国会議員が Twitter を使用することに関して

『議員さん、何か勘違いしていませんか?』で書いたように、僕は国会議員の Twitter 使用に関しては懐疑的な立場である。それは「新しいものに馴染めない」からでも、「大きな可能性のあるメディアにケチをつけたい」からでもなく、純粋に理詰めで考えた(って、そう熟考するまでもないと思うのだけど)上での見解である。

そもそも、Twitter というメディアが independent なのか、という議論が世間では全く為されていない。ここに今更書くまでもないことだけど、Twitter はあくまで、Evan Williams という個人が立ち上げた、一私企業であるところのTwitter, Inc.が一元的、かつ独占的に運営しているサービスに過ぎない。所詮は商業原理や社会から independent なメディアではないわけだ。こう書くと、そんなことを言ったらネット自体プロバイダの持ち物だろう、とかいう脊髄反射的な反論が来そうだから書き添えておくと、今や net は拮抗する複数の法人や国家によって集合的に運営されるメディアであって、domestic なレベル(たとえば中国国内とか)では independent ではなくとも、世界レベルの透明性が担保される限りにおいては、少なくとも Twitter よりは余程 independent だといえるだろう。

そして、Twitter の商業展開における「売り」が何なのか、を考えると、ますます国会と Twitter との接点というのが怪しくなってくる。Twitter がこれほど流行っている理由は、Twitter が、本来人を同時性から解放するものである文字を使用して、ゆるやかな同時性の中で発言・コミュニケートするメディアである、という点にあると僕は考えているのだが、この「ゆるやかな同時性」というのがクセモノである。要するに、人は、たとえゆるやかであるにせよ、Twitter に「縛られる」ということを、この言葉は如実に表している。国会議員を、会議や委員会の最中に、国会議員としての義務である討議への参加(それがたとえオブザーバとしてのものであったとしても、いやしくも国民の血税を対価として得て関わっている以上、例外とはみなし難いであろう)「以外」のものに、Twitter は確実に「縛り付けて」いるのだ。昨日だったか、自民党の河野太郎議員がこうつぶやいているのが、何よりの証左ではないか:

オリンピックの身代金という本の中で主人公がヒロポン中毒になるんですが、ツィッターも似てます。

そして、Twitter の「ゆるやかさ」というか「ユルさ」が、公人としての発言にそぐわないという点もあるだろう。Twitter は、単一アカウントで複数の端末からつぶやくことを禁止していない。それどころか、現時点においては、いわゆる「なりすまし」に対して何も対策がされていない。もちろん、Twitter, Inc. も現在 Verified Account(日本語では「認証済みアカウント」)と呼ばれるサービスを提供しているが、これは実は現時点ではまだベータ版であるし、所詮はHTTPS (Hypertext Transfer Protocol over Secure Socket Layer)を併用したパスワード認証サービスに過ぎないのである。このことや、それに関する問題は Twitter, Inc. もちゃんと認めている。彼らのページにはこう書いてあるのだから:

この仕組みがあれば、われわれが知っているプロフィールのどれが「本物」で信頼できるかを、簡単に見極めることができます。これは、われわれがその人や存在と連絡を取り合い、プロフィールが確認されたものであることを表し、認証されたことを意味します。(これは、実際に誰がTwitterに書き込みをしているかを認証するものではありません
(傍線は筆者による)

このような、公人としてかなり厳密に求められる言責を負い難いメディアで公人がコメントを公開する、ということがどういうことなのか。それは要するに、自己情報管理(これはいわゆる「自己情報管理権」に関わる話ではなく、むしろ僕が十年以上前に書いた『自己情報管理とは』――『WWW ページでの個人情報公開について考える』中の一章―ーで示した方の概念である)が徹底できていない、ということを意味する。おそらく、国会議員の方々で、Twitter というメディアが持つこういう問題(それは決して欠陥ではなく、Twitter というメディアの持つ特徴であって、用途によっては全く問題とならないことも少なくないはずなのだが)とそこに内在するリスクを認識した上で使っている人は、ほとんどいないのではなかろうか。

十数年前に、僕は『WWW ページでの個人情報公開について考える』中にこう書いた:

以上から、改めて「(WWW における)自己情報管理」という概念をこう定義したいと思います。
情報発信者が自ら、その情報発信に伴って情報に関係する者に生じるリスクを把握し、それが最小限となるように、発信する情報ならびにその発信形態について管理すること
ですから、平たく言うと「(情報発信者としての)自己」が 情報を管理する、ということなのです。それは即ち自らの「自己情報管理権」を行使することであり、同時に、自分の近しい人々の「自己情報管理権」を尊重することでもあるのです。
ここでふれているような「自己情報管理」、つまり、主体として情報発信をコントロールする、という態度は、少なくとも Twitter を使用している国会議員諸氏の言行において、どうもどこにもないように思えて仕方がない。こんな情報公開を、国会議員が、公務の一環として、公費である文書通信交通滞在費の一部をあてて行うことが、果たして有意義な行為なのだろうか?どうも僕には、不思議に思えて仕方ないのである。

議員さん、何か勘違いしていませんか?

