実は僕が思っているより……

先日書いた『5つの書体』の件だけど、僕はどうしても不思議に思えて仕方ない。「(OTF パッケージの基本5書体のような)基本的な書体をフリーフォントで確保しよう」という話が、どうして今に至るまで出てこなかったのか、ということが、である。

過去の TeX Wiki のアーカイブとか、TeX / LaTeX 関連でアクティブな人々の公開しているコンテンツなどをちらちら見ていると、こと日本語のフォントに関する話は、Microsoft Windows、それも Office 等にバンドルされている HG フォント込みでないと成立しない話が多過ぎる。いや、僕も手元に Microsoft Office の入った Windows があるけれど、しかし HG フォントなんて正直言って使ったことがない。どうして世間ではこうも皆 HG フォントに familiar なんだろう、と奇妙に思われてならない。

これが、PDF の登場以前だったら、あまり問題になることはなかったのかもしれない。ビットマップ展開された PS ファイルや、それが印刷された紙媒体というかたちで日本語の文書がやりとりされるのならば、フォントの問題に関してあまり頭を痛める必要はなかったろう。しかし、PDF が登場し、フォントが埋め込まれることが多くなってきたこの何年かの間ですら、フリーフォントの確保という問題に関して、皆アクティブに声を上げようとしなかったのは、これは実に不思議なことである。

日本語におけるフリーフォントとして、もはや拠り所とも言えるような存在である IPA フォントにしたって、これはもともとフォント単体でそのように活用されることを企図したものではない。IPA が、たまたま自分のところで成果物として公開するアプリケーション用に確保したフォントがあって、これ欲しさにソフトをダウンロードする人が増え(IPA フォントは当初、フォント単体での配布が行われていなかったためにこんなことになった)、やがてフォント単体の配布とライセンスの整備が行われて、今や IPA はフリーフォントのパイオニアみたいな風情だけど、元々 IPA も、そしてその周囲の人々も、そんなことを望んでこういう状況に至ったわけではないのだ。これは、たまたま、実に幸運なことにそうなったのだ、というだけのことである。

いや、僕は、別に杓子定規な法の適用をよしとするわけではない。しかし、社会の中で我々が、大きな資本力、政治力を持つ存在に言論の自由を脅かされないためには、我々がものを書き、配布するにあたって、そのフォントは不正使用だ、などという茶々を入れさせる隙のない手段を持っているべきだ、と思うのだ。フリーなフォントは、確実にそういう手段の一部として求められるべきものなのだ。

ある日、警察や弁護士がしれっとした顔でやってきて、「オタクが公開されてるあの文書、フォントの不正使用の疑いがあるんですよねえ」と言われる。いやこの程度で逮捕されるようなものではないでしょう……しかし、しつこくつきまとい、周囲には聞き込みと共に「不正使用の疑いのある輩」という風説を流布される。こういうことを聞いた人は、あの人がそういうことをするわけがない、とは思ってくれない。こんなこと言われてて、それが 100 % その通りではないかもしれないけれど、でも 1 % 位は何か悪いことがあるんじゃないのぉ? と思いがちなものだ。そしてそれと風説が相俟って、あなたは色眼鏡で見られるようになる……そんなことの起きないという保証がどこにあるのだろうか。低次元な話だと思われるかもしれないけれど、言論の自由というのは、こういう次元で辛くも守られるような危うさがあるということを、我々は忘れてはならないのだ。

そんなこともあるので、僕は自分が必要に応じてフリーなフォントが使えるような体制を整えようと思ってきたし、これからもそう思い続けることだろう。これを書いているバックでは、今 FontForge が動いている。私用のフォントを生成中なのだ。普段は専らヒラギノフォントを使っている僕だけれど、ほとんど使わないものでもこういう事情で整備をしているのである。まあ、過敏だと思われる方が大半なのだろうけれど、僕にはこれが過敏だとは思えないのだ。

2012/06/07(Thu) 23:25:12 | コンピュータ&インターネット
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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