学歴に食いつく人々

自分でも普段の生活で意識することがあまりないので忘れがちなのだが、どうも僕の学歴は世間の人にとっては少なからず興味を刺激されるものらしい。僕にしてみれば、同業者は皆似たような学歴なわけだし、職能ということで考えたら、中卒で職人さんに弟子入りして十年修行……とかいう人の方にシンパシーを感じるので、自分を含めた人間を学歴でどうこう言うという発想がそもそもない。

で、僕は国絡みの金で仕事していたりしたので、こういうところで学歴(何度も書くが、「学」んだ経「歴」として以上の意味はそこにはないのだが)などはオープンにしている。すると(ご丁寧にも)「大阪大学出身の癖に」などと書き込まれることがあるわけだ。

そういうものを目にして、僕がどういう行動をとるか……まず、目にしたときには「ふふふ」と声を漏らして笑ってしまう。いや、だって、そんなことをわざわざあげつらっている時点で、その人が学歴に多大なる興味を持っていて、それが何事かを保証してくれるのだと(たとえ当事者が否定しても、その当事者の心中のどこかしらかで、かたく)信じているんだ、って露呈しているわけでしょう?いやはや、ただただ滑稽である。

まぁ、僕が公開している僕の個人情報……たとえば僕の学歴だとか、僕の読み難い名前だとか、僕がカトリックで洗礼名がトマスだとか……というのは、実のところ、一種の踏み絵として機能している。それを前にしたときの何者かの反応で、その人が内奥に隠しているものが露呈されてしまうわけだ。それは偏見とか、無教養とか、コンプレックスとか、あるいはその人の歪んだ信仰だったりするわけだけど、どうしてこうもまぁ人は愚かなのだろうか、と思う。僕の三十年以上の人生の中で、それはもう膨大な数の人々が、その踏み絵の前で、あげなくともいい声をあげ、晒さなくてもいい恥をさらしてくれるのだ。僕はそんなこと、頼んでもいないのに。

昔は、そういう人達には、わざわざ教えてあげていたものだけど、今はもうそんな暇もないし、musterbation まがいのことに費やすエネルギーがもったいない。まぁ、勝手にやってもらえばよろしい。どんどん恥を上塗りしていくだけのことなのだから。

2010/01/06(Wed) 12:42:02 | 日記
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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