普段から公言していることだけれど、僕は Twitter というものに過大な期待を持っていない。経済的には、アメリカ企業としての Twitter Inc. は、数十億〜百億ドルの価値があると言われているから、その意味は大きいのだろうけれど、一アメリカの私企業である Twitter Inc. が提供するサービスで日本の政治や社会を革新できるのか、と問われれば、僕自身の見方としてはかなり否定的にならざるを得ない。
そうは言っても、「をとこもすなる Twitter といふものをおむなもしてみむとてするなり」じゃないけれど、僕も Twitter を使っている。まあ面倒な GUI のツールは到底使う気になれないので、Emacs + twittering-mode で使っているわけだ(そうそう、使っていない qwit 消してしまわなければ)。で、今日、堀江貴文氏のつぶやきに、こんな一行を見かけたのだった:
無いですねぇ QT @Jaguar3568 @takapon_jp 命の危険を感じたことはありますか?
で、無神経だと思いつつも、彼に前から聞いてみたかったことを質問したのだった:
@takapon_jp 野口英昭氏の死に関してはどのように思われているでしょうか? QT@takapon_jp: 無いですねぇ QT @Jaguar3568 @takapon_jp 命の危険を感じたことはありますか?
ここで断わっておかなければならないのだが、僕は堀江氏を攻撃しようとか、何か言ってやろうとか、そういうことを考えていたわけではないのだ。ただ純粋に、このことを聞いてみたかっただけだ。その質問に対して、堀江氏が答えてくれた。
どうって言われてもお気の毒としか言えません。 QT @Thomas_TU: 野口英昭氏の死に関してはどのように思われているでしょうか? QT@takapon_jp: 無いですねぇ
この答に関しても、僕は何かどうのこうの言う気はない。「お気の毒としか言えません」というこの言葉が、この件に関してこの一言で片付けようという意図で書かれたものではない可能性が高いし、あれから何年も経った現在でも尚、やはりこの問題はデリケートな問題だと思う(だから上に「無神経だと思いつつも」と書いているわけで)からだ。
その後、この僕の質問に関して何人もの方が色々書かれている。皆さんも各々思うところがおありなのだろうと思う。僕はどうだったのか、というと、まあやはりこの問題は簡単なものではない、ということと、何年経っても人が一人死んでいるということの意味の重さは変わらない(堀江氏がどう思っているかは分からないけれど、少なくとも僕にとっては)んだなあ、ということを思ったのだった。
アメリカ国務長官のヒラリー・クリントンが、今週日曜朝のテレビインタビューで、エジプトの今後に関してこんなことを言った:
David, these, these issues are up to the Egyptian people, and they have to make these decisions.
(詳細は
NY Times の web 記事を参照されたい)
これを聞いて僕は「あー言っちゃったよ」と思ったのだった。キリスト教文化圏の人間だったら、これを聞いたら脊髄反射的に、新約聖書のこの一節を思い出すに違いないからだ:
ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」――マタイ 27:24
ポンティウス・ピラト(ピラトゥス)は、イエス・キリストが活動していた時期のローマ帝国のユダヤ属州総督である。ユダヤ人達の暴動を起こさんばかりの強硬な要求に屈するかたちで、罪人バラバを釈放し、自身が無罪だと思っていたにもかかわらずイエスをユダヤ人の長老や祭司にひき渡した。マタイ福音書では、その際にピラトが手を洗った、という記述が出てくる。これは己の手が血塗られていないことを示すために行ったと言われているのだが、「ピラトは手を洗った」と言うだけで、クリスチャンだったらピンとくる箇所である。
先の発言が日本でちょっとだけ報道されたとき、その訳はこうなっていた:
エジプトのことはエジプト人が決めるべきです
僕は、この報道を耳にして、思わずこう呟いたのだ:「そしてヒラリーは手を洗った」。まあ、アメリカは保守的プロテスタントが多数派を占める国だし、そういう人達は僕のようなカトリック以上に聖書の文言はよく頭に入っているだろうから、これを聞いたら皆こう考えると思うんだけどなあ。
先日僕が査収し、一日で読み終えてしまった:
『人体冷凍−−不死販売財団の恐怖』:ラリー・ジョンソン、スコット・バルディガ 著、渡会圭子 訳、講談社、2010. ISBN-13: 978-4062162029
(原著)
"Frozen: My Journey into the World of Cryonics, Deception, and Death" by Larry Johnson with Scott Baldyga, Vanguard Press, 2009. ISBN-13: 978-1593155605
に関して、少しづつ書いていくことにしようと思う。まず、上の訳本に関してだが、訳はかなりよろしい。読み易い、こなれた日本語になっているし、技術用語の訳も怪しさを感じるところはあまりない。あえて言うならば、hamburger を「ハンバーガー」と訳している箇所が複数あるのが気になる。これは文脈からみて、明らかに食品としての「ハンバーガー」ではなく、「ミンチになった生肉」としての「挽肉」を指していると思われる。あと、
……極端な低温状態で、ある種の金属は物理学の法則を裏切る動きをする。さらに低い温度では、まったく摩擦を生じず、電気抵抗がゼロになる。超伝導と呼ばれる現象だ。私はそれを知って興奮した。(pp. 19−20)
