愚か者と……

 「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。
 「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。
 「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。

 見よ、このような日が来る、と主は言われる。
 わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
 王は治め、栄え
 この国に正義と恵みの業を行う。
 彼の代にユダは救われ
 イスラエルは安らかに住む。
 彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

エレミヤ 23:1-6 強調部は筆者による

今日の主日のミサの第一朗読の箇所である。

今回も今日ではなく、昨日の夜のミサに行っているわけだが、このミサではいつも朗読の担当者がいないのが問題になる。そこに僕が来るようになったので、これ幸いとばかりに僕に朗読が回ってくるのだけど、司会に、

「今日はどちらにされますか」

と聞かれて、うーん、第二にします、と答えたのだった。このミサにはちょくちょくある青年がやってくるのだが、これがいわゆる「読みたがり」で、どういう訳か必ず第一を読もうとする。彼が来ると面倒なので、第二を選んだわけだが、昨日は彼は姿を現わさなかった。

正直言って、僕は少しほっとしたのだった。というのも、この青年の朗読が実に酷いからだ。妙に感情を込めて、舌っ足らずで、しかも間違うことがかなり多い。おそらく、彼は、何故教会のミサで聖書の朗読が行われるのかを、ちゃんと理解していないのだろうと思う。

何故教会のミサで聖書の朗読が行われるか。それは原始の教会に思いを馳せればすぐに分かることだ。まあ詳しい話は『聖書朗読が大切な理由』をご覧いただければよろしいと思うが、まあそういうことなのだ。これは、キリスト教徒なら必ず知っておくべきことだと思うし、「神様の楽器になりなさい」なんて言葉は常識として知っておくべきことだろうと思うわけだ。

さて、昨日のミサの話に戻ろう。結局、第一に当たったのはTという女性だった。この女性は何かと後ろ暗い噂の絶えない人物で、聖職者と知己になることで自分の徳が上がるという下らない妄執に取り付かれているらしい。若い神学生を食事に誘い出したりするなど、はっきり言って「こいつと一緒だとは思われたくない」という輩だ。まあどうせ、朗読もまともにできないんだろう、と思っていたら、読み始めるなり、

「……幸いだ」

はぁ? 何考えてるんだこいつは? しかも、そこは主の御言葉だぞ。何考えているんだコイツは。その後も酷いもので、「あなた」と「私」を勝手に入れかえたり、まあエレミヤが聞いていたら熊でも呼び出しそう(って、これはエリシャだな)な代物だった。はあ……それにしても、どうしてこういうことができるんだろう。読めないなら引き受けるな。せめて練習しろ。ああやだやだ。

そう言えば、こんなことが書いてあったっけな。

知恵ある者と共に歩けば知恵を得
愚か者と交われば災いに遭う

箴言 13:20

哀しい聖体拝領

イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。
(マルコ 6: 1-6)

イエスにつまづく、というのは、いかにもマルコ福音書らしい辛辣さである。「人は神を解さない愚か者なのだ」というのがマルコ福音書の通奏低音である。人は外面的なこと、血筋や家庭、そういうもので、イエスすらも決めつけ、その内奥の神性に目を向けることをやめてしまう。こういう事々が、今も尚、この短い福音書を読む人々に鋭く突き付けられる。だから僕は、このマルコ福音書が好きなのだけど。

カトリックとして生きていると、このナザレの人々のように、表層的なことにばかり目を向けてしまう人達に会うことが少なくない。昨日のミサでも、僕はそういう人に会うことになった。

聖体拝領のときのことだ。聖体拝領は、キリスト教徒にとっては特別な儀式である。司祭の祝福によって「キリストのからだ」になったホスチア(パン……イーストを使わずに焼いたもので、ウエハースのようなものと言うと分かってもらいやすいかもしれない)を、列になって一人づついただき、それを食べる。それから順に席に戻り、祈りと黙想のうちに、全ての信徒にそれが行き渡るまで待つわけだが、この聖体拝領は、キリスト教における秘跡のひとつとされていて、洗礼を受けた者しか与ることができない。

ところが、どういう訳か、洗礼を受けていないのに、このホスチアだけをいただこうという輩が後を絶たない。そういう輩が聖体を蔑ろにしないために、司会は必ず聖体拝領の際に説明をするのだけど、それでも尚、この手の輩が後を絶たないのだ。

残念ながら、カトリック生活ウン十年の我々が見ると、そういう手合いは一目で分かる。何故分かるかをここに書くと、検索等でここに辿り着いた不心得者がその手の輩に教えかねないので控えるけれど、聖体がどういうものかを理解している信者が絶対にしないことを、そういう輩はしてしまうのだ。

土曜の夕方のミサでは、僕が見ていないと誰もその手の注意を払っていない(日曜朝のミサでは従者が見ていてくれるのだが)ので、最近は特に、その手のチェックをせざるを得ない状況だ。聖体拝領後の祈りを終え、列の先頭の方に目をやると、肩を出したドレスを着た女性が司祭の前に進むのが見えた。信者は通常、このような格好でミサに出てくることを避ける。違和感が僕の目をロックオンさせたところに、普段聖体拝領に与っている人ならば決してしないことをするのが見えた。ああ。またいたのか。どうしよう。

前の席に座っていたUが、くるりと僕の方に向き直る。Uも同じことを確認したらしい。鋭い目で、席に戻っていくその女性と僕に交互に目をやっている。行けってか?はあ。憂鬱だ。

僕は、聖堂の丁度中央に座っていたその女性の方に歩いていった。

「すみませんが……」

と声をかけながら手の方を見ると、ホスチアを指で潰している。あーあ。面倒なことをしてくれる。アンタにはウエハースにしか過ぎなくても、我々には大事な「キリストのからだ」なんだよ。

「そのホスチアを、返していただけますか? 聖体拝領は洗礼を受けた人だけのものですので……」

と言うと、彼女は無表情のままでそれを差し出した。見ると、僕よりも年上に見える女性である。いい歳して、何やってるんだ、アンタは。舌打ちが出そうになるのを堪え、くちゃくちゃになったホスチアを受け取り、司会の方に歩いていく。司会は既に何が起こったのかを察してくれていて、カリス(ワインを入れる器)を片付けかけていた司祭を呼んでくれていた。僕は「こんなになってしまっていましたが……」と呟きつつ、司祭の手にそれを渡した。

聖体拝領を終えた司祭は、チボリウムの中に残ったパン屑を全てカリスに入れ、聖水を注いでかきまぜ、飲み干してしまう。それは、たとえ小さな欠片ひとつであっても、それが「