ(毎秒 76.2 センチ)のテープ走行速度で消耗品扱いのヘッドを定期的に交換する必要のある PCM-3348 は徐々に駆逐されていく。音質の問題から PCM-3348 を使い続けてきたミュージシャンも、冒頭に述べたソニーのサポート打ち切り予告の前に、ProTools に移行していった。そして今年……おそらく今年以降は、過去の音源のトランスファー以外に PCM-3348 が用いられることはなくなるわけだ。

今までの話が、一体表題と何の関係があるのか、と思われる方が多いかもしれないが、実はこの ProTools の普及に伴って感じられるようになったのが、音場における空間を感じさせるものが失われた、という感覚なのである。いやそんなの単なる懐古趣味でしょう?と言われるかもしれないが、勿論そんなつもりで言っているわけではない。

たとえば……今、僕の iTunes に入っている、中島愛(めぐみ)という人の楽曲を例に挙げよう。この人は『マクロス F』や『こばと。』等のアニメで有名な声優さんなのだそうだが、僕は別にアニメマニアではないのでそんなことはどうでもいい。この中島愛氏のシングル『ジェリーフィッシュの告白』に入っている二つの曲(特に2曲目の『陽のあたるへや』という曲)とアレンジ、そしてそれを手がけた宮川弾という人物に興味があるから入手したのだが、この『陽のあたるへや』という曲は宮川氏のピアノと弦(元 G-クレフの落合徹也氏が主宰する「弦一徹ストリングス」が弾いているらしい)、フルート、金管(おそらくチューバ)のベース、ティンパニとスネア(元シンバルズの矢野博康氏が叩いているらしい……ちなみに宮川弾氏はシンバルズの Vo. だった土岐麻子氏の元夫なのだそうで)、あとはマリンバ、かな……大体そんな辺りでオケが形成されている。

こういう編成だったら、弦の響きの面からも、少しライブな(反射音とか残響音を感じさせる)音場を形成する……というのが、僕の認識なのだけど、このオケが、実に見事なまでにべたーっとしている。弦も木管も、もう空間じゃない。面上に共存しているようにしか聞こえない。これはどういうわけなのだろうか。

実は、このような「空間喪失」とも言うべき現象は、ProTools でレコーディングが行われるようになってから特に指摘されるようになってきたものである。じゃあ ProTools が悪いのか……というと、実はそういうわけでもない。たとえば僕は Cubase(レコーディングの現場で用いられている ProTools HD よりは大分音質は悪いけれど)でデジタルレコーディングしているわけだけど、この間公開した『地球はメリー・ゴーランド』:

の coda (大体 2:30 以降の部分)を(できればヘッドフォンで)聴いてみていただけるとお分かりかと思うけれど、かなり空間的には深い感じを出している。勿論、単純にリバーブを深くかけるだけではこうはならなくて、色々小技をきかせる必要はあるのだけど、HD レコーディングで空間の感じが出なくなる、とよく言われるのは、どうも違うような気がする。

おそらく、諸悪の根源は、現在の音楽が圧縮フォーマットで聞かれる頻度が高いことにあるのではないか、というのが僕の印象である。実は上の『地球は……』も、手元の WAV ファイルと上のフラッシュ(これの音声部分は 320 kbps の CBR MP3 フォーマットである)では空間描写が大分変わってしまっている。本当はもっともっと音場は深いんだけど、MP3 で圧縮がかかると、この音場を描写するのに重要な、高音域の情報が間引きされてしまうのだ。

この音源はカバーとは言え自分の音源なので、遠慮することなく、該当 coda の部分を20秒位、WAV と MP3 で比較試聴できるようにしてみた。

上の WAV(44.1 kHz / 16 bit)と MP3(320 kbps CBR MP3, winlame で作成)をヘッドフォン等で聞き比べていただくと、この違いは分かりやすいかもしれない。

このような空間処理は、もともとレコーディングエンジニアにとっては腕の見せどころだったのだけど、最近はトラックダウンまで自力で行うミュージシャンが増えて、その辺の処理の技術が稚拙な上に、そこで頑張って空間描写をしても、MP3 とか AAC にされたらどうせこうなっちゃうんだから……という事情があって、先に指摘したような「空間喪失」現象が頻発しているのだろうと思う。これは、一音楽愛好者としても、音楽を作るアマチュアの一人としても、とにかく哀しいことなのだけど……

