臭いものに蓋?

最近、ちょっと旧約聖書の記述を整理している(これに関しては後で web で公開する予定)のだけど、ちょっと引っかかるものを見つけてしまった。

日本語の聖書というのは何種類か存在するのだけど、カトリックや一部プロテスタントにひろく使用されているのは「新共同訳」と呼ばれるものだ。これは財団法人日本聖書協会というところが編纂・発行しているものである。この「新共同訳」が出る前に、日本聖書協会は口語訳と文語訳の聖書を出している。また、プロテスタントでも福音派等の先鋭的な人々で、この日本聖書協会の訳に不満を持つ人々は、日本聖書刊行会(現 いのちのことば社新改訳聖書センター)訳、いわゆる「新改訳」というのを使っていると思う。

で、僕が引っかかったのは、以下の記述である。

(新共同訳)重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。
(新改訳3版)患部のあるらい病人は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている。』と叫ばなければならない。【第三版訂正個所】患部のあるそのツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。
(口語訳)患部のあるらい病人は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者、汚れた者』と呼ばわらなければならない。
レビ記 13:45

どうして「らい病」(この記述は歴史的経緯によるものであることをご理解いただきたい)をわざわざ「重い皮膚病」と書き直す必要があるのか。これって「臭いものに蓋」しているだけじゃないんだろうか。聖書は何千年も前に書かれたもので、現在の視点で見たら不適切な記述があって当然なのだけど、だからといってそこを「書き直す」というのは、どうなんでしょうねぇ。僕がカッコで書いたような断りを入れて、該当記述を残す方が文献としては本来あるべき姿なんじゃなかろうか。

2010/02/06(Sat) 07:46:58 | 日記

Re:臭いものに蓋?

これねぇ。新共同訳を改めてチェックしてたら、原文がツァラトらしい部分は全て「重い皮膚病」と書き直してあるんですな。レビ記だけじゃなくて、申命記とか民数記とかも(おそらく全部なんでしょう)。うーん……旧約のそういう部分に politically correctness を主張する必要があるのだろうか?と、僕は思うんですね。
Thomas(2010/02/07(Sun) 00:13:53)

Re:臭いものに蓋?

↑これ、私です。名前書くの忘れてました(馬鹿
とます(ひらがな)(2010/02/06(Sat) 18:09:43)

Re:臭いものに蓋?

ヘブライ語のツァラトやギリシア語のレプラは最近の研究によればハンセン氏病のことではないからという、いささか衒学的な言い訳もあるようですが。でも岩波訳ではそこのことを断った上で被差別階級という社会的コンテキストから敢えてらい病と訳してますね。
guest(2010/02/06(Sat) 16:32:15)
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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