最初の下線部は「挙動を示す」と訳すべきだろうし、次の下線部は、これはおそらくヘリウムの超流動に関する言及だろう。原著の記述を確認できないのでこれ以上は何とも言えないけれど、こういう部分のアラは残念ながら目立つ。ここ以外にはあまりなさそうなので、そう気にする必要もないかもしれないが。その他、日本語がおかしくなっている(「……手はまだエスプレッソ三杯飲んだように震えている。」(pp.28) とか)部分が散見されるが、まあこれは校正の問題だろうし、読む上でそう深刻な問題にはならない。
人体冷凍の話に戻ろう。そもそも人体冷凍のアイディアを最初にリアルなものとして世に問うたのは、ロバート・エッティンガー Robert Chester Wilson Ettinger(注.日本においては「エッチンガー」という記述がされることが多い)なる人物が1962年に出版した『不死への展望』(原著:"The Prospect of Immortality")が最初であると言われている。この本はもともとエッティンガーが自費出版したものだが、大手出版社であるダブルデイがこの本の存在を知り、アイザック・アシモフに内容をチェックしてもらった上で、1964年にダブルデイから刊行された。
エッティンガーは第二次世界大戦に従軍、負傷したのだが、その病床でフランスの生物学者であるジャン・ロスタン Jean Rostand がカエルの精子に対して凍結・解凍を行い蘇生に成功したことを知ったらしい。これに刺激されたエッティンガーは "The Penultimate Trump" という短編 SF 小説を書き、これが Startling Stories という SF 雑誌に掲載された。いわゆるスペース・オペラの世界で知られるニール・R・ジョーンズの『機械人21MM-392誕生! ジェイムスン衛星顛末記』(原題:The Jameson Satellite 、1931年7月に "Amazing Stories" に掲載、ハヤカワ文庫から出ている短編集『二重太陽系死の呼び声』に邦訳収録)に多大なる影響を受けているこの短編で、エッティンガーは(SF 的概念として)初めて人工冷凍冬眠という概念を世に問うた。
SF における人工冷凍冬眠という概念で、おそらく世間で最も知られているのは、ハインラインの『夏への扉』であろう。ハインラインは、この小説の中で、過去から未来への旅を人工冷凍冬眠で、未来から過去への旅をタイムマシンで実現した。アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』に出てくるような、長距離の宇宙旅行における人工冬眠の場合も含めて、このような SF でお目にかかる人工冬眠の多くが、未来への旅、もしくは、長大な時間を要することに人間が臨む際の、人間の加齢という制限を克服する手段としてとりあげられているわけだけど、エッティンガーが提唱した人工冷凍冬眠は、これとはちょっと意味合いが異なっている。エッティンガー以降の人工冷凍冬眠は、その時点での医学的限界としての死を克服するための唯一の方策、というかたちで認知されるようになった。ここが実は問題なのだけど、それに関しては次回に書こうと思う。
まず最初に書いておくけれど、僕は世間の尺度で言うならば、かなりリベラルな方だと思う。南京虐殺も、中国などが挙げている数字は荒唐無稽だとは思うけれど、便衣兵を警戒して関東軍が民間人を大量に殺したという意味では「あったこと」だとみているし、慰安婦問題にしても、民間人の女衒の所為だとは片付け難い問題を孕んでいるとみている。靖国神社に対しては、宗教的アイデンティティの観点から十把一絡げの合祀には反対しているし、と、まあこれだけ書いても、どうです、かなりリベラルでしょう?
そんな僕ではあるのだが、民主党政権に関して何か口を開こうとすると、彼らを擁護するようなコメントを、どうやっても絞り出すことができない。これは一体どうしたことなのだろうか。
首相会見のポイント
1、小沢一郎民主党元代表は自らの問題を国会で説明してもらいたい
1、起訴された場合は、小沢氏は政治家としての出処進退を明らかにして裁判に専念すべきだ
1、社会保障に必要な財源について消費税を含め超党派の議論を呼び掛けたい。6月をめどに方向性を示したい
1、2011年度予算案に国会で多くの政党の賛成をいただきたい
1、私の念頭には衆院解散の「か」の字もない
1、環太平洋連携協定(TPP)の最終的な判断は6月ごろがめどだ
(2011/01/04-11:22, 時事通信社 元記事リンク)
これらを見ると、菅直人の考えていることが実に明確になる。要するに、
- 民主党に対して世論が否定的である原因は「政治とカネ」問題に尽きる。
- しかるに、小沢氏を排除することによって世間への責任をとることができ、そうなれば世論の支持は回復し、政局も安定するはずだ。
- 尖閣諸島問題などに関しては「政治とカネ」問題ではないので、それらを理由として自らや内閣が責めを負う謂れなど全くない。
- 来年度予算案を通して、その後は消費税引き上げや関税障壁撤廃を早急に実現することが現政権の急務である。
これが、今年年頭の菅直人の主張である。
以前、ある人からこんな話を聞いたことがある。それは「詐欺師は何故ああもがっつりと人を騙すことができるのか」というものだったけれど、
「いや、簡単なことだよ。人は、嘘をつくと、どう取り繕ってもバレるものだろう?」
「ええ」
「だったら、バレないためにはどうしたらいい?」
「……嘘じゃなければ、そもそもバレることはないけれど……」
「いや、それで正解だよ」
「え?でも、騙すんでしょう?」
「だからさ、騙す側が、主観的に、心の底からそれを真実と信じ込むんだよ。最初に。そうすれば、どれだけ何を言おうが、それは主張する側にとっては真実になるんだから」
つまり「他人を騙す最良の方法とは、まず最初に自分を騙すことから始めることだ」というのである。これを聞いたときは、なるほどなあ、と感心したものだけど、去年の鳩山政権における「腹案」問題にせよ、去年から今年の年頭会見にかけての、菅政権の抱える一連の問題とその対応にせよ、それらを見る度に、どういう訳だか、この詐欺師の話が思い浮かんできてならないのである。