名古屋で蔑ろにされる多様性
僕が修士課程の院生だったときのことである。僕の居た研究室の教官にF先生という方がおられたのだが、このF先生は学内の留学生センターのセンター長を兼務しておられた。研究室旅行の折、そのF先生のクルマに同乗したときに聞いた話がある。
当時の阪大には、ムスリムの留学生が数多く在籍していた。ムスリムに「食のタブー」があることは、皆さんもご存知のことと思う。ムスリムは、豚を穢れた動物であるとしているので、豚肉を食べることを避ける。厳格なムスリムになると、ユダヤ教徒と同じように、神職にある者が神に祈って屠ったものしか食べられない。
幸いなことに、阪大の場合は、神戸にこの手続を経た食材(これをハラールという)を扱う業者がいたので、家で調理を行う留学生は弁当を持参するなどして対応していた。しかし、単身者で研究に忙殺されている留学生の中には、昼食を抜いている人も少なからず存在していたらしい。F先生はクルマを運転しながら、同乗していた僕達に、
「だから、我らが生協食堂でも、今度、ハラール・フードの提供を始めたわけだ」
と胸を張った。
「あー、見ましたよ。あれ、美味しそうですねえ」
とりあえず発売されたハラール・フードは、どうやら白身魚のフライらしかった。上にはライム・バターが載っていて、ライスとたっぷりのサラダがついている。初めて見たとき、あまりに美味そうだったので注文してみたら、
「日本人が食べるほど量にゆとりがあるわけないやんか」
と、生協のオネエサマにぼやかれたのだった。
「でも、僕が知ってる限り、ハラールが問題になるのって畜肉のときだけですよね。ユダヤ教徒みたいに魚も血抜きして……とかいう話は、ないんじゃないですか?」
「ふふん。甘いな Thomas クンは」
F先生はこう言うと、ちょっと遠い目をして、ため息混じりで、
「あれを実現するの、大変やったんや」
と、こんな話を始めたのだった。
生協との話し合いで、ハラール・フードのメニュー構成はすんなり決まったらしい。白身魚フライだから、留学生の財布にも優しい値段設定で、これなら問題ないだろう……ということで、留学生達に声をかけて、生協で試食会を行おうとした、そのときのこと。
「何が起きたと思う? Thomas クン」
「え?……うーん。メニュー的には特に何も問題ないと思うんですけど」
「そうか……いやな、結論から言うとな、ダメやったんや」
「?なんでです」
ムスリムの留学生達は、皿に載った白身魚フライを見ると、こう聞いてきたというのだ:
「これ、どこで揚げたの?」
あー……僕はこれを聞いて、自分の想像力の乏しさを反省したのだった。
「そうか……他のフライと一緒では、ダメなんですね」
「そうなんや……で、結局、新しいフライヤーを入れてもらった」
まだピンと来ない方がおられるかもしれないから一応書くけれど、生協の食堂では、もともとトンカツや(合い挽きの肉を使った)メンチカツを揚げるためにフライヤーを使っている。フライヤーで使う油は植物油だけど、トンカツやメンチカツを揚げた油には、当然だけど豚の脂が溶け込んでいる。その油で揚げていたら、そのフライは食べられないよ……留学生達の言いたかったのはこういうことなのである。
僕がこの話を人にしたとき、しばしば出食わした反応が「何を我侭なことを言っているんだ」というものであった。しかし、少なくともムスリムにとって、豚の脂に触れたかもしれないものを食べろ、というのは、たとえば泥水で洗った皿に飯を盛ったのを食わされるのより、尚耐え難いことなのである。僕達にとってそれがそういうものでなかったとしても、僕達は彼らのそういう感覚を理解し、折り合いを付けなければならない。彼らに一方的に譲歩を求めることなく。相互理解というのは、つまりはそういうことなのだ。
さて、現在名古屋では COP10 が開催されている。生物多様性に関する国際会議なわけだけど、その会議で供される食事があまりにお粗末な状態らしい。ヴェジタリアンの人々は、何を食べていいのか分からず、結局きしめんを頼んでナルトを避けて食べている、という。しかし、そのきしめんの出汁が鰹節でとられたものであることを、彼らはちゃんと理解しているだろうか。面倒だから、知らせない方が都合が良いから、その事実を彼らにちゃんと説明していないのではなかろうか。それは相互理解を否定する所業であって、多様性に関する会議を主催するものとして許されざる罪である。
こういう多様性や、それを越えた相互理解というものを尊重できない者のことを、日本語で何と言うか。これは簡単な問であって、その答はこうである:「田舎者」。田舎者根性を払拭できない連中に、国際性など求められるはずもないではないか。実に、実に下らない連中ではないか。
Re:名古屋で蔑ろにされる多様性
米国や英国の金融機関の社食はびっくりする位、この点は厳格なんですよ。そういった意味では日本のダイバーシティに関する認識はまだまだ遅れているのかもしれません。