マニュアル、マニュアル

所属教会の土曜の夕ミサ(教会の扱いとしては主日のミサ……日曜朝のミサ……と同じ扱いなのだが)の先唱者をこの何年かずっとやっている。既にこの奉仕をやっていた老齢の男性二人に声をかけられ、3人いれば交代でできるし、互いの都合に合わせて融通できるだろう……ということで引き受けていたわけだが、程なく一人が重度の難聴で行うことが無理になり(いや、これは不可抗力だからいいんだが)、もう一人は経営している海外のコテージに行ったきり帰ってこず(こちらは確信犯っぽい)……ということで、ほぼ独りでずっとこれを行っている。私は個人的にはこういう状況が非常に苦痛なのだ……いや、土曜に好き勝手できないから、ということではない。

そもそも、私の所属教会というのが、この手のことにおいて非常にいい加減なのだ。もっと正確に書くならば、所属教会の典礼委員会なる組織が、である。本来ならば、そういう組織が各典礼奉仕の人材を確保し、指導をし、必要に応じてマニュアル等を作成するのが当然の筈だ(実際他の教会……たとえば八事の南山教会とかね……はそうしている)。ところが、所属教会の典礼委員会はこういうことをまぁやっちゃいねぇ。私が先唱を引き受けたときにも、マニュアルも何もない状態だったから、まず自分用にマニュアルを作るところから始めたのだった。ミサというものにはもう数十年も慣れ親しんでいるわけだけど、いつでも何処でも何もかも一緒というわけではない。だから、やはりマニュアルはあった方が良い。

他にも、たとえば典礼奉仕としての聖書朗読などにおいても、未だにマニュアルも何も作成されていない。で、来た信徒のうち朗読ができそうな人をつかまえて読ませる。まあ酷いったらないわけだ。なので、そのマニュアルも作成した。先唱者をやっているうちに分かってきたのだが、ミサで何故聖書朗読が行われるのか、という一番根本の話に関して理解していない人が、実はかなり多いのだということが分かってきたからだ。

で、このマニュアルを共有できるように、先週辺りから何人かの関係者に渡したり、CD-R に焼いたものを置いたりしているのだけど、こういうものを作ると、漁夫の利とばかりに自分のものにしそうな手合いがゴロゴロいる教会だし、書いた方としての責任もあるので、ここで公開しておくことにしようと思う。こんなものすら、誰も作ろうとしない。酷い教会……いや、酷い共同体ではないか。

期日前投票

久しぶりにここに書くわけだが、今日は期日前投票の顛末を。と言ってもいつも期日前投票だし、初日の最初の時間に行くのは今回で二度目なのでそう新鮮な話でもないのだけど、少しでも選挙にアクティブに参加してもらいたいと思いつつ、これを書くことにする。

まず昨日の話から。昨日は愛知県・名古屋市の地方選挙立候補の受付日だったわけだが、申し込んだがはやいか皆行動を開始するようで、昨日のうちから選挙カーの声やら何やらで騒がしくなっていたわけだ。

そんなとき、私のスマホが鳴ったのだ。出てみると、

「もしもし、Thomasさんのお電話でよろしかったでしょうか」
「はあ、そうですが」
「こちらは××選挙事務所の者ですが、今回の選挙、投票の程、よろしくお願いいたします」

面倒だなあ、と思い、はいはい言って切っちまったんだが、考えてみるに、

  • 何故私のスマホの番号を知っている?この番号はそこここに公開しているものではないんだが。
  • 何故私が××の立候補している選挙区内の住人だと知っている?つまり名前・住所・電話番号がセットになって手元にあるということか。
  • それらを何処からどうやって入手したんだ?
……と、考えれば考える程に腹立たしい。この候補には絶対に入れるものか、と、心中焔立つ思いである。ここに候補者名や所属政党名を出してやったって一向構わないんだが、それは武士の情けでやらずにおいてやるが。こういう倫理観でこのご時世に政治も何もないもんだと思うけどね。ああ、ひとつだけ書いておこうか。国会議員の経験もあるのに何考えてるんだか(これでほぼ特定できてしまうけどねえ)。

……という、何とも厭なことがあったわけだけど、選挙に関しては、前々から期日前投票で早めに済ませることにしていたし、明日の朝は時間もあるから、朝一番で行って済ませてしまおう(そして××には絶対に入れたらん)……と決めたのだった。

そして今日。私の最寄りの期日前投票所は名古屋市東区役所。期日前投票は8:30からなので、少し前に着くように家を出た……んだが、ある抜け道を行くと極めて短時間で着いてしまい、ゆっくり自販機でコーヒーを買ったところで8:15。

期日前投票所には必ず懇切丁寧な掲示が出ているものなので、それに従って進めばよろしい。区役所の守衛所のある裏口に入り、守衛さんに挨拶してからエレベーターで3階に上がる。早く行くと迷惑になる場合もあるかもしれないが、ここの場合は投票所の手前に長いベンチがあって座って待てるので。

