『唯我論者』について
前回の blog に試訳を載せた『唯我論者』は、フレドリック・ブラウンの『天使と宇宙船』という短編集に収録されているのだが、僕は日本語で読んだことがない。『唯我論者』のプロットに関しては、友人Yにかつて聞いた記憶があるのだが、結局それ自体は英語で読んでいた。
今回、この短編のプロットを日本語で説明する必要が生じたために(東京創元社の文庫本を買おうかと思ったが、立ち寄った書店に売っていなかったもので)このような訳をしたわけだけど、その訳を書いた後にたまたま U と買い物に出かけた。買い物に出かけるときに、僕はいつも憂鬱になるのだけど、それは何故かというと、この土地の人々の公衆マナーが最悪だからである。しかも、この土地の地の人であればある程、その程度が甚だしい。
僕は、仕事などで日本全国のあらかたの地方都市には行ったことがあるけれど、公衆マナーがこれ程悪い土地は他にないと思う。ここで言う公衆マナーというのは、たとえば人込みの中では横並びをしないようにするとか、他人の進路を塞がないように配慮するとか、公的交通機関でお年寄りや子連れの女性がいたら席を譲るとか、そういうことである。とにかくこの土地では、そういう公衆マナーが欠落している人が多過ぎる。
では、僕がその手の輩に自らの通行を邪魔されたときには、どのように対応しているのか。たとえば、僕が日常的に新幹線を使っていた時期に、新幹線のホームに急いで上がろうとエスカレーターに乗ると、必ずと言っていい程に、右に荷物、左に自分、という風に進路を塞いでいる輩に遭遇したものだけれど、そういう輩にはこう言っていた。
「恐れ入りますが、急いでいますので、進路を開けていただけますか?」
こう言うと、返ってくる答はいつも決まっている。
「え?」
失礼しました、も、済みません、も何もなし。ただ「え?」これだけである。そして彼らは、まるで頭上に人工衛星でも落ちてきたかのような、理不尽な災厄に見舞われたという表情を浮かべ、ようやく進路を開けるのである。
何度でも、何度でも繰り返して書くけれど、日本中の各地方都市で、これ程までに公衆マナーがこなれていないのはこの土地位しかない。この辺の連中が東京指向が強いのはおそらくこのせいだ……この手の輩に遭遇したとき、大阪だっから「邪魔や」と言われるけれど、東京では何も言われないから。何も言われない代わり、都市の暗黙のマナーを理解していない輩のことを、東京人は「田舎者」と認識し、軽蔑し、無言のまま排除するわけだけど、そもそもマナーを理解できないような輩が、はっきり言葉で言われない限り、そういう侮蔑に気付く筈もないのだ。まさに裸の王様である。
まあ、そんなわけで、僕はそういう「田舎者」を嫌悪しているわけだ。で、自分の生活をそういう者に邪魔されたときには、僕はおそらくかなり厳しい。丁寧な言葉で呼びかけても、連中はいつも僕に怯えるし、僕が舌打ちをすれば、まるで出エジプト記のモーセの一行のように、目前に道ができるのである。しかし、「田舎者」の方にしてみると、彼らは何故そのような社会的圧力を受けるのかが理解できていないから、先に僕が書いたように、「頭上に人工衛星でも落ちてきたかのような」理不尽な災厄に見舞われた、という認識しかできないらしい。だから僕は、そういう輩にはまるで暴君の如く思われるらしい。
まあ、とにかく、僕は U と買い物をしていたわけだが、そのときに僕の目前にふらふらと出てきた男がいた。僕はそれをよけもせずに進んだのだが、後ろから「今の人にぶつかりそうだったよ」と言う U に「あれは回避責任は先方にあるんだから、こちらが避ける義理はないんだ」と言った。U …… U は公衆マナーにおいてはおそらく全国でもトップクラスの長崎出身である……は「まーた始まった」という顔をしている。
で、そこから少し離れた場所を歩いているときのこと。さっきの男が、連れの女性と横並びで歩いているのに再び出喰わした。すると U が言うには、
「あの人達、『あーまたあの怖い人がいる』みたいなことを言ってたよ」
僕としては俄然納得がいかない。僕が健脚な成年男性だからさっきは何ともなかったけれど、足どりがおぼつかない老人だったら、彼らが僕にぶつかって、転びでもしていたかもしれない、連中は、自分達が加害者になるかもしれなかった、などとは毛程も考えず、ただ僕に睨まれたことだけで、僕を「怖い人」などと扱う。まあ、典型的なこの辺の連中の思考経路だが、一方的に加害者扱いされるこちらの方こそ被害者ではないか。
で、他の場所に移ったとき。またその男女が僕の目前に現れた、僕は小さな声でこう呟いた。
「あ、自分達がフラフラ歩いてるくせに他人を加害者呼ばわりしてた人達だ」
彼らが速攻で僕等の目前から消えたのは言うまでもない。なるほどね。きっとああいう連中のことを「唯我論者」って言うんでしょうねえ。そんなことを考えたのだった。