アートとエンターテインメント、どちらが歴史に残るのか
浅田真央選手と金姸兒選手のフィギュアの演技を観たのだが、僕の率直な感想は、この標題に記した通りだ。勿論、僕は歴史に残るのはアートの方だと信じているわけだけど。
僕はいわゆる自称民族派の連中のお先棒担ぎをしたくはないのだけど、特に韓国における金姸兒選手と、それ以外の女子フィギュアスケート選手に対する報道・風評は「あまりにひどい」の一語に尽きる。どうひどいのか、は、以下をご覧いただければお分かりかと思う。
勿論、これはあくまで二次資料ではあるのだけど、朝鮮日報等の日本語サイトを見ていても、金姸兒選手に関しては偏向的なコメントが散見されるのが現状である。
自国の選手を讃えることは一向に構わない。しかし、その行為と、他国の選手を貶める言動は明らかに別次元の代物であって、後者は唾棄されるべきものなのだ。これは僕が右だろうが左だろうが、おそらく何の変わりもなく主張し得ることであろう。
まあこの手の話は書き出したらキリがない。男女差がない ISU のジャッジングシステムにおいて、あのプルシェンコよりも金姸兒選手の方が演技構成点が高いのは何故なのか?とか、どうして ISU の審判講習会が韓国で行われたのか?とか、そんなことだらけなのだ。ただし……点を取るための演技、エンターテインメントのための演技が、アートとしての存在意義を問う演技を超えられる筈はないし、たとえオリンピックのメダルがそれを証明しなくとも、歴史がそれを証明することだろう。物言えば唇寒し……の心境なので、これ以上書かないけれど。