僕は子供の頃からクラシックのコンサートに行くことが多かったのだけど、貼られているポスターを見ると、いつも不思議に思うことがあったのだ。大抵東京辺りで公演を行う前哨戦として、僕の郷里である茨城県水戸市でコンサートが行われることが多かったのだが、東京と比較すると「え?」と思う程チケットが安い。安いので、親に「今度の***フィルの行きたいんだけど」とか言っても、何も問題なくチケット代を出してもらえるのだった。
この理由を知ったのは、高校時代、学校の文化行事担当というのになって、マル秘書類である「アーティストのステージギャラ一覧表」なるものを見る機会を得たときであった。要するに、茨城県も水戸市も、この手の文化行事に多大なる助成金を出していて、そのおかげで、中高生が映画の延長のような感覚で親に金を出してもらい、クラシックのコンサートに行くことができるようになっていたのだ。当時は「ラッキー」位しか思っていなかったけれど、今にして思えば、文化に金を惜しまない、ということの重みが本当によく分かる。
僕が大学に進学する辺りの時期、水戸市は、僕の通っていた小学校が移転した跡地に芸術館を建てていた。
このタワーをご存知の方もおられると思うけれど、このタワーの下には、パイプオルガンを設置した(主に室内管弦楽向けの)ホールが建てられ、座付の室内管弦楽団が結成され、常任指揮者として迎えられたのはかの小澤征爾氏である。まあ、水戸というのは、水戸徳川家の水戸藩の城下町だった場所で、こういう文化に対する意識は他の土地よりは高いのだろうけれど、こういうことに贅沢をする、というのは、そこの出身者としては実に誇らしいことである。
さて。同じ徳川家の城下町だった名古屋の方だけど、こちらは実にお寒い限りである。実は U が、先日「市民の『第九』コンサート」なるものに参加したわけだが、半年前からの練習の段階で、まあそれはそれはひどい話ばかり聞かされていた。練習に来ても、飴など配ってキャッキャッ言って楽しそうにしているだけで、いざ歌となると、地声胴間声、ピッチもリズムもグダグダの状況で、指導者はパート毎に、あまりひどい状態の人に、
「あなた、ここは歌わないで」
と「間引き」を行わざるを得ない状況だったのだ、というのだが、とりあえず練習も終わり、11月25日に金山のホールで本番、ということになった。
僕はチケットを貰って、その本番に行ったのだけど、まぁこれがひどかった。いや、合唱の方は U の言う通りにひどかったのだけど、僕が呆れたのは観客の方である。おそらく知り合いが出るので観に(≠聞きに)来たのだろうか、主婦層の友達連中複数連れ、みたいな人々があちこちに居て、ステージを指差しながらボショボショ喋っている。曲が始まろうというのにそれをやめようともしない。1曲目の、序曲「エグモント」が始まる直前、とうとうたまりかねて、僕の左側で喋り続けている女性達を睨むと、たまたまその一人と目が合った。僕は声を出さずに「だ・ま・れ!」と口を動かしたら、慌てたその女性、横の友人達を肘で突いて、ようやく声が止まった。
まあ、これで事が済む筈もない。第九に入って、第2楽章が終わったところで合唱隊が入ってくると、舞台に先立って客席のあちらこちらで囁きの大合唱である。オーボエが鳴り出して、コンサートマスターが音を合わせ始めたのを見ながら、僕は何とも厭な気分になった。こいつら、どうして合唱隊がこのタイミングで入ってきたのか、全く理解していないに違いない。
案の定、連中はぼしょぼしょ喋るのを止めようとしない。第九の第3楽章は静かに静かに始まるのである。そしてコーダからあまり間を置かずに第4楽章に入っていく。だからこのタイミングで合唱隊を入れるのである。曲が始まるが、やはり連中は喋るのを止めようとしない。たまりかねて、
「お静かに!」
と言うと、まるで暴言でも浴びせられたかのようにピシャリと黙り込み、それ以後はこちらと目を合わせようともしなかった。
ったく、何てことだよ、小学校の学芸会じゃねぇんだ、これぁ金取ってるクラシックのコンサートだぞ……と心の中で毒突きながら、ふと思ったのだった。あれ? 俺は水戸に居た頃、市民オーケストラ(茨城交響楽団)の定期演奏会には山程行ったけど、一度だってこんなめに遭ったことはなかったぞ?
郷里を不当に持ち上げているわけではない。本当に、そんなめに遭った記憶が、ひとつもないのである。これはやはり、名古屋という土地の民度が低いのだ、と思わざるを得ない。
で、今日 U と話していて、驚愕の事実が判明したのである。
「ところでさあ、この間のコンサートの CD、頒布案内とか来たんじゃないの?」
「いや、それがね、ひとつもそういう話が来ないんだよね」
「はぁ? コンサートの後打ち上げだとか言って藤岡幸夫や錦織健を囲んで一席持ってたって話だったよな?」
「そうそう。出なかったけどね」
「そういうイベントはやって、その癖自分達の音は何も確認しないの?」
「そういうことらしいよ」
「歌い捨て、か」
ここをお読みの皆さん、これから、「ワタシは市民第九に参加しててぇ」とか誇らし気に言う人にお目にかかったら、是非とも蔑みの視線を向けていただきたい。いやはや、こんなもので、よくもまあ満足していられるものだ。