アニメソング、だぁ?

先日の『俺の妹が……』の一件以来、僕がアニメマニアだと思われている方がおられるらしい。うーん……どうも、昔からオタク扱いされることがちょくちょくあるのだけど、今回もそのバリエーションのひとつなのかもしれない。

アニメの主題歌に、うーん、と唸らされる曲が使われたのに出会ったことは、確かにないわけではない。たとえば『うる星やつら』のオープニングテーマだった『ラムのラブソング』という曲は、シンセを効果的にあしらったラテンの曲で、一体誰がこの曲を書いたんだろう、と昔から思っていたのだが、実はこの曲、小林泉美という人の手になる曲である。この小林氏、実は渡嘉敷祐一氏や土方隆行氏などと結成した「フライング・ミミ・バンド」や、高中正義氏のバックバンドで活動していた人で、『ラムの……』も、実は当時の高中バンドの面々で録音されていたりする。この例に留まらず、アニメだからジャンクな曲を使っている、というわけではないのだ。

この10年位に限定しても、たとえば『ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom』(もう10年も前になってしまうのだと、さっき調べて気がついた)というアニメを深夜にたまたま観たときに、そのオープニングテーマに釘付けになってしまった。これは……スガシカオか?と思い、クレジットを目を皿のようにして読むと、『夕立ち』(スガ氏のアルバム "Sweet" に収録)という曲だった。この曲はシングルカットされなかった(メディアミックスの手のひとつに、アルバムセールスを伸ばすために意図的にシングルカットしない、というのがあるのだが、これもその一例だろう)のだが、僕がもしスガ氏の曲で一番好きなものを挙げろと言われたら、おそらくこの曲を挙げるだろう。

『さよなら絶望先生』の場合もそうだった。たまたま点けたテレビで流れてきた曲は……あれ、これオーケンじゃん、ということは、筋少、いや特撮か?……いや、実際、『人として軸がぶれている』は事実上「特撮」の曲だと言っていいと思う(名義やコーラスにアニメの登場人物……もちろん実際にはその声優……が入っていたとしても)のだが、この曲もいい。なんだ、やっぱしアニソンオタじゃん、とか言われそうだけど、残念ながら、僕の場合はここ止まりなのである。アニメと音楽、というと、ひとつの厭な事件を思い出してしまうからなのだが……

その事件というのは、『けいおん!』のアニメが人気を博したときのことだ。『けいおん!』というのは、女子高の軽音楽部で活動する女の子4人(途中から5人だが)のバンドの話なのだけど、このアニメが昨年に放映されたときに、その手にしていた楽器が異常な売れ行きを示したことが報じられたのだ。

きっかけが何でも、楽器に触る人が増えるのはいいことなんじゃないの?と言われそうだ。まあ、そうかもしれない。このアニメを観て、たとえばドラムの子が使っていたヤマハのセットを買ったり、キーボードの子が使っていた Triton を買ったりするのは、まあいいんじゃないかと思う。ギターの子が弾いていたチェリーサンバーストの Gibson Les Paul Std. ……まあ結構なお値段がするけれど、最初にいい楽器を持つというのは悪いことではない。そう、まあここまではよかったのだ、ここまでは。問題は、ベースの子が持っていたのと同じベースが売れて、ニュースが流れた時点で在庫がなくなった、という話である。

『けいおん!』で登場するベースの子は、Fender Jazz Bass を使っている。US のヴィンテージを買うというのは非現実的なのと、そのベースのピックガードが鼈甲柄、ポットが3つ、ということを併せると、おそらくこれは Fender Japan の '62 年モデルレプリカだと思われる。このベースは入門用にはいいベースだと思う。僕も20数年前にベースを弾き始めたとき、マクドナルドでバイトをして買ったのは(そして今もメインのベースとして使っているのだが)、まさにこのモデルである。しかし……問題なのは、その『けいおん!』で登場する女の子が左利きだということなのだ。

ギターの場合、左利きのプレイヤーが右利き用のモデルを逆さにして使うのに憧れて、右利きの人が左利き用のモデルを逆さにして使う、ということがないわけでもない。これはもちろん、あのジミ・ヘンドリックスの話であって、例えば森園勝敏氏(「四人囃子」の初代 Vo. and Gt. である)は、ジミヘンのプレイしていたときの弦のテンション等を再現するために、通常のストラトの PU を逆さにマウントし、リバースヘッドのネックを付けたギターを使用している。なぜボディまで逆さにしないのか、というと、著しくプレイアビリティが低下するためだと思うのだが、ギターの場合はこんなことができるけれど、ベースで逆利きのモデルを逆さにしてプレイするというのは、これはもうマゾとしか言いようがない。ポール・マッカートニーを連想していただければ分かりやすいと思うけれど、彼の場合も、ベースは左利き用のモデルを使用しているのだ。だから、ベースの左利きモデルを買うのは、少なくともプレイヤーが買う分には左利きのプレイヤーに限定される。

しかし、去年のこの騒ぎのとき、市場から姿を消したのは、Fender Japan の '62年モデルの「左利き用」だったのだ。つまり、このベースを買った人のほとんどは、自分がプレイするために買ったのではなく、ただ『けいおん!』の秋山 澪と同じベースが欲しいから、と、左利きのベースを購入したということだとしか考えられない。このニュースを聞いたときの僕の印象は、

「ああそうか、『けいおん!』経由で楽器買う人って、所詮は楽器はモノ扱いなんだ」

というものだった。楽器というものは、たとえ安価なものであっても、それを持つ人次第で無限の可能性を秘めている。そういうものだからこそ、自分の手の延長にするべきものなのであって、軽々しくモノ扱いできるものではないんだ……という意識を、理不尽にも蹂躙されたかのような、厭ぁ〜な気分になったことは、今でも忘れられない。

楽器をモノとして死蔵するということは、音楽を殺しているようなものである。たとえば、僕が使っている Fender Telecaster は、古いモデルが非常に高価な価格で取引されているギターのひとつだけど、1947 年〜50年代初頭のモデルを大量に所有しているコレクターの中には、倉庫にそういうギターを塩漬けにしている人もいると聞く。しかし、自分で使ったり、あるいは知人のミュージシャンに貸し出したりしている人も少なくない。古くに遡れば、イタリアのクレモナという町では、市役所がストラディヴァリウス等のコレクションを所有している(クレモナは弦楽器の名工が多数居たことで名高い)けれど、所蔵されているバイオリンは、市役所の職員によってほぼ毎日「メンテナンス」のための演奏が行われている。奏でられない楽器は楽器としての価値を失ってしまう。少なくとも、クレモナの町ではそう信じられているし、僕もそう思っている。

だから、アニメの側から音楽に歩み寄っている人々に対して、僕はとてもとても根強い不信感がある。少なくとも、去年、レフティのジャズベが在庫切れになったことは事実だし、当時市場に出ていたレフティのジャズベの数だけ、世間にはそういう「モノ」を所有するためにジャズベを買った輩が存在しているのだ。だから僕は、彼らを信用することができないし、そういう人々が愛好する音楽を、同じ文脈で愛好することは、とてもじゃないけどできそうにないのだ。

2010/06/28(Mon) 14:33:46 | 作編曲・演奏・録音
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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