Twitter は面倒なのであまり使わなかったのだけど、Adobe AIRで動作するSpazというアプリケーションがなかなか秀逸なので、最近は覗いていることが多くなった。このところは結構政治家の Twit を覗いているのだけど、今日はちょっとあまりにあまりなことが二度程あって、普段は書かない Re @ を書いてしまった。

ひとつは民主党の蓮舫議員。まぁ事業仕分けの、特に自然科学関連の予算に関しての言行で、この人は歴史に名を残すことは確実だと思うけれど(名を残す、っていってもいいことばかりとは限りませんぜ)、今日は本当に呆れてしまった。

今日の昼過ぎだろうか。同じく民主党の馬淵澄夫議員がどうも Twitter を使い始めたらしい。まあそれは一向構わないのだけど、端末を何にするかというチャットをしばしした挙句に、蓮舫議員、何を思ったのかこんな発言をしていたのだ。

こんな感じで、凄く見やすいんですよ。と、エバンジェリストになってみる。普通の携帯の物より使いやすいし綺麗だし、慣れればタイピングも早いので今から携帯のには戻れません http://twitpic.com/zo7ky

いや……そもそも国会議員ってそんなに暇なんですか、という話になりそうだけど、それ以前に、蓮舫さん、あなたその iPhone の料金、どうやって払っているんですかね。で、僕がつぶやいたのはこんな調子。

文書通信交通滞在費でこんなやりとりされてるのかと思うと。QT @renho_sha RT @hakojima: @renho_sha こんな感じで、凄く見やすいんですよ。 と、エバンジェリストになってみる。 普通の携帯の物より使いやすいし綺麗だし、慣れればタイピングも早いので今
ちなみに国会議員の文書通信交通滞在費は月100万円。当然仕分けの対象にはなっていませんよね>@renho_sha
……まぁ蓮舫さん、どうせこういうつぶやきはシカトされているんでしょうけれど。

追記: その後、蓮舫議員が僕をブロックしているのを確認。やれやれ。国会議員で都合の悪いことを書かれてブロックしたのは、蓮舫さん、あなただけですよ?

で、夜になった頃、みんなの党の議員である柿沢未途氏がこうつぶやいた。

それにしても民主の若手議員のヤジはひどい。本会議、自民の反対討論は谷川弥一さんという年かさのベテラン議員だったが、「おめーらが悪いんだろ」とかとにかく口汚い。父親のような年代の先輩議員に息子のような年の議員が罵倒のヤジを大声であげるのは見ていて気持ち良くない。
すると、何を勘違いしたのか、民主党議員の初鹿明博氏がこうかみついたのだ。
都議の時、ご自身も結構年長の議員や知事に野次ってませんでしたっけ?@310kakizawa それにしても民主の若手議員のヤジはひどい。「おめーらが悪いんだろ」とかとにかく口汚い。父親のような年代の先輩議員に息子のような年の議員が罵倒のヤジを大声であげるのは見ていて気持ち良くない。

いやそれはヤジ批判とリンケージしちゃいけないでしょうだってあなたご自分が聖人君子で埃一つ落ちない身体だとでも言うんですかと思って、こうつぶやいた。

@AkiHatsushika ...いや「お前やってただろ」じゃあ反論にならんでしょう。 QT @AkiHatsushika 都議の時、ご自身も結構年長の議員や知事に野次ってませんでしたっけ?@310kakizawa それにしても民主の若手議員のヤジはひどい。「おめーらが悪いんだ
……そうしたら、返ってきたのはこんなつぶやき:
明日の朝から配るビラの原稿がやっと書き上がりました。今日は予定が立たない嫌な1日でした。
(強調は筆者による。尚、上記 Twit は本人により削除済)。なーんだ結局自分のフラストレーションを他人で晴らしているだけじゃないの。

