私のところでは……
某 Q&A の場所にて、ある PDF を画面で表示させると文字がかすれる、という質問があった。ああ画面の解像度との兼ね合いでそうなっているんですよ、だからね……と回答してから寝たのだったが、起きてみると、その筋で有名なお方お二人が「私のところではかすれません」と書き込まれている。
そりゃそうだろうねえ。片方のO氏はたしか Mac ユーザだったはずだし、もう片方のH氏は印刷会社で論文を含む各種文書の版組みを仕事として行われている方だったはずだから、どちらの方も、解像度の低い環境とは縁遠い日々をお過ごしなんだろうと思う。そんな環境でその PDF をご覧になったって、そりゃあかすれないでしょうね。
でも、ここは、安い Windows のノートパソコンを使ってるユーザのことを、少し位は慮らなきゃいけないところなんじゃないだろうか。その筋で名の通っている人が「私のところではかすれない」と発言する、ってことは、「この問題に関しては『かすれない』ことが政治的に正しい」「かすれてるあなたの方がおかしい」というニュアンスを相手に与えかねないんじゃないんでしょうかね。
この手の質問に対して「私のところでは」と答えたくなる気持ちは分からないでもないけれど、少なくとも相手は、相手の環境下において困っているのが明白なんだから、そこは最初に配慮すべきところだと思う。僕は「貧乏人は麦を食え」という言葉を思い出しましたよ。後付けでその発言を正当化することはなんぼでもできるんですよ。「いや、米より小麦の方がビタミンB1 を含んでいて脚気になりにくいので」とかさ。でも、最初の発言に込められていた言霊が、傲慢な色を感じさせるものだからこそ、その発言は責められるわけでしょう。