続・敬虔という言葉

昨日書いた件だが、今日も継続して情報を捜していたところ、以下のようなものを目にした:

http://catapaw.blog17.fc2.com/blog-entry-645.html

なるほど、ここに書かれていることが事実ならば、ただ野放図に餌やりをしていた、ということでもないようだ。その点、書き過ぎた点があれば、お詫びする次第である(削除はしない――過ちも含めて記録してこその blog なので、上記記述を公開することで訂正としたい)。

ただし、やはり加藤氏のやり方には問題があったと言わざるを得ない。上リンク先にある:

加藤元名人は、動物愛護の精神から、
平成14年から集合住宅の自宅専用庭で野良猫に餌を与えるようになりました。
側に猫用トイレを設置し近所のパトロールをして掃除をし、
野良猫が増えないように自費で不妊去勢手術を施し、里親に出すなどして、
最盛期には18匹だった猫を、現状2匹までに減らしてきました。
と書かれているのが事実の真相であるとするならば、すぐに指摘できる問題点が二つある。

ひとつは、加藤氏が、地域とのコンセンサスなしにこの活動を続けてこられたこと。何よりもまず、地域のコンセンサスなしには「地域猫」など存在し得ない。臭いや猫がいることそれ自身を嫌悪する人に対しても、一定のコンセンサスを得なければ、地域で猫を保護するということは出来はしない。それが得られていない状況で、8年間もこのような活動を継続したからこそ、訴訟などということになるのだから。

もうひとつは、人が一人でできることには限界があるということ。14匹を8年かけて2匹に減らした、ということは、逆に言えば、協力が得られれば半年や1年で解決できたことを、自分一人で行うことに固執した結果として、8年も長引かせてしまった、ということである。

カトリックの聖職者としてあまりに有名なマザー・テレサという人がいる。彼女はコルカタの聖マリア学院の校長を務めていたときに啓示を受け、貧しい人の為に尽したいと志す。しかし、彼女はただ無鉄砲に飛び出したのではない。時の教皇ピウス12世の許可を辛抱強く願い、それを得てからスラムに赴いた。そして、彼女の行動と志が呼んだという面は勿論あるにせよ、学院時代の教え子を中心とした協力者を得、そして「神の愛の宣教者会」を設立したのである。彼女は一人の偉大さ同様、一人の無力さも骨身に沁みるが如く理解していたのだ。彼女の遺したことばを読み、彼女が「わたし」と「わたしたち」をどう使い分けているかを見ると、このことはよく分かるだろう。

徳を積むことはよいことである。しかし、僕たちは、積むべき徳を一人で抱え込もうとはしていないだろうか。積まれた徳の高さは、積んだ手の数で割引かれないものだということを、僕たちは肝に銘じなければならないのだ。

2010/05/15(Sat) 13:17:47 | 社会・政治
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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