市職員の人だと思うが、既に立って待っているのでまずは挨拶。葉書は既に記載済なのでチェックしてもらい、今回は持っていってもらった。15分間ベンチに座って待つ。投票所の関係者は慌ただしく動いているが、投票者は私の後に3人程。いずれも年配の方ばかりで、私はかなり浮いていた。

職員から「最初の投票者へのお願い」がある。投票開始時にまず投票箱の中に何も入っていないことを投票者が確認し、その後に箱を閉じて投票を開始することになっているので、一番の私にその依頼があるわけだ。これは知っていたのではいはいと引き受ける。

投票の開始・終了は秒単位で確認した上で行われる。残り1分を切ったところで、117(今時皆さん使わないっすかねえ、電話の時報って。でもこういうときは便利ですよね)の音声が流されて、8:30:00 になったところで投票所に入る。中の人々が一斉に挨拶してくるのでこちらも挨拶。

まず名古屋市議会議員の投票。用紙に氏名を書いて持っていくと、投票箱の上蓋を外した状態で中の確認を促される。確認したところで蓋を閉め、そこに私が投票用紙を突っ込む。次いで愛知県議会議員の投票。用紙の色が違うだけで、後の手順は全く一緒。終わったところで投票済証を受け取り部屋を出る。

……と、こんな感じ。初日の朝一は挨拶、挨拶という感じである。投票所の人々も「さあこれからだ」という感じだし、雰囲気がすこぶるよろしい。ダルそうな顔して寄ってくるゾンビみたいなメディア関係者もまだ来ていないしね。

そして、選挙に参加しているという実感をこうも感じることってなかなかないと思う。朝、ちょっと早起きして皆さんにも体験していただきたい。18歳の人達も、可能であればこのタイミングで行ってみてもらうと、選挙に関するイメージが少しは変わると思うのだが。

1か8か

もう転職してしまったのだが、職場での部下に、埼玉出身で東農大出身の男がいた。彼のクルマによく乗せてもらっていたのだが、走っていたとき、目前に一台のベンツが出てきた。
「あー、あれ、気をつけてな。ナンバーが "・・・8" だから」
「へ?何ですかそれ?それを言うなら1でしょう。大丈夫ですって」

いや、実は私も、名古屋に住み始めたときにそう思っていたのだった。しかし、街中のクルマとそのナンバーを見ていると、いわゆるイカツい系のクルマにはまず間違いないといっていい位に "・・・8" とか "・・88" とか付いているわけだ。

関東でも関西でも、この手のイカツいクルマは "・・・1" や "11-11" が大好きなわけだ。これは私もよーく知っている。しかし、どういう訳かこの地ではそれが "8" なのだ。最初はその訳が分からず、周囲のこの辺の人間に聞いてみるのだけど、皆実に対応が冷たい。ようやく誰かにこう言われたのだった。
「……市章、見たことないの?」

で、見てみると……
ご存じですか?八マーク』(名古屋市のページより)
なんてのがあって、ついでにその由来もちゃんと書かれている。へー、○に八、でその由来は尾張徳川家の合印なのだそうで、市章に採用した理由としては「丸は無限に広がる力、また八は末広がりで発展を示す」ということなのではないか、と。そういうことらしいのだ。

このことが、この辺りのイカツいクルマに乗る連中にどのように受け入れられているのか分からないのだけど、とにかくこの "8" ナンバー、面白い位にイカツい連中は「遵守」しているのだ。今日もバス停の手前で "88-88" ナンバーをつけた黒のベンツを見かけて、思わず笑ってしまった位なのだから。

しかし、この手合いは、自転車に乗っているときには恐怖の対象でもある。とにかくこの手合いは平気で自転車相手に幅寄せ、進路塞ぎなどをやらかしてくる。一度は執拗に追い回されたこともあったので、とにかくこのナンバーを見かけたら近寄らないようにする。おそらく他のクルマも同様なのだろうと思う。

で、あるときに誰かにこの話をしたら、
「Thomas さん、"88-88" って、何て読むか知ってます?」
「え?ハチハチハチハチじゃないの?」
「いえいえ……違うんですよ。いいですか、まず1番目の8は○ふたつと解釈して『クルクル」って読みます。そして2番目の8は『パー』」
「……クルクルパー、クルクルパー?」
「そうそう」

名古屋で皆がこう読むのかどうかは今も知らないのだが、良い皮肉だとは思ったのだった。

荒れた土地、その名は名古屋

私の家から一番近いスーパーマーケットは、ヤマナカというスーパーの系列で高級食材寄りに品揃えをふった「フランテ」という店である。確かに品は良い。しかし少々お高く、生鮮食料品の品揃えがやや手薄でもある。だから、ここで入手しにくい食材を、歩いて十数分程の「マックスバリュ」に買いに行くこともあるのだが、このふたつのスーパーはかなり客層が違っている。

