痛む傷に触れないことの残酷さ

中国、また合意の「障壁」=朝鮮半島情勢で一致できず−安保理

【ニューヨーク時事】国連安全保障理事会は19日、朝鮮半島情勢の悪化を食い止めるため、国際社会の一致した声を上げようと努めたが、交渉は事実上決裂した。北朝鮮非難を断固受け入れない中国が再び合意の「障壁」となり、安保理には無力感すら漂っている。

安保理議長国・米国のライス国連大使は閉会後、「大多数の国が砲撃事件をはっきり非難することが重要だという立場だ」と指摘し、中国のかたくなな反対があったことをうかがわせた。会合開催を要請したロシアは、北朝鮮問題でしばしば中国と足並みをそろえるが、今回は日米などに譲歩。ロシアのチュルキン大使は「われわれにできることはやった」と無念さをにじませた。

砲撃事件が起きた11月23日以降、日米は安保理の対応を検討したが、中国は「北朝鮮を刺激すべきではない」との姿勢を堅持した。北朝鮮で発覚した新たなウラン濃縮施設をめぐっても、日米などは既存の決議違反だとして、非難声明の発表に向け動いた。しかし、安保理筋によれば、中国はここでも「施設を見たのは米科学者だけだ」などと、当初から後ろ向きの態度を取り続けた。

安保理は2006年と09年に北朝鮮が行った核実験を受け、制裁決議を2本採択した。それ以降も禁輸品が北朝鮮に流入する中、「中国の制裁履行の不徹底が最大の課題」(安保理筋)とされている。圧倒的な力を誇る常任理事国・中国の説得は容易ではなく、安保理は北朝鮮問題で行動を大きく制約されている。

(2010/12/20-14:38,時事通信社 元記事リンク

毎度の話ではあるが、緊急招集された国連安全保障理事会において、中国側の強硬な主張によって、国連の北朝鮮非難は実現しなかった。

昔の東西対立の構図が頭に沁み付いている人は、旧東側の国が北朝鮮を擁護した、と思われるのかもしれない。しかし、上引用記事を御一読いただけるとお分かりかと思うが、今回のこの安保理事会はロシアの要請によって緊急招集されたのである。ここには、もはや昔の東西問題の構図は存在しない。

中国が北朝鮮を擁護する理由は大きく分けてふたつある。ひとつは、自国と日本・韓国・米国との間に、非自由主義の国家を挟むことによるミリタリーバランスの維持。そしてもうひとつは、北朝鮮国家が瓦解したときに予想される、北朝鮮=中国国境からの大量の難民流入への懸念である。先頃、あの WikiLeaks の流出文書の中で、中国が非公式に、北朝鮮瓦解時には30万人程度までなら難民を抱えてもよい、とコメントした内容が暴露されているが、この経済発展の最中に大量の難民を抱える危険を、おそらく中国は最も恐れているのだろうと思われる。

しかしながら、中国は、北朝鮮が遅かれ早かれ瓦解する運命にあるという事実に対する対応を明確に見せてはいない。まあ早い話が、中国にしてみれば、北朝鮮という国の存在は、丁度、化膿した小さな傷があるようなものなのだろう。今すぐに命がどうの、という話ではない。しかし、このまま放置しておいたら、痛むし膿は出るし、あるいは発熱するかもしれない。でも、どうしても処置しなければならないようになるまでは、それがあることからせめて目を反らして、まるでそれが存在しないかのように振る舞っていればいい。そういう態度なのだろう、と、見てとれるわけだ。

しかし、この化膿した小さな傷は、決しておとなしく身を潜めていてくれるわけではない。先に書いたように、痛みも膿も確実に存在するし、そこが熱を帯びてくることもある。四六時中、恫喝的な放送を流しているし、時々巡洋艦を沈めたり、ロケット弾を撃ち込んだり、色々とやらかしてくれる。内部の権力移譲に伴うゴタゴタが吹き出して、今後の国家運営すら覚束ないのだ。

確実に破綻を来す隣人に、姑息的な友情を示している風を装って、他の人々には、まるで傷に風が当たるのが悪いのだと言わんばかりに「刺激するな」の一点張り。そんな存在に、一体どれ程の誠実さがあるというのだろうか。僕には、誠実さなぞそこに欠片程も存在しないとしか思えない。隣人のために被害を被る他の存在にも、隣人にも、確実にその被害は及ぶのだ。そして何より自らが、安易な姑息的平衡が都合良く続いてくれると思い込み続けたツケを、いずれは払わなければならない。それは決して安くつくものではないはずだ。自分にすらこれ程に、不実なことがあるだろうか。

日常生活においても、しばしばこういうパターンのことが起こり得る。特定のことをどうこう言うつもりはないけれど、傷を抱えた隣人の八つ当たりだけならまだしも、その隣人を律すべき人の姑息的な安寧のために、干渉される側の身にもなってほしいものだ。本当に、姑息で、不実で、そして卑怯なことではないか。

2010/12/20(Mon) 16:30:26 | 社会・政治
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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