脊髄反射は許し難い
千代田テクノルという会社がある。僕が研究を生業とする少し前のことだけど、ここは画期的な線量管理アイテムを実用化した。それがガラスバッジである。
それ以前に使われていたフィルムバッジが、現像と黒化度測定で手間を食うものだったのに対して、放射線によるガラスの損傷が蛍光を発することを利用したこのガラスバッジは、感度も高いし、レーザーによる迅速数値化が可能で、しかも使った後はアニール(焼鈍)すればまた元に戻る。記録材であるガラスの破損の危険と、従来のフィルムバッジよりやや重いことを除けば、これ程いいものはない。まさに革命的な線量管理アイテムの登場だった。もはやこの日本で、フィルムバッジを使っている人は誰もいないと思う。それ位、ガラスバッジは普及している。
このガラスバッジを使った線量管理において、僕が今迄耳にしてきた問いがふたつある。ひとつは「浴びてから分かっても意味ないじゃん」というもの、そしてもう一つが「どうしてまず最初にバッジ装着者に連絡が来ないのか」というものだった。まあ前者の問いは、皆さん理解できると思うけれど、後者に関しては、若干の説明をする必要があるだろう。
僕が某国の研究所に居たときのことである。当時、僕と同期で入ってきた女性研究員のYさんという人がいた。彼女は東大のドクターコースを中退して入ってきたのだが、とにかく実験のセンスがなくて、僕はフォローするのに酷く時間を使わされた。で、この職場で健康診断があって、毎度おなじみの胸部レントゲン撮影というのもあったわけだが、その後何日かして、職場の線量管理責任者をしている某氏が、もの凄い勢いで研究室にやって来た。
「おお、Thomas 君。Yさんおるか」
「さっき SEM 使ってたんじゃないかな……あっちの部屋、見ました?」
と言うと、返事もせずに某氏は SEM のある部屋に飛び込んだ。そしてYの腕を掴んで、彼女の居室に入って、しばらく出てこなかった。
この職場は、欧米の研究所などと同じくティータイムの習慣があったのだけど、この日のティータイムに、Yは得意気に皆の前でこう言ったのだ:
「なんかアタシ、X線被曝してるっていうのよ」
聞いてみると、ガラスバッジの交換があった翌日、先方の担当者が血相を変えて某氏のところに電話してきたのだ、という。Yさんの線量値が、尋常じゃないことになっている……というのだ。某氏は泡を食って、Yを確保して散々確認し、ついに、Yが胸部検診のときに、名札と一緒に腰に付けているガラスバッジを外さずに胸部撮影を行ったのだ、という事実を引っ張り出したのだ。バッジの代理店にその旨確認すると、線量から言うと丁度それ位に相当する、ということで、Yはきついお目玉を食らった後に釈放されたわけだ。
「でも、おかしいじゃない?アタシが被曝したんだから、まずはアタシに電話してくるのが筋じゃない。そうしたら、こんな面倒なことにならないで済んだのにねえ」
と、すました顔で紅茶を飲むYに、周囲の全員が「いや、面倒事はアンタ一人のせいだからな」と思っていたのは、言うまでもあるまい。
さて。このYの一件でもそうだったけれど、被曝線量に異常があった場合、当人に連絡する前に、まずは線量管理責任者に連絡が行くのである。これをおかしい、と言う人がいるかもしれないけれど、それは違う。この場合は、まず、線量管理責任者がこの事実を知らなければならないのである。
そもそも。浴びてから分かっても遅いんじゃない?という疑問を持たれながらも、なぜガラスバッジを付けるのか。これは、万が一、放射線源等の扱いが不適切で、被曝するような事態が生じたときに、その原因となっている不適切な放射線管理の状況を可及的速やかに是正し、それ以上、その区域に入る人に被害が及ばないようにするためである。もちろん、個々の線量管理の目的があるのは言うまでもないが、ガラスバッジを付けさせる側が、何故大枚はたいて付けさせるか、というと、そういう放射線管理の徹底が義務付けられているからである。つまり、ガラスバッジ(そしてそれ以前のフィルムバッジも、だが)を用いた線量管理というのは、個々人をリアルタイムで守ることが一義的目的なのではない。そこに関わる人に危険が及ぶ状況を察知し、可及的速やかに是正することが一義的な目的なのである。累積線量の管理というのは、その後の問題である。そういう思想だからこそ、Yの前に、バッジの代理店は線量管理責任者に電話を入れたのである。
福島で、子供にガラスバッジを付けさせるという話があって、子供個々人に対して線量の通知がされないから、子供はモルモット扱いだ、という話を mixi でしている人がいるのだが、そういう人達は、線量管理におけるこういう思想を理解していないのだろうと思う。リアルタイムで被曝線量が分からないガラスバッジは、一人一人の子供を目前の被曝から避けさせるということのためのものではそもそもないのだ。この場合、公費でガラスバッジを付けさせるということは、被曝する状況が万が一存在したときに、可能な限りそれを認識して是正するため、なのである。それも分からずモルモット、モルモットって、それはあまりに短絡的に過ぎるというものだ。
Re:脊髄反射は許し難い
> 人様の言葉を借りて、知識をひけらかす人に教育者にはなれません。はぁ。僕は学生時代から半分教育の世界でオマンマ食って
ますが、知識がないのを糊塗する輩は教育者としては最低
の部類だと思いますけれど。それにそもそも、僕が書いた
あの三書は一般教養の範疇の本ですぜ。知識をひけらかす?
知ってのはそんな浅いものじゃないんですよ。浅学で
開き直る人にはその深みは分からないんだろうけど。
それに、「自分の知識の限界を知り、少しでも視野を拡大
し、視野の歪みを是正しようと努める人」と、
「自分の世界の周囲にバカの壁を築いてその中に安住し、
スティグマを以て他者を断ずる人」とは全く違います。
もちろんあなたは後者です、だから有害なんですよ。
> また、行間を読もうとしない人もダメですね。
いやそれぁアナタでしょう。この直後に、
> 自分の言葉で、相
> 相手にわかるように噛み砕いて伝えることが
> 義務教育には必要ですから(笑)
(引用部ママ)
いやあ、こんな盛大な自己矛盾もありますまいに。
「學而不思則罔、思而不學則殆」
あなたは典型的な後者です。存在するだけでも有害です。
早くこの世から消え去る方が世のため人のためでしょう。
いやあ、書けば書く程お寒いのが露見していくのが
実に面白いですねえ。ちなみに僕は、自分のものも
含めて、こういうところに書いた、書いていただいた
ものは消さない主義なので、今回も消しません。
そうそう、できればちゃんと実名も書いていただきたい
ものです。実名も書かずに何言ったって、そんな言葉
には何も意味ありませんからね。
僕がかつて教わっていた西洋史の専門家曰く:
「レーニンや毛沢東が非合法時代覆面をしましたか?
覆面をして人々を説得できますか? 説得できる理論が
あって、それでも成功しないのが革命なんですよ。
覆面なんかしてては革命は成功しません。」