『捏造された聖書』読了
この邦題は、ちょっといかがなものか、と思うのだけど、この本の原題は "Misquoting Jesus --- The Story Behind Who Changed the Bible and Why---"(『イエスの誤引用――聖書を改変した人とその理由の背後にある物語――』というところか)である。新約聖書本文批評学の世界的権威であるバート・D・アーマン ノース・キャロライナ大学宗教学部長の書いたこの本は、彼の専門である新約聖書の「本文批評学」(多数の写本や引用をもとに、そのオリジナルの記述を求める文献学の分野)的分析に関して、実に明解に解説している本だった。
なにより興味深いのが、このアーマン氏が、子供の頃からの、いわば筋金入りのボーン・アゲインのプロテスタント(宗教的生まれ変わり、つまり「回心」を経験して、聖書の無謬性をバックボーンとした信仰をもつプロテスタント)だということである。聖書の無謬性を信じてこの道に入ったアーマン氏は、やがて自らの「第二の回心」とでもいうような境地に至った……聖書は数え切れない程の改変を経ている文書であって、オリジナルの文書が書き下ろされたそのときを含めて、記者の宗教的な思いが投影された文書として存在しているのだ、と。このことからも明らかなように、この本はいわゆる聖書根本主義者などにあるような聖書の都合良い解釈と対局にあるような、実践的な聖書の文献学的考察を示している。
やがてこのアーマン氏は、自分が不可知論者であり、世間で信仰されているような神を信じえない……との境地に至る。その心境を書いた『破綻した神キリスト』(これも邦題がなあ……原題は "God's Problem --- How the Bible Fails to Answer Our Most Important Question - Why We Suffer---"(『神の問題――いかにして聖書は私たちの一番重要な問い「何故我々は苦しむか」に答えそこねるのか――』というところか)も手元に来たので、これも読み進める予定。え、お前はどうだって?まあ僕はトマスですからねえ。この問いは子供の頃から僕の中にはあったし、僕は不可知論者という程ではないけれど、「神様はそう簡単には助けてくれない」し、「神様は助け方を僕らの恣意に沿ってデザインしてくれるわけではない」と思っているのでね。まあ、それを自らに向けているからこそ、カトリックでい続けられるんでしょうね。
そう言えば、『誰も教えて……』とか、今回の『捏造された……』とかに言及すると、決まって然り顔で、
「その本は信仰の躓きを生みます」
とか言う輩がいたりするんだけど、そんなもの位で躓いてしまう位なら棄教してしまえ!と思うのをぐっと堪えて、
「お聞きしますが、あなたは読まれましたか?」
と聞き返すと、
「読みましたが、読むに足る本ではありませんでした」
とか、しれーっと言ったりするんだよなあ。ズバリ、アンタ読んでないだろうゴルァと聞いてみると、行頭だけ読み齧っているだけか、ひどいのになるとタイトル知ってるだけだったりするわけだ。本当に、そういう下らない奴等と一緒にはされたくない。