must と have to の違い
先日の「えーっと」問題の中学生に、今度はこんなことを聞かれた。
must と have to の違いがよく分かりません。うーん。普段だったら「自分で調べろ」とか言うところだけど、これに関しては、結構大人でもちゃんと分かっていない人がいるものなあ。ということで、教えたのだけど、その内容をここにも書いておくことにする。
まず、must と have to の話、というと、英語を使う人にこんなことを言われそうな気がする:
いや、今日日 must なんて使わないでしょう。うーん。そうかなあ。まあ確かに、現代英語、特に会話においては、義務に関して言うときにはほとんどの場合 have to を使うだろう。しかし、だからといって must が不要だというのは、これはあまりに暴論に過ぎる。
まず、ここにはっきり書いておかなければならないけれど、must は have to の古い表現、ではない。これは以下の文例を考えたらすぐに分かるだろう:
- You have to study English hard.
- You don't have to study English hard.
- You must not study English hard.
- ……しなければならない、というわけではない
- ……してはならない
英語の場合、この2者の区別は明確だ。「……しなければならない、というわけではない」が don't have to ... で、「……してはならない」は must not ... なのである。すなわち、最初の例では:
- You have to study English hard.(あなたは英語を懸命に学ばなければならない)
- You don't have to study English hard.(あなたは英語を懸命に学ばなくともよい)
- You must not study English hard.(あなたは英語を懸命に学んではならない)
では、肯定文では must と have to は同じ意味になるのだろうか、というと、実はこれも微妙に異なる。つまり、
- You have to study English.
- You must study English.
たとえば、この話の you の英語の成績が悪かったとする。この場合、彼もしくは彼女が「英語を勉強しなければならない」ということは、誰から見てもその必要・義務があると思われるものだ。このような客観的な必要・義務を表すときには have toを使う。
また、客観的な必要・義務ということは、それが客観的でないと思われるのならば従う必要がない、つまり拒否権があるということである。だから、have to を使う方が表現としてはややマイルドな感じになる。
では、彼もしくは彼女の英語の成績が非常に良く、周囲からは「この子は英語が無茶苦茶できる」と思われているけれど、僕から見て、彼もしくは彼女の英語が僕の満足するレベルに達していない、とする。この場合、僕が彼もしくは彼女に「英語を勉強しなければならない」と言うということは、客観的に言う必要があるのではなく、僕の主観でそう言うわけだ。このような主観的な必要・義務を表すときには、have to ではなく must を使う。
主観的な必要・義務というのは、他に比較するようなものがあるわけではないから、これを言われた相手が判断したり拒否したりする権利を認めない、つまり非常に強い強制のニュアンスを持つことになる。だから、相手に義務を負わせ、ときには服従を強いる命令・勧告として must は使われるのだ。
他にも、must は過去形がなく、また助動詞なので will と共に使えないので、must は現在形でしか使えないのに対し、have to は現在・過去・未来のいずれの場合も(完了形ですら)使うことができる。まあ、こういったことが must と have to の違いということになるわけだ。
しかしなあ……これを説明するのは一苦労だよなあ。どうしたものだか。