耳だけの天国
カトリックのミサでは、司式を担う神父の説教がある。プロテスタントの牧師の説教みたいにパワフルな口調で行われることはほぼないわけだけど、いやいやどうして、なかなか聞いた甲斐のある話を聞けるものなのである。
僕の所属教会にF神父という司祭がいる。彼はフィリピン人なのだけど、カトリックの司祭だから、その地の言葉でちゃんと説教をする。訥々とした口調であるが故に、どきりとさせられることがあるのだ。先日の説教で、こんな話を聞いたのである。
ある人が亡くなって、その人は生前の行いが清いものだったので天に上げられた。その人が天の入口に着くと、天使が彼を案内して、門にあたる建物の中に通された。すると、そこの壁には一面に箱のようなものがしつらえてある。
「これは何ですか?」
彼が天使に聞くと、天使はその箱の一つを開けた。中には耳が入っている。
「全部、ここにある箱には耳が入っています」
と、天使は言う。彼が理由を尋ねると、天使は溜息をつきながらこう言った。
「この耳の持ち主達は、有り難い教えを、たくさんたくさん聞いてきたのです。だけど、その教えは耳から先には入らなかった。だから、耳だけが天に上げられたのです」
ああ、確かに、僕の所属教会にも、こいつは耳しか天国に入れないんだろうなあ、という輩がたくさんいるよなあ……いや、他人のことはさておき、自分自身はそうならないようにしたいものだ。