敬虔という言葉

プロ棋士の加藤一二三氏が、自宅マンション周囲の猫に餌付けをし、糞尿などの問題で周囲の住人とマンションの管理組合から提訴されていた裁判の判決が、地裁で出た。結果は加藤氏の敗訴である。裁判所は、マンション敷地内での猫への餌付けを禁止する命令を出した。

僕にとってこの問題はふたつの側面を持っている。連れのUが猫を飼っている関係上、猫に関する様々な話を聞く機会があるので、まずはその方向からこの件に関してコメントしよう。

まず、はっきりと断言するが、野良猫に餌をやることは、誰のためにもならない。それは猫自身の為にすらならないのだ。なぜかというと、まず、猫の糞尿に代表されるような、衛生面の問題……これは単に悪臭がある、あるいは不潔だというだけでは済まない。たとえば寄生虫を考えると、猫から人に移行する可能性のあるものは:

  • 回虫(大小回虫、猫回虫)
  • 条虫(猫条虫、瓜実条虫、マンソン裂頭条虫)
  • 鉤虫
  • 鞭虫
  • トキソプラズマ
  • コクシジウム
  • フィラリア
  • エキノコックス
と、ざっと挙げてもこれだけいる。これらの、特に上半分辺りまでのものは、もし人間の体内に入った場合、本来の宿主と体内環境が異なるために、しばしば幼生のまま体内をうろつくことになる。皮下に入り込めば、(依存性薬物の禁断症状でしばしば幻覚でみるというけれど、こちらはリアルな)皮膚の下を虫が移動している、という状態になる。これらの幼生は、しばしば人の眼に入り込む。乳幼児の場合は失明することもある。そして最悪なのは、幼生が脳内に侵入したときだ……幼生には、多くの場合、駆虫薬が効かないので、外科的除去しか対応策がないのだが、開頭してもアプローチできない場所に入り込まれたらどうしようもない。てんかんや麻痺などの、極めて深刻な症状を呈して、死ぬ場合もある。

トキソプラズマは、妊婦の体内に入ると胎児に重篤な障害を与えることがある。コクシジウムはひどい腹下しを起こす。近年、飲用水にこれが混入する事例が報告されていて、水道水への塩素添加だけでは殺し切れないことが問題になっている。

そして、危険順位 No.1 がエキノコックスだ。もともとは北海道のキタキツネの糞から感染することが知られているこの寄生虫は、感染後5年〜10年という長い年月を経て、肝臓や肺に重篤な障害を引き起こす。また、先の幼生と同じく、まれに脳や心臓に入り込み、無残な結果となることもある。従来、北海道に限定されていると思われていたこのエキノコックス、実は野生動物の感染北限がどんどん南下している。手元の資料によると、2001年の段階で、既に大阪や京都でもエキノコックス感染の事例が報告されている。もはや他人事ではないのだ。

小さいお子様をお持ちの方々はあるいはご存知かもしれないが、このような問題を減ずるため、地方自治体などでは、砂場の砂を高温処理して残存する虫卵を殺す処置などを行っている。しかし、近所に猫がいたら、いくら半年や一年に一度こういうことをしても無駄である……そもそも、猫は砂のあるところを選んで排泄を行う習性なのだから。

この他にも、眼からショウジョウバエの一種を介して感染する東洋眼虫など、駆虫管理のされていない動物やその糞便に暴露されていることの危険性は極めて大きい。

そして、猫同士の場合でも、このような問題は無視できない。上述の寄生虫以外にも、感染症として:

  • 猫パルボウィルス感染症
  • 猫コロナウイルス感染症(伝染性腹膜炎 = FIP)
  • 猫ヘモバルトネラ感染症
  • 猫免疫不全ウイルス感染症(猫エイズ = FIV)
等が重篤な症状を引き起こす。例えばペットの猫を公園に連れて行って、そこの野良猫とじゃれ合って掻き傷や咬み傷がついた場合、あるいはその野良猫の糞便に暴露された場合、これらのウイルス性感染症に感染する危険は低くないのだ。その飼い主が複数の猫を飼育していれば、他の猫にも当然感染し得る。

野良猫の寄生虫・疾病の管理をせずに野放図に餌をやることがどのような結果を生むか、これでまずはお分かりいただけるのではないだろうか。しかし、問題はこれだけには留まらない。野良猫は当然生まれながらの生殖能力を持っているわけだけど、繁殖期になれば当然交尾して、仔を産む。しかし、野良猫の集まるエリアであっても、その頭数は知れたものだから、しばしばその集団では近親交配が行われることになる。結果として、眼や四肢に重い障害を持った猫が増殖することになる。生きていけない猫はどうなるか。親が食べてしまうことも珍しくはない。先の寄生虫や疾病の問題も含めると、これが自然だ、と言い切るにはあまりな状況だとは思わないだろうか。

