えたぁ!

夜の仕事の予定が雨水氾濫で中止になった。僕は名城公園の前が川になったところに行き合わせて、警察とバスの運転士のおかげで何とか渡ることができたところに、その報せをメールで受信したのだった。おいおい……ここまで来て、勘弁してくれよ。

どのルートで帰るか、少し考えたけれど、とりあえず行きが通れたんだから、帰りも同じルートの方が安全に帰れそうなので、一度市役所に戻り、そこから基幹バス2に乗ることにしたのだった。

この時間、この方向に向かう基幹バスに乗ることは滅多にない。どうせ会社帰りの人々で混んでいるんだから、少しでも早いバスに乗った方が良さそうだ。たまたまそこに来た、既に中がかなり混み合った名鉄バスに乗り込んだのだった。

愛知県の公的交通機関における乗車マナーというのは、ほぼ 100 % と言っていいと思うけれど、良くない。特に、今回のように混み合っているときには最悪だ。詰めない。譲らない。道を開けない。そして、その免罪符のように、皆スマホを握りしめている。僕は最近、こういう連中はさっさと押し退けてもいいんだ、と思って行動している。

今回もそうだった。目前の二人がけのシートの通路側の男性が降車したのだが、その空席に座るでもない、前を開けるでもない、中年の男性が、スマホで麻雀ゲームをしながら立ちはだかっているのを、僕は肩で押し退けるようにして、その空席に座った。そうしたら、どうもこの男性、それがお気に召さなかったようなのだ。

「おう、何だよお、何なんだお前はぁ」

と、膿を含んだ吹き出物が一つできた顔を擦りつけんばかりに僕に凄んできた。

「はぁ? 大声出す前に、席に座るか前開けるかしなさいよ。どんだけ混んでると思ってるんだ、このバスが」

と言うと、それもまたお気に召さなかったらしい。

「なら『すみません』って言えよぉ」
「はぁ? 空席座りも詰めもしない奴が何言ってんだアンタ」

なんだか僕は面倒になってきた。まあケンカになるときは、僕は親指と人差し指で相手の声帯を潰すことにしているので、思わず手が出かけたのだが、さすがに社会人としてそれはまずい。それにしても、このオッサン口が臭いなあ。うわ、唾飛ばしてまだ怒鳴ってるぞ。

「汚ぇなあ。唾飛ばすな。いや、口開けるなや。アンタ口臭いんだって」

また何か怒鳴り始めたので、面倒臭くなって、

「あー臭い、臭い。このオッサンの口は臭いなあああああ」

と声を大きめに言ったら、ようやく黙った。しかし、何を勘違いしているのか、物凄い形相で僕を睨みながら、僕の座った横で仁王立ちを続けている。

そのうち、そいつが肩にかけている鞄(まああれだけ混んでたら、肩にかけた鞄は下すのがマナーだと思うんだが、こういう手合いにそれを言うだけ無駄なのかもしれない)が僕に当たる。思わず舌打ちが出て、

「ゴラオッサン、鞄が俺の肩に当たるんじゃ。ええ加減にせぇよ」

と言うと、また一生懸命因縁を付け始める。そのうちにバス停が来て停車したので、そいつは勢い込んで、

「降りろやあ、降りろやあ」

とか怒鳴っているんだが、そこは僕の最寄りのバス停ではない。降りる理由もないしね。だからそいつに、

「お前が一人で降りろ!」

と三回怒鳴りつけたら、周囲にくるりと目をやって、いたたまれなくなったのだろう、降りたのだが、出口でこちらに向き直って、こう怒鳴ったのだ。

「えたぁ!」

は? 最初何のことか分からなかったのだが、1秒程して、まさかこいつ、今「穢多」って言ったのか? と思い至った。うーわ最悪だよ、何言ってるんだこいつ!

まあ皆さんの中で知らない方はおられないと思うのだけど、「穢多」「非人」というのは、いわゆる同和地区出身の人々に対する、これ以上ない程の蔑称である。勿論、このような言葉を誰かに向けるなどということは許されることはない。僕はあまりのことに言葉を失い、そしてこの男性が哀れに思えた。本人は僕に一矢報いたつもりでいるのかもしれないが、自らの中にある醜い心を、バスに寿司詰めの人々の前で開陳したに過ぎないのだ。

いやーでも、これだったら相手の名刺とか貰っといた方が良かったかもしれない。相手の職場に「オタクの○○って人に満員のバスの中で『穢多』って怒鳴りつけられたんですけど」って連絡できたしね。そういう手合いだったらむしろここに実名だって書くべきかもしれない、彼がしたのはそういうことだからね。それにしてもなあ……この21世紀のご時世に、あんな輩が大手を振って歩いてるんだ。これは名古屋という街の特質なのか、それ以外の何かの理由があるからなのか、どっちなんでしょうねえ。

2013/09/04(Wed) 19:36:08 | 日記
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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