日本が國母を見限る前に
スノーボード・ハーフパイプ代表の國母選手に関して、このところ世間では騒ぎになっているようだけど、僕には何が何やらてんで分からない。
まず、なぜ彼の服装や言動が「日本の品位」に関わるのか、という話。そもそも JOC の服装規定というのが実に曖昧なのだ。なんでも、JOC が定めた「日本選手団公式服装着用規定」というのがあって、
(着用の規定) 第2条 日本選手団に認定された者(以下「選手団という」。)は、自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない。との一文があるのだそうだが、あの國母の服装は、おそらく國母本人にとっては「自覚と誇りを持って」ああしているのだろうと思う。もちろんドレスコードというのはああいう場には暗黙のものとして存在するわけだけど、だったらなぜ飛行機を降りる前に彼に一言かけなかったのか。そもそも彼がああいう服装をすることは十分予測し得るわけだし、降りるときに誰かしらか彼の姿を視認しているはずなのだから、そこで指導者や監督者が「ドレスコードってのがあるから、プレスの前で選手団の公式服装を着るときはこうしてくれ」と言えばいいだけの話だ。そもそも「自覚と誇り」なんていう主観的感覚で統一を問うこと自体、ナンセンス極まりない。こうさせたい、というものがあるなら、それをコードとして明示すればいいだけの話なのに、なぜそれをしないのだろうか?
いい歳の大人が……云々、という話が出てくるのだろうけれど、彼の着崩し方は実に違和感のないものだった。なにせ、あのピーコが「上手い着崩し方をしている。普通の人があんな着方をしたら総崩れになっちゃうのに」と感心していた位だ。そもそも、空港のロビーという場所でそんなに厳密なドレスコードが問われるものだろうか?スポーツ選手が試合の地に入ってくるときというのはリラックスしているべきだと思うし、あんな格好をしているのならむしろリラックスしていることに安心すべきなんじゃなかろうか。
いやそれでは日本の品位が損なわれる、とかいう人がいるのだろうか。そんなこと位で損なわれるような国の品位だったら、さっさと捨ててしまえばよろしい。自分の話で恐縮だけど、僕は国際会議とか外国人相手のディスカッションとかで何事かを主張しなければならない場に何度となく身を置いたことがある。しかし、日本人としての品位を損なわない、ということは、少なくとも服装なんかでどうこうできるような話ではない。どんな綺麗な服をどんなに上手く着こなしていたって、どこそこの国で女を買って……みたいな話で汚らしく笑っているような日本人を、僕は何度か見たことがある。彼らはいずれも社会的ステイタスというものを持ち合わせている人達だったけれど、僕はああいうときには、自分があいつらと同じ国の人間だと思われるのか、と考えただけで、この上なく汚らわしく感じたものだ。繰り返すけれど、ズボンからシャツを出したくらいで損なわれるような品格など、主張するだけで有害だから、そういう品格を振り回す人は自分が国賊であることをまず認識していただきたいものである。
最後に……そもそも國母選手はプロのスノーボーダーで、ワールドシリーズにも参戦している人物である。プロ選手にとって最も大切なのは、己のポテンシャルを主張する場としての、つまりはプロとしての試合であるに決まっているのだ。そして、そのためには他国に行くことだって彼らは厭わない。必要であるならば、その国に帰化してでも、彼らは戦うのだ。それがプロスポーツプレイヤーというものだ。プエルトリカンの大リーガーも、日本のナショナルチームでプレイしていたサッカー選手も、年寄株の取得を目指す外国人力士も、皆そうしているし、社会はそれを受容しているではないか。
國母選手だって、アメリカやカナダでプロとしてのキャリアと生活を両立できる、となれば、そういう国で生活するかもしれない。場合によっては帰化することだってあり得るだろう。日本が國母を見限る前に、きっと國母が日本を見限るに違いない。それは日本のスノーボード界、そして広くスポーツ文化というものにおいて、大きな大きな損失になるに違いないのだけど。
Re:日本が國母を見限る前に
> もういまさらですが国母夫妻は北海道からロサンゼルスに移住しましたよ。やはりそうなりましたか。いや本当、関係団体の人々にはよーく色々考えてもらわないとね。