これは野良猫だけの問題ではない。「多頭飼育」「崩壊」「猫」のキーワードで検索をかけてもらえばすぐに分かることだけど、自宅で猫を飼っている人でも、去勢・避妊をサボったためにとんでもない数の猫を抱えてしまう事例は、枚挙に暇がない程に報告されている。以前、僕の知人が関わった事例では、四畳半の部屋にチンチラミックスが60匹……という、生地獄としか言いようのないケースもあったという。

このような問題をどうにかするために、数々の団体が実際に動いている。僕の知人が運営している NPO のPaw Aidでは、野良猫を捕獲し、多頭飼育の猫を引き取り、去勢・避妊・医療措置を講じ、健康を回復させてから、一生面倒をみる旨契約書を取り交わした上で、飼い主に猫を譲渡している。譲渡までに必要な経費は全て寄付やグッズ販売、フリーマーケットなどの収入で賄っているので、気に入った猫を一生ちゃんと面倒みます、という覚悟(これは環境整備も含めて、という意味だが)がある人は、協議・合意の上、誰でも無料で譲渡を受けることができる。

この Paw Aid の例よりもう少し「野良猫」の実情に寄った解決策が、いわゆる「地域猫」というものだ。これは単なる野良猫の黙認ではない。安全な餌の供給・糞便の清掃・猫の個体別管理(個体認識から個々の猫の去勢・避妊に到るまで)を行って、初めて「ここの猫は地域猫だから」と言えるのである。

ここまで書いて、皆さんもお分かりになったろうか。猫に餌をやる、ということは、猫に施しをしているのではなく、餌をやったという行為にただ満足しているだけの行為に過ぎないのである。何の対策もなしに餌をやり続ければ、野放図に猫は(近親交配を含めて)増殖し、衛生環境は劣悪となり、その影響は周囲の人にも動物にも及ぶ。

さて。ひとつの側面から、加藤氏の行動の問題に関してコメントしたわけだが、上述の通り、この問題は僕にとってはもうひとつの側面を持つ。それが何かというと、加藤一二三氏が「自他共に認める、敬虔な」カトリック信者であるという点だ。

加藤氏は1970年に受洗し、洗礼名は「パウロ」だそうだ。1986年にはときのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章(作家の遠藤周作が貰ったものと同じ勲章だ)を受けている。なんでも所属は聖イグナチオ教会で、結婚講座の講師を務めているという。そういうものを公にしているからこそ、今回の問題は僕たちにしてみたら「面倒な話」なのだ。当然世間では「カトリックなのに……云々」と非難されるだろう。で、一種の三段論法的展開の末に、「Thomas さんカトリックだそうだけど、カトリックがあんなことしていいのかね」などと、僕のところにも妙な話が来たりする、かもしれない。

まず書いておくけれど、僕は自分がどう生きるかという分だけでもいっぱいいっぱいだ。勿論、カリタス・ジャパンの募金とか献金とかは出すし、他にもできることはするけれど、カトリックの総意に反映するような何事かを負うというのは無理な相談だ。なにせ、今の世界全体で、大体 15〜16 % の人がカトリックなのだから、十数億人いればありとあらゆる人がいる。そしてキリスト者は皆罪人なのだから、何かしらの十字架を背負っているわけだ。

そして、僕はおそらく世間のカトリック信者の中ではかなり特殊な部類だということも書かなければならないだろう。なにせ、小学校に上がるか上がらないかの頃に、図鑑片手に「天国は何処にあるんだ!」と司祭に食ってかかった僕である。そのくせ、幼少の頃は、教会と修道院が遊び場だった(日本でこんな環境で育った人は、おそらく長崎以外では極めて稀だろう……僕と同じような来歴の人がいるならば、是非一度お目にかかりたい位だ)。中学のときに『沈黙』を読んでからの内省的信仰の日々、そして何でも読んだり書いたり学んだりする性分が加わって、僕という変なキリスト者が形成されたのである。

ただ、そういう「変な」来歴のおかげで、僕は篤信家がしばしば陥りやすい穴を逃れることができた。篤信家と呼ばれる人が総てそうだとは言わないけれど、時として、篤信家たる自分の主観を、神の名のもとに、客観的に適用してしまうことがある。人はしばしば無知で、視野が狭く、そして偏っているものだけど、神にかなうように生きているという感覚のもとに、それらの自分の "歪" を忘れてしまう。そして、目前の何ものかに対して、歪んだ神の代執行者とも言えるような振る舞いをしてしまうのだ。そういう輩は、信仰を他者に評価されたことを以て、自らの主観の確かさをますます確信してしまうから、質の悪い話である。

今回の加藤一二三氏の所業は、まさにそういう(勘違いの結果として)「歪んだ神の代執行者」として振舞ってしまっている典型だと思う。彼にとっては、あるいは、目前の猫の飢えを癒すことが「正義」なのかもしれない。しかし、「正義」という言葉が、多面的でないものの見方の権威付けに使われることは、ここにもはや説明するまでもないことである。特に、信仰を持つ者はなおさら、この危うさを知らなければならないのだ、と、僕は思うのだ。

2010/05/14(Fri) 19:31:12 | 社会・政治
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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