前略、大滝詠一様
誤解されたくないのだけど、僕はいわゆるナイアガラーではない。それを自認する気もないし、リイシューされる度に音源を買い集めるわけでもない(音質が改善されていれば勿論買うのだけど)。しかし、大瀧詠一という人とその音楽が僕に与えた影響というのは、これはもう語り尽せない程のものがある。
悶々としていた高校生の頃、(あの高校でおそらくたった一人)マクドナルドの早朝バイトをして稼いだ金で、今まで使い続けているジャズベを買った。クラスメートと3人でバンドを組んで、ドラムが見つからずにリズムボックスを買い込み、文化祭のステージで初めて人前で演奏したのが『12月の雨の日』だった。まあ、アンセムとアルフィーが好きなギターに、ニューロマンティック大好きなヴォーカル、それにこの僕、というてんでバランバランな僕達に加えて、本番前に調子が悪くなり、打ち込んでいないところで不意にカウベルやハンドクラップが鳴ってしまうリズムボックスのおかげで演奏は散々な出来で、とどめにザクリと僕等を傷つけたのが、司会(あの野郎、あの時の恨みは一生忘れん)がしたり顔でこう言った言葉だ:
「うーん、フォークですね」
フォークじゃねぇよ。ロックなんだよ。幸か不幸か、その後やってきた渋谷系ブームなどのおかげで、はっぴいえんどの名前は僕等以降の世代にも知られるようになったけれど、皮相的な情報で断じられたことを、僕は一生忘れない。
まあ、その辺で感じたことは、それ以降の僕の生き方にも深く関わっているんだろうけれど、そういう意味では、この時期からはっぴいえんどやシュガーベイブ、あるいはナイアガラトライアングル(老婆心ながら書き添えておくが、僕が言っているのは山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一の Vol.1 の方である)を聴いていることは、僕という人間の人生に大きな大きな影響を与えている。そして、それらは皆、大滝詠一という人の下にある現象だったのだ。
まさか、この年の瀬に、あんな風にあなたが逝くとは思いもしませんでした。僕はアンチ巨人で、東京文化より関西文化に安らぎを感じる男だけれど、あなたの存在やあなたの音楽は、僕にとって、心の中に食い込んで、もはや切り離せないものになっています。あなたがこの世を去ったということで、僕は心に穴が開く心地を今味わっているわけですが、しかしそれは空虚な穴ではありません。そこに満たされたものは、今も確実に、僕の中に存在し続けています。いつか、僕がこの世を去るときに、僕がこの世に残したものが、そんな風に誰かの心を埋めていられれば良いなあ、と、今は思っています。