過越、そして Confession

土曜の夜、僕は某修道院に行っていた。「過越(すぎこし)の晩餐」に参加するためである。

「過越し」とは何か、という話をするには、まず旧約聖書の以下の箇所を読んでいただく必要があるだろう。

エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。七日の間、あなたたちは酵母を入れないパンを食べる。まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く。この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べた者は、すべてイスラエルから断たれる。最初の日に聖なる集会を開き、第七日にも聖なる集会を開かねばならない。この両日にはいかなる仕事もしてはならない。ただし、それぞれの食事の用意を除く。これだけは行ってもよい。あなたたちは除酵祭を守らねばならない。なぜなら、まさにこの日に、わたしはあなたたちの部隊をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、この日を代々にわたって守るべき不変の定めとして守らねばならない。正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。七日の間、家の中に酵母があってはならない。酵母の入ったものを食べる者は、寄留者であれその土地に生まれた者であれ、すべて、イスラエルの共同体から断たれる。酵母の入ったものは一切食べてはならない。あなたたちの住む所ではどこでも、酵母を入れないパンを食べねばならない。』」
モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。
「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。
あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」
民はひれ伏して礼拝した。それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。

――出エジプト記 12:1-28

どういうことか簡単に書くと、エジプトに隷属を強いられていた(しかしこれも実は神の御業だと聖書には書かれているのだが)ユダヤ人の長モーセに、神がこう言うのである。「お前達をエジプトから解放してやろう。それにあたって、エジプト中の全ての初子を殺戮するけれど、私の言う通りの手続きをして、家の門柱に生贄の血を塗っておいたら、その家を過越す(見逃す)から」で、ユダヤ人はモーセの言う通りにするのだが、エジプト人は何も知らなかったので、人から家畜から、初子は皆殺しにされて、慌てたファラオとエジプト人が「頼むから出て行ってくれ、でないと神さまに皆殺しにされちゃうよ」と、ユダヤ人をエジプトから解放し、モーセに導かれたユダヤ人はエジプトを去る……という話である。

え?血生臭いって?実は、旧約聖書はこんな話のオンパレードである。じゃあ何故、キリスト教徒がこの過越を重要視するかというと、それはイエスがこの過越を祝ったからである。

除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

――マルコによる福音書 14:12-26

上の引用部の直前で、イスカリオテのユダは祭司長にイエスを売るのだが、イエスはそのことをちゃんと知っていた、というわけだ。そして過越の食事を弟子と共に食べる。過越の食事は先の出エジプト記にあったように子羊を屠って食べるわけだけど、イエスは売られた我が身を生贄の子羊に見たてて、その食卓で自らを生贄として献げる。これがいわゆる「最後の晩餐」と呼ばれるもので、カトリックのミサにおける聖体拝領というのは、これを行っているわけだ。

来週の日曜が復活祭(イースター)なのだけど、復活する前には死ぬ日があるわけで、それは今週の金曜日ということになっている。それに先立って、過越の食事を皆でしましょう……というイベントに、呼ばれて行ってきたわけだ。まあこれは実は労働奉仕でもあって、その日のゲストに出す子羊(もちろん子羊を実際に屠るわけではなく、いわゆるラムチョップを使うわけだけど)を調理してほしい、と頼まれたのである。

行ってみると、届いていたラムチョップはすこぶる上等な代物で、しかもこの修道院には大型のガスコンベクションオーブンがあるので、素材も道具も不足はない、というわけだ。大変なこと頼んで悪かったわねえ、と言うシスターに、僕はニヤニヤしながら、

「いやーこんな肉をこんなオーブンで調理させてもらって、実に楽しいですよ」

と上機嫌で、ラムをローズマリーと油でマリネしてから、塩胡椒で味を整えてグリルしていたのである。ラムが苦手な人がいる可能性があったので、火はかなりしっかり通したのだけど、肉は柔らかく、かつジューシーな状態を保つようにケアしておいたので、評判はすこぶる上々であった。いやあ、料理できない人には分からないであろう充実感であった。

で、日曜は教会で「枝の主日」のミサであった。これも聖書の記述に由来するものである。

二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、
    祝福があるように。
我らの父ダビデの来るべき国に、
    祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

――マルコによる福音書 11:7-11

上記引用部の、イエスの一行がエルサレムに入るときに枝を道に敷いたという記述に由来するわけだ。

枝の主日には、キリスト教徒は「赦しの秘跡」……いわゆる告解を受けるべきだとされている。僕も受けたのだけど……まあこのご時世に生きていると、色々赦しを求めるべき行いをしてしまっているもので、実際に行動してはいないけれど心中で、というものも含めたら、どなたでもそういうことのひとつやふたつ思い当たるものだろう。ただ、大切なのは、罪を犯さないことよりも、犯してしまった後にどうするか、ということだというのは、これは洋の東西を問わずに同じなのではなかろうか。

まあこんな調子で、今度の日曜まで、死と再生を意識させられる行事が続くのである。

2011/04/18(Mon) 09:47:12 | 日記
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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