『地球はメリー・ゴーランド』

ようやく完全に open に書けるようになった。この何日かばたばたしていたのは、これを録音していたためである:

ガロというと、おそらく皆さん反射的に『学生街の喫茶店』を連想されるのではなかろうか。『学生街の……』は確かにガロのヒット曲ではあるけれど、この曲を書いたのは、古くはザ・タイガースの座付き作家として、僕より若い世代にはドラクエの音楽を作ったことで有名なすぎやまこういちが書いている。まあ確かに当時のヒット曲のロジックを踏襲して書かれているけれど、だからこそ時代の中に埋もれてしまっているのだろうと思う。

もともとガロは CS & N の影響を強く受けている(1971年の中津川フォーク・ジャンボリーで彼らは CS & N の "Judy Blue Eyes" や "You Don't Have to Cry" を演奏している)。だから3人がギターを弾き、3人で綺麗なコーラスを乗せて歌うのが身上で、それは後にアルフィー(後の THE ALFEE)に継承されている。曲も 1st にはいいものが多いのだが、やはり売れんがためであったのか、2nd はA面が全曲職業作家の作品、そしてB面はビートルズなどのカバーになっている。この 2nd アルバムに入っていたのが『学生街の喫茶店』で、もともとは『美しすぎて』という曲(今聴くと明らかにこちらの方が時代の経過に耐えている)のB面としてシングルに入っていたのが、この曲の人気が高くなったためにA面とB面がひっくり返された。

この『学生街の……』のせいで、ガロの運命はある意味で狂わされたのかもしれない。当時のライブ音源などを聴くと、女の子のキャー!という黄色い声が入っていて、明らかに彼らがアイドル視されていたことが窺える。その後、彼らは自作曲で構成されたアルバムを7枚目までリリースしたものの、『学生街の……』のイメージを払拭することができないまま、1976年3月に解散してしまう。メンバーの日高富明氏は、その後ハードロック路線に転向し、職業作家として稲垣潤一らに曲を書いたりしていたが、1986年9月20日に自宅近くのマンションから飛び降り、自らの命を絶った。

今回僕がカヴァーした『地球はメリー・ゴーランド』だが(「メリー・ゴー・ラウンド」じゃないの?と思われている方、原題がこうなので僕の一存では変更できないんですよ……ということで悪しからず)、これに関しては色々思い出がある。僕も、ガロと聞くと『学生街の……』を思い出す少年だったのだけど、10代の頃にラジオでこの曲を聴いて、衝撃を受けたのだった。調べてみると、『地球は……』のベースは山内テツ、レコーディングエンジニアは吉野金次だし、歌謡曲路線の 2nd でも細野晴臣と井上堯之-大野克夫人脈のミュージシャンが参加している。3rd 辺りからの時期は小原礼や高橋幸宏がツアーバンドに参加していたり、……まあ、プロデューサーがミッキー・カーチスなのはともかく、そんなわけで、彼らとその曲を「歌謡曲」の文脈で見るべきではない、ということを、調べるほどに思い知らされたのであった。

『地球は……』は先に言及した日高氏の作曲・歌唱、作詞は赤い鳥の『翼をください』の作詞者でもある山上健一氏、アレンジは東海林修氏(この人の作品で有名なものというと、やはり『笑点のテーマ』だろうか)である。原曲は東海林氏のストリングスとオーボエのアレンジが実に秀逸なのだけど、僕はあえてこのストリングスをハモンドオルガンに置き換えた。しかしなあ……これはちょっと無謀な取り組みだったかもしれない。カヴァーってのはオリジナルにどこかしらかで勝てなきゃやる意味がないような気がするんだが、これは随分と分の悪い勝負だものなぁ……まあ、お聴きいただいて、幾許かでも気に入っていただければ幸いである。

あと、メモ代わりに書いておくけれど、上の曲では編曲と、

  • Vocal
  • Background Vocal
  • Acoustic Guitar
  • 12 string Acoustic Guitar
  • Acoustic Piano
  • Hammond Organ
  • Fender Jazz Bass
  • Computer Programming (Drums)
……まあ全て自分でやっているのでこうなるわけだけど……を僕がやっている。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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