なぜオスプレイは危険だといわれるのか (5)

先の話で登場した X-18 や XC-142 は、翼を傾ける……ティルト・ウイングと呼ばれる……形式である。しかし、これは構造的には合理性を欠く方法だともいえる。

翼というのは、これは飛行機が宙に浮く揚力を担う部分である。そして、ティルト・ウイング機のエンジンは全て翼についている。つまり、翼と胴体の接合部は、飛行機にかかる力のほぼ全てを受け止める場所なのである。そこを可動構造にする、というのは、機体に致命的な弱点を抱え込むことになってしまうのだ。

X-22a

これは、X-18 と同時期に開発された X-22 という実験機である。ちょっと変わったかたちをしているが、この機体には主翼はなく、代わりに浮力と推力の双方を得るために4発のダクテッドファン(円筒形のダクト内に配置されたファン)が装備されている。後部の水平尾翼に小型のジェットエンジンのようなものが見えるが、これはターボシャフトエンジンと呼ばれるもので、燃料と空気でガスタービンを回し、その回転力をダクテッドファンに伝えている。排気ガスを後方に出すことで推進力の助けにはなっているのだが、あくまでダクテッドファンを回すことが主な目的である。

ファンやプロペラは、その先端の速度が音速に近付くと急激に抵抗が大きくなる。これは先端部の空気の流れが乱されるからだが、ファンより少し大きな内径の円筒でファンを覆ってやると、その内壁に沿って空気が乱されずに流れるため、裸の状態よりも高い推力を得ることができる。

これは現在の最新の旅客機、たとえばボーイング787などに搭載されている大バイパス比ターボファンエンジンと呼ばれるエンジンにも応用されている。大バイパス比ターボファンエンジンは、大径ファンの回転軸にジェットエンジンを搭載して、ファンとジェットエンジンの上から円筒のハウジングで覆うような構造になっている。このような構造で、小さなジェットエンジンの推力に大きなダクテッドファンの気流を加えて推力を得、高い効率を実現しているのである。

Turbofan

だから、このような発想自体は有用なものである。しかし X-22 の場合、ファンの推力を揚力としても使う、という発想で(水平飛行中の写真を下に示す)、効率面からいっても実用に供するレベルにはないものだった。

x22

じゃあ、飛行機としての翼は翼としてちゃんと持っていて、その上でプロペラの向きを変えることができるようにすれば良いのではないか……という話が、当然出てきてしかるべきである。(ここまで引っ張ってきて申し訳ないのだけど)実はこのような話は1930年代から出ていて、ヘリコプターの製造会社としても知られるベル社が社内で開発を進めていた。

1950年代初頭、アメリカ陸軍と空軍は共同で「転換航空機プログラム」 Convertible Aircraft Program を立案した。「転換航空機」って何やねん、と思われるかもしれないが、これは「飛行時に揚力を得る方式を転換し、垂直離着陸を可能とする航空機」という意味である。後にこの転換航空機を指す convertiplane という言葉が作られたが、現在はこれも含めて VTOL と呼ぶのが一般的である。

この「転換航空機プログラム」で採用されたのが、ベル社の Model 200 という案で、この案の試作機に対する軍の正式名称として XH-33 という名前が与えられた。H の文字が入っていることからお分かりかと思うのだが、この名前は、この機体がヘリコプターであることを示している。程なく、この機体は convertiplane として新たに XV-3 という呼称を与えられた。ベル社が当時公開したフィルムを以下にリンクしておく:

XV-3 は、胴体内にピストンエンジンを1基搭載し、そのエンジンで両翼端のローターを駆動する。ヘリコプターで知られるベル社だけあって、ローターの機械的結合等の問題は最初からクリアされていたようだ。上の動画でも分かるように、現在の僕達がテレビで見るオスプレイと、ほとんど同じような機動をこなしているように見える。

XV-3 は1955年8月に初飛行を行い、1966年5月に実験風洞中で破損するまでの11年間、試験が行われ、非常に多くの成果をもたらした。しかし、XV-3 は決して成功を収めたとは言い難いものだった。操縦が非常に難しく、また水平飛行時にはフラッピングと呼ばれる激しい振動に襲われた。

flapping

上に示したのは、水平飛行時のローターを上から見た図である。本来なら青の位置にあるはずのローターが、ブレードの付け根やブレード自身のしなりによって、赤で示すような位置の間で振動することをフラッピングというのだが、これを抑制するためには、取付部やブレード自身の機械強度を上げるのが最も効果的な対策である。しかし、当時のアルミ合金中心の航空材料では、このフラッピングを抑制することは困難だった。

更に、XV-3 にはエンジンとローターの接続に関する本質的な問題があった。当時はプロペラ機やヘリコプターにはピストンエンジン(いわゆるレシプロエンジン)を使うことが一般的だったが、重く、作動に重力の影響を受け易いピストンエンジンを翼端に取り付け、動かすことは現実的ではなかった。そこで、XV-3 では、シャフトやギヤボックスを経由して、胴体内に固定したエンジンの回転を両翼端のローターに伝達して回したわけだが、これは構造の複雑化、そしてその結果としての重量増加につながった。このような問題があったために、XV-3 の発展形が実用に供されることはなかった。

では、ローターを使わなければどうだったろうか。1960年代後半の西ドイツ(当時)で、VTOL の超音速戦闘機開発をめざして、EWR VJ 101 という実験機が開発された。以下に写真を示す:

EWR_VJ_101

VJ 101 は両翼端に1基づつ、胴体内にホバリング用として2基、合計4基のジェットエンジンを搭載していた。ホバリング、垂直離着陸、水平飛行への遷移、そして超音速飛行にも成功したのだが、実用性に問題がある(素人考えでも分かると思うけれど、4基もジェットエンジンを積んだら燃費は最悪である……他にも、構造に起因する問題や操縦性、武器の積載量の問題もあったろう)ということで開発は中止された。

せっかく出てきたティルト・ローター機であるが、機械強度と動力伝達という問題から、実用にまでは至らなかった。しかし、技術が向上することで、これらの問題は解決の方向に向かおうとしていた。次回は、現在のティルト・ローター機へ至る直系の系譜を追っておくことにしよう。

2012/07/16(Mon) 10:48:07 | 社会・政治
Tittle: Name:

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(902)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address