Xが終わるかもしれない
僕が Linux を使っているのは、ここをお読みの方の多くがご存知だと思うけれど、僕が Linux を使い始めてから現在に至るまで、基本的には同じ GUI システムを使い続けている、と書くと、驚かれる方が多いかもしれない。
Linux に限定した話ではないけれど、いわゆる UNIX 系の OS 上では、GUI 環境を提供するためにはX Window Systemが使われ続けてきた。もちろんこれには例外もあって、たとえば僕が1990年代に使っていた NeXT、そして現在の Mac OS X に至る系譜などはその代表的なものだろう。しかし、ほとんど全ての UNIX 系 OS で X が提供されてきたことは事実だし、先の Mac OS X においてですら、X11 for Mac OS X というツールキットが提供されている(リリース時のプレスリリース)。
このような X Window System だが、その最初のリリースは1984年である。僕にも馴染みの深い X11 と呼ばれるバージョンが世に出たのが1987年で、それ以来、現在に至るまで、この X11 をベースとした X のディストリビューションが使われ続けている。たとえば僕が現在使用している(勿論、これを書いているのも X 上で動作する Google Chrome 上である)のは X11R7.5 である。
昔は、X というと UNIX においては巨大なシステムという位置付けで、新しい X が出ると、夕方からごそごそ設定をして、"make world" と入力して居室を後にし、翌朝に「どうなったかなー」とドキドキしながらディスプレイを覗き込む……なんてのが恒例行事だった。この「恒例行事」は、他にも gcc とか Emacs とかで行われていたわけだけど、僕の場合でも最近は自力で構築するのは Emacs 位で、X や gcc などは、Debian GNU/Linux のパッケージを使うようになってしまった。便利になったと思う反面、何となく寂しいような気もする。
まあそんなわけで、そうやって make した X をインストールして、フォント周辺の問題をクリアしたところで、自分の好みの Window Manager を立ち上げて GUI システムを使っているわけだ。昔だったら FVWM(現在の version 2 になってから使わなくなったのであった)、現在は GTK+ ベースの Xfce4 を使用している。これはこれで至極落ち着いた、いい意味で枯れている GUI 環境である。
ところが、だ。この X Window System が使われなくなるかもしれない、という話が、最近あちこちで聞こえつつあるのだ。この話の端緒は、今月の4日に、Linux のディストリビューションとして最近最も成功している Ubuntu の創始者である Mark Shuttleworthが書いた blog である。彼は Ubuntu の軽量デスクトップ環境である Unity に、X Window System ではなく Waylandを採用する、とこの blog に書き、発表したのである。他にも、Intel の携帯電話向けディストリビューションである MeeGo や、Fedora なども Wayland を導入する意向を示している。
Wayland は、軽くシンプルなディスプレイサーバ環境を提供することを目指して、2008年から開発されているシステムである。Linux のカーネルに搭載された Direct Rendering Manager (DRM)……コンソールでの日本語表示のために、僕のような CUI ユーザにもお馴染みのものである……を使用している。実際、非常に軽い(そもそも画像のちらつきがないことを目指しているらしい)ようで、Ubuntu は新リリース 10.10 の PR として、以下のような動画を公開している:
この Wayland は、X との互換モードを有しているので、現在存在する X ベースのアプリケーションを Wayland 上で動作させることができる。日本語環境を含む国際化の問題がクリアされたら、僕もこの環境を取り入れる日がくるのかもしれない。