武道、スポーツ、そしてそれ以下

曲がりなりにも、子供の頃から武道と呼ばれるものをやってきた身として、今の「スポーツ」としての柔道には、どうにも疑問を感じてしまう。たとえば、剣道では「残心」というものを非常に重んじる。相手に対して一本取ったときも、そこで気を抜いたり他にやったりすることなく、何が起きても即応できる状態を維持し、備えておくこと、これが残心なのだけど、たとえば一本取ったとして、そこで諸手を上げてガッツポーズなどしたら、即刻主審はその一本を取り消してしまうだろう。そこに残心がなかったからだ。

この残心という概念は剣道だけのものではない。弓道や相撲、柔道でも、この残心というのは必ず聞くはずの言葉である。もし聞いたことがないという方がおられるならば、不幸なことだけど、それは指導者に著しく問題があったと言わざるを得まい。残心というのは、日本の武道に共通した、技術というよりはむしろ思想・スピリットに関わる重要な概念なのだ。

さて。今、中国でアジア大会というのをやっている。ここでも柔道の試合が数々行われていたわけだけど、このような国際競技としての柔道を見ていて痛感するのが、残心のなさである。一本の声がかかるやいなやガッツポーズをする選手の方が、今や多いのではなかろうか。このことから言わざるをえないのは、今の柔道が武道ではなくて、スポーツの一つに成り下がったということだ。まあ、国際化というものと引き換えにそれを失ったのが、講道館柔道というもののひとつの選択であるのならば、僕がどうのこうの言う問題ではないのかもしれない。しかし、技術や身体を鍛えておいて、それを御する精神性を養わない、というのは、これはどう見ても歪な代物だと言わざるをえない。柔道をやっている知人も何人かいるので、こういうことを書くのは本当に心苦しいのだけど、残念ながらそう書かざるをえないのだ。

ところが、最近の国際競技としての柔道は、そのスポーツよりも更に劣る代物になってしまったらしい。それは日本のせいではなく、勝つことを、そして強者として振る舞うことを他の全てに対して優先するような連中のせいである。

まずは、以下の URL を御参照いただきたい:

http://sankei.jp.msn.com/photos/sports/other/101115/oth1011151202024-p1.htm

女子柔道の上野順恵選手である。今回のアジア大会で金メダルを勝ち取ったのだが、左目の下に内出血を起こし、目が開かない程に腫れ上がっている。通常、柔道でこのように目が腫れるということはないはずなのだけど、実際このように腫れているというのは、あるべからざる何事かがあったということである。

上野選手は、準決勝で北朝鮮のキム・スギョン(김수경)と対戦したのだが:

表彰台の中央で、ひと際目立ったのは青黒く腫れた左目。準決勝のキム・スギョン(北朝鮮)戦で、開始早々に相手のこぶしをまともに受けた。組み手争いのアクシデントか思いきや、「5、6発殴られた」という。

主審は相手の反則を取るどころか、うずくまる上野に試合続行を促す始末。だが、アウエーの洗礼にしおれるどころか「イラっときた。絶対に勝ってやろうと火がついた」。延長戦で優勢勝ちし、目がふさがった決勝もさらりと一本勝ちだ。

(MSN 産経ニュース、元記事リンク

……ということがあったのである。僕はこの対戦のビデオでのプレイバックを実際に見たのだけど、衿へ指を伸ばすようにして指先で目を突く行為が何度となく行われており、目を押さえて蹲まる上野選手を見ても、主審は「待て」をかけるどころか、立ち上がって組むように促しているのだ。しかも、その後に場外で「待て」がかかって身体を離すときに、このキム・スギョン(選手とは呼びたくない)は上野の目に肘で突き入れすらしている。全てビデオで確認可能であったために、全日本柔道連盟の上村春樹会長から、国際柔道連盟に映像添付の上で検証を求める文書を提出したそうだが、それにしてもひどい話である。柔道で勝てなければ何をしても勝てばいいのか?北朝鮮人というのは、特に「恥」を恐れる国民性だという話があるのだが、こういうことに恥を感じないのだろうか?

そして柔道に関する疑惑はこれだけではない。女子48キロ級の福見友子選手は、決勝戦で明らかに優勢であったにも関わらず、モンゴル人の主審、韓国人の副審が対戦相手(中国の呉樹根……これも選手と言いたくない)側である白旗を上げ、決勝で敗北という結果になってしまったのである。

地元判定に負けた福見=アジアの不条理受け流す−アジア大会・柔道女子

最後まで逃げた相手をつかまえきれなかったこと以外、福見に落ち度はなかった。だが、3本のうち2本の旗が中国の呉樹根を支持。熱狂する観客席とは対照的に、関係者の間にはしらけた空気が流れた。

延長の3分を加えた8分間、小内刈りや寝技で攻めた。相手は、まともに組まなかった。敗者は「投げないと意味がない。勝っていたとしても満足はしていなかった」と淡々。地元びいきの判定を下した審判に、不満を表すことはなかった。一方、判定について問われた勝者は、「延長の序盤は相手が攻めたが全体的に自分がやや上回った」と周囲の誘導を受けながら答えた。

全日本柔道連盟の吉村強化委員長は、怒りを通り越し嘆いた。「今までの国際大会で、これほどひどい審判は見たことがない。勝負の世界でここまでやるとは」

9月の世界選手権で浅見(山梨学院大)に敗れた福見にとって、今回は勝っておくべき大会だった。思わぬ銀メダルに「先を見ているから、通過点としてしっかり受け止めたい」。アジアの不条理は考えず、国内の高レベルの争いを制してロンドン五輪に向かおうとだけ思っている。(広州時事)

(2010/11/16-21:48, 時事ドットコム

明らかに場内の異常なまでの声援に煽られてのこと(もっとも、そんなものに煽られるような奴が審判をしてはいけないのだが)としか思えない。レバノン人の副審は毅然として青旗を上げていたけれど、この試合をビデオで見た山口香氏はこう言っていた:
この試合は、100人中98人は福見選手に旗を上げるでしょう……ああ、残り2人というのはこの主審と(白旗を上げた韓国人の)副審ですけど。
皆さん、機会があったら是非ご覧いただきたい。こんな試合が国際レベルで行われてるようでは、柔道という競技自体の質が問われかねない。スポーツ以下だと言われるようでは、これはもう大問題なのではないだろうか?

2010/11/18(Thu) 15:18:54 | 社会・政治
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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