皆さん、これが国会議員の twitter の日常なんですよ?Twitter で政治が変わる、なんて、笑止千万である……結局政治は動かす者が自己変革しない限り変わらない、ということだけはよく分かったけれど。

インプラント使いまわしに関する奇妙な話

インプラント(人工歯根)の使いまわし、というのは前代未聞の話であるが、豊橋市南大清水町「関歯科クリニック」(関志乃武院長)において、日常的にインプラントの使いまわしがあった、というのはどうやら事実らしい。しかし、この話、どうも調べれば調べるほどに妙な話である。

まず、この関志乃武なる人物に関して、奇妙なことが多すぎる。この関氏は今日、自宅の風呂場で首をメスで切り自殺を計ったのを妻に発見され、病院に運ばれたそうなのだが、そもそもこの人物に関する問題はなんと2004年にまで溯る。関氏は2006年10月1日付で、「2004年7月〜2005年7月の間、自由診療にあたる治療を保険診療と扱うほか、診療報酬を請求できない歯科助手に診療させるなどし、延べ59人について診療報酬の不正・不当請求を行っていた」ことから、愛知社会保険事務局から「保険医療機関の指定と院長の保険医登録を5年間取り消し」という処分を受けている。このときの不当請求額は分かっているだけでも五十五万八千円にものぼる。

おそらく、この事件以来、関氏はクリニックの診療内容をインプラントに特化させたのだと思われる。皆さんご存知の通り、インプラントは保険対象外の治療だからだが、その後、2008年11月に関氏は歯科医師会を自主退会している。通常は歯科医師会に入っていない歯科医師なんてのはまずいないものなのだけど、歯科医師会会員であることは開業上の義務ではないので、やろうと思えばやれてしまう。しかも、通常はこの歯科医師会が歯科医師に対しての注意・指導を行うために、このような状態になってしまうと、その歯科医師はいわば野放し状態になってしまう。事実、豊橋市歯科医師会ではしばらく前から関歯科クリニックに関する問題を把握していたにも関わらず、このクリニックに対して有効な指導を行うことができない状態だった。

2007年にこのクリニックでインプラントの埋め込みを行った70代女性の証言、というのがあるのだが、これが実にひどい話で、治療内容に関するインフォームド・コンセントがないままに23本もの(2、3本ではない。にじゅうさんぼんである)インプラントを埋め込まれたこの女性は、400万円もの治療費を請求されたのだという。そして現状は、今も頭痛や歯ぐきの痛みが続き、「術後、体に不調がない日は1日もない」という。

東日新聞の20日付記事:

http://www.tonichi.net/news.php?categoryid=1&mode=view&id=30765

によると、

 同院に勤務経験のある女性は、関院長が使い回しを否定していることについて「助手としてすぐ隣で手術を見ており、見間違えるはずはない」と断言した。多い日で1日5、6本が使いまわされていたこと、肝炎、骨髄性白血病、心臓病の患者にまで「大丈夫だ」と施術していたことまで告白した。
というのである。もはや我々の想像を大きく超えた事態だと言わざるを得まい。

更に、同記事によると、

 同院は、これまで約2400人に合計6000本のインプラントを埋め込んだとされるが、被害が拡大した理由の1つに地元メディアの対応がある。同歯科医師会は、東愛知新聞社とFM豊橋に対し、何度も広告、宣伝の中止を申し入れたが聞き入れられなかったとして、両地元メディアを名指しで批判した。
とのことで、これが事実だとすれば、東愛知新聞社FM豊橋の社会的責任(こういうときに使う言葉であろう)が問われてしかるべきであろう。いやはや、それにしても、こんなひどい話、聞いたことがない……

そして、何より奇妙なのは、どうも数日前まで、この関歯科クリニックが普通通りに営業していたらしい、ということだ。これは goo のブログ(ブログは消去されているのでgoogle に残っているキャッシュをリンクしておく)を見ると分かるのだが、1月15日まで、普通にブログの記述が続いているのだ……つまりは、明日ニュースになるとしても、今日までは何も変わらない調子でこうやって開業しているクリニックが、そこらにあったっておかしくはない、と言うことではないか。つくづく薄ら寒い話である。

なぜ日航はジャンボを全廃するのか?

