今だから、インターフェイスを考える
ようやく ThinkPad X61 のセットアップが完了した。キーボード(ASCII 配列のものに交換してある)で ESC キーが遠かったので F1 キーと入れ替えたり、と、いくつかの try and error みたいなことはあったのだが、基本的にはすんなりと構築できて、この文章も X61 上で書いている。しかし、思い返してみるに、もともと僕はこのような端末を買うつもりはなかったのである。
去年の秋に、android 端末である Acer ICONIA TAB A200 を購入して、出先の書き物にはこれを使ってやろう、と思っていたのだった。しかし、Bluetooth のキーボードを購入しても、このタブレット端末で書き物をし仰せることは、ついにただの一度もなかった。えーそんなの慣れないだけでしょ、情弱じゃーん、とか言われそうなのだけど、長く込み入った文章を書くのに、SKK 以外の日本語変換で書くのは耐え難いストレスを感ずるのである。
android 上で SKK や Emacs、あるいは TeX が使えない、というわけではない。しかしそれらはほとんどハードウェアキーボードを装備した端末上で使う為に作られたもので、android のタッチスクリーン端末でそれを使用しようとすると、「〜キーを押しながら*キーを押す」というような場合や、いわゆるエスケープシーケンスの扱いがどうもちゃんとできないようなのだ。シフトキーを多用する SKK も、CTRL キーや ESC キーを多用する Emacs も、どうもタッチスクリーン端末とは相性がよろしくない。
そして、自分でも意識していなかったのだけど、僕は自分の書き物用の環境を構成するもののかなりの割合を、自分でカスタマイズしてビルドしていたのだった。Emacs もそう。SKK もそう。そして SKK の辞書もそうである。こういう細々したことができないと、それだけでもうかなりのストレスになるのだった。いくら android が Linux の一派であるにしても、こういうところを自分で管理する上では、gcc やライブラリの入った Linux 端末を使う方がどう考えてもいいわけで、世間の標準に自分を合わそうとしたこと自体が愚かだったのだ。そもそも、そんなものに合わせる必要は何もなかったのだ。
世間では、タッチスクリーンこそが最上のインターフェイスであるかのように宣伝されている。丁度 Microsoft が Windows 8 で動作するタブレット端末 Surface を宣伝しているところだし、ひところの iPad ブームは過ぎたかもしれないが、僕が今回導入したような時代錯誤的なインターフェイスを導入する人は多くないのかもしれない。しかし、今こうやって使っていて、Debian GNU/Linux と XFce が動く端末上で、キーボードとマウス(X61 の場合はトラックポイントだけど)を使ってものを書く方が、どう考えても効率が高いのだ。指で触れることが、他のインターフェイスに勝る部分もあるかもしれないけれど、物を書くということ……それは「記号化」とでもいうような行為なわけだけど……において、フィジカルに指で触れることより大切なことは山のようにたくさんあって、タッチスクリーンというインターフェイスは、その辺りに特に手当てをしてくれるというわけではないのだ。
こういうことは、GUI に世間の目が集まったときにも感じたものだった。新たな道具の可能性を模索することを否定する気はさらさらないのだけど、僕にとって道具は手段なので、それを使い分けることにも、見た目が古いものを使うことにも、何の躊躇いもないのだ。だから僕は、少なくともあと何年かは、今のような環境で物を書き続けることだろう。