そもそも、今住んでいるのが、江戸時代には武家屋敷、それも位の高い武士の家があったと言われている辺りで、そう荒れた雰囲気はない。だから「フランテ」に来る客もあまり荒れた感じはない。しかし「マックスバリュ」があるのはもっと庶民的な一角であって、ちゃんとしている人は勿論ちゃんとしているのだが、荒れている人は結構な荒れ具合、のようなのだ。

水戸で暮らしていた頃にはまずお目にかかることがなかったのが、愛知に暮らすようになってから頻繁に目にするようになったのが、商品がとんでもない場所に置き去りにされている光景(たとえばスナック菓子の棚に刺身が置かれていたりするような)である。おそらくレジを前にして、

「これ買うのやーめた、でも戻すの面倒だから手近なところに置けばいいや」

ということなのだろう。大阪でも、私の住んでいた豊中・箕面・池田の界隈では(皆無とはいわないが)あまり目にすることはなかったのだが、愛知県という場所(まあ私は刈谷と名古屋しか知らないんだが)では、残念なことにかなりの高頻度でこれにお目にかかるわけだ。

勿論、これは名古屋でも場所によって傾向が異なる。一年弱前に今のところに引っ越してきて「フランテ」で買い物をしてみると、それを目にすることがほぼ皆無でほっとしている位なのだけど、「マックスバリュ」では、残念ながら、この現象を見ない店というのを私は知らない。いやそれは愛知のせいじゃなくて「マックスバリュ」のせいじゃないの?と言われる方がおられそうだが、私は(差別的な言い方で恐縮だけど)「マックスバリュ」に来る層の愛知県人にこの傾向が強いのだろうと理解している(だって大阪の北方面では見なかったからね)。

この現象の根源にあるのは、

「金を払っていない品物は、自分の籠に入っていても自分のものではない」

という概念の欠如、ということなのだろうと思う。残念ながら、商品置き去り以外でもこれに起因する現象を見ることがある。そして、皆が皆そういう輩ではないことも、見ることがあるわけだ。今日はそういう日だったらしい。

夕食の食材で足りないものがあったので、自転車で「マックスバリュ」に行った。この店は毎週火曜にセールがあって、そのためか店内はかなりの混雑だった。レジの前にもかなりの列ができていたわけだが、この店はレジのエリアのすぐ後ろに、エリアを横断するように通路が設けられているので、そこは人の通れる位に空けておかなければならない。こういう状況でどう動くか、というのが、その人がどんな人なのかを露呈させてしまうわけだ。

私の前に、クリアアサヒ 350 ml 缶24本入りの箱を籠に入れた男性が立っていた。彼は感心する程にちゃんとしていて、自分の直前の客がレジ会計の直前に行くまで、人の通る空隙を空けて立っていた。途中、手が痛くなったのだろう。籠を床に置こうとしかけたのだが、ちらりと自分の籠を見、持ち上げ直して耐えていた。

私も彼に倣って、最初は彼との間に空隙を取り、彼が会計の直前になったところで彼の背後についた。彼の前の客が凄まじい量の商品を抱えていて、なかなか進まない。やれやれ、と思いつつ、ふと後ろを振り向いたのだった。

後ろにいたのは、おそらく30代と思われる母親と、小学校低学年と思しき娘の二人連れだった。ちょっと奇妙な母娘で、娘は母親に敬語で話し続け、母親は威勢の良い口調でそれに答えている。私が目前の男性の直後につけたので、この母娘は私との間に人が通る空隙を確保しているだろう……と思っていたのだが、振り向いてみると、すぐ後ろに母娘はい……いや、いなかったのだ。視線を落とすと、彼等の買う物が詰め込まれた籠が、人の通るエリアの中央にどかっと置かれ、母娘はそれを場所取りに置いたつもりなのだろうか、少し離れたところのワゴンに乗せられた菓子を選んでいるのだ。

菓子を選び終えて戻ってきても、それを床に置いたまま、取ってきた菓子をぽいっと放り込んで、母娘は話し続けている。そこに、籠を持ったひとりの老人が通りがかったのだ。彼は通ろうとする。しかし母娘は避けもしない。そしてその目前に籠を転がしたままだ。老人は不快をあらわに顔に浮かべ、唸りながら、母娘の籠を足で蹴って押し遣ると、振り返りもせずに歩き去っていった。

以下、母と娘の会話である。

娘:「え、何?何?」
母:「あのジジイが籠を足で蹴った……ムカつくぅ」
娘:(声が出ない模様)
母:(聞こえよがしに)「私、モラルのない人って大っ嫌いなんだよね。何なんだろう」

この手の輩に限って、自分は正しいと思っている。自分の横暴は知らん顔だ。つくづくこの店は客が荒れているなあ、と溜息をつきながら、店を出たのだった。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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