最近は、周囲の人々の疑問に対して「こんなことも分からないのか」、と嘆息することが多い。とはいえ、今回の標記の件などは、確かに分からない人が多くても仕方ないことのようにも思える。僕は別に飛行機の専門家でも何でもないのだけど、この件に関して一応書いておくことにしよう。

まず、この件に関しては、マスコミの怠慢をまずは正さなくてはならないだろう。「ジャンボ」「ジャンボ」ってそもそも何なの?と、普通の人は思うに違いないからだ。ここで言う「ジャンボ」というのはボーイング 747 のことを指す。なぜボーイング 747 のことを「ジャンボ」と呼ぶのか、というと、訳知り顔で「大きいからだ」とか言う人がいそうで嫌なのだけど、そもそも「ジャンボ」というのはスワヒリ語(アフリカーンス語と誤記していたのを訂正…… Yasu 氏に感謝)で「こんにちは」の意であって、「ジャンボ」という単語に「大きい」という意味はもともとない。象の「ジャンボ」というキーワードで歴史を遡ると、ディズニーの映画『ダンボ』で、ダンボの母親の象の名前としてこの「ジャンボ」が使われているが、これは19世紀末にヨーロッパで人気を博した(実在の)アフリカゾウの「ジャンボ」に由来するものと思われる。ここから(おそらく「空飛ぶ象」からの連想なのだろうけれど)747 が「ジャンボ」と呼ばれるようになったものと思われる。

さて、ではなぜ国際便において 747 が使われてきたのか、というと、ひとつは安全性の問題からである。現在の飛行機は油圧で操縦を行うために、油圧を維持するエンジンが死ぬことは操縦が困難になることを意味するわけだが、4発のエンジンを搭載する 747 は、エンジンが2基、もしくは3基の旅客機と比較すると、エンジンが全て止まってしまうリスクが(単純に統計的に考えて)低い。ボーイング以外の生産した旅客機でも、エアバス A340 のように長距離での運用が前提とされた機体には、4発エンジンが採用されている。一方、これは燃費の面からみるとむしろマイナスで、特に最近は大出力のターボファンエンジンが開発されているために、燃費の面ではボーイング 777 や 787 のように大出力エンジンを2基搭載した機体の方に利があるといわれている。また、最近の2発ジェット旅客機は特に信頼性の確保には神経をとがらせていて、777 のように双発でも 747 と比較してそん色ない信頼性をうたっている。

もうひとつの理由は、やはり大量輸送志向ということであろう。最近流行りのハブ・アンド・ホイールと呼ばれる運用形態でも、ハブ空港間は 747 クラスの大規模旅客機による輸送というのが念頭に置かれていて、だからエアバス・インダストリーが A380 のような「ジャンボ以上にジャンボな」機体を開発したわけである。意外に思われるかもしれないが、日本の航空会社において、このエアバス A380 の導入に熱心だったのは全日空の方で、日航の方は首脳陣以下「ダウンサイジングの対極を行く」と導入意欲がなかったことが知られている。

この日航(正確には株式会社日本航空インターナショナル)という会社、実は世界で最も多くの 747 を保有する会社である。しかも、現時点で運用されている 747 は全て 747-400 と呼ばれる新世代(ディスプレイ計器を用いたいわゆるグラスコックピットで2人運用を可能としている)の機体である。この 747-400 は経済性も低くなく、これで国際線を運用するのは、世界の潮流の中では決してそうオールドスタイルな考えではない。ちなみに前世代の機体である 747-300 は、去年の秋で全廃している。

では、日航は 747 偏重の運用形態なのか、というと、実はそんなことはない。747 の次の世代の国際線用機体としてボーイング 777-200ER を11機、777-300ER を4機(9機が納入待ち)、そして 767-300ER が23機、既に運用中である。この後には更にボーイング 787 も納入される予定である。ここで注目すべきなのは、777 も 767 も、そして 787 も双発である、ということだ。

つまり、今回のような公的資金投入が決まる前から、日航は 747 の次の世代の機体による国際便の運用を準備していたわけである。ちなみに現時点で、国際線における 747 の運用数は21機(国内線で8機……メディアでは37機と報道されているが、これは輸送機も込みの数だと思われる)。前述の「次世代」の機体で既に充分リプレースが可能なわけだ。

何を言いたいのか、というと……要するに、どうしてメディアが「ジャンボ全廃」というのをああも声高に報道するのかが分からないのだ。日航は、規定路線として既に 747 なしで運用できる体制を整えていたわけだし、今の 747 の運用形態を考えても、747 が全廃されることがそう大きな問題になるとは考えられない。この件で騒ぐというのは、いかにも素人然としているようにしか感じられないのだ。メディアに翻弄される前に、Wikipedia 等で現在の航空会社の運用形態に目を通されることをおすすめする次第だ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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