それ、私のせいなの?
所属教会であるカトリック布池教会で、土曜の午後6時半からのミサの司会をしている。カトリックの教会におけるこういう典礼奉仕というものは、したいかしたくないかとかいうこと、あるいは共同体の中での見栄えなどというものとは無関係に、共同体の為にしなければならなければする、という類のものなのだけど、そういう認識のもとに淡々とやろうとしていると、どういうわけか色々な邪魔が入るわけだ。
そもそも、土曜の夜、他にやるべきことが発生することもあるのに、これがあるのでそれらは断り、教会で司会をする。仕事が入ることもあって、ぎりぎりの時間になっても行く。そういう思いをしてやっているわけだ。それを他人に慰謝してもらうことを求めるわけではない。しかし、それだけの犠牲をはらっていることを根底から無視しているような輩にどうこうされるのは、もう本当に勘弁してもらいたい。
今日のミサ。古参の信者で典礼委員会のメンバーでもある水野氏が、ミサ前に献金を集めた後の扱いに関して色々面倒なことを言ってきた。しかし、献金というのは教会という共同体を支える土台になるものなので、おろそかにすべきではないと思い、話を聞いて、ミサに臨んだわけだ。ところが、肝心のミサのときになって、なんとこの水野氏……ミサにおける献金係なわけだが……が、献金を集めようとしない。事前に献金の話もあったのに、まさか忘れているのか?と思いつつ見ていたのだが、とうとう献金を集めないままだった。
そしてミサ後、私のところに来て、この水野氏が何と言ったか。献金を集めるのを忘れていた、そして、それをミサ中に指摘しなかった私の所為だ、と、確かにそう言ったのである。はぁ?アンタ、ミサ前にあれだけ献金の話をしたじゃないですか。だから私は献金のときにアンタが動かないときも、一体何があったんだ、と訝しむ以上のことはできなかったんだ。それを、なに、私の所為で献金を集められなかったと?ハァ?
まあ、こんなことがあったので、私は次回のミサからは、毎回欠かさず言うことにした。「献金係の水野さん、忘れずに献金を集めて下さい」と。毎回、欠かさずにね。未来永劫、この水野氏が帰天するまで、命に代えてでも欠かさず言うことにした。献金を集めなかったのを私の所為にしたんだ。その責めを、死ぬまで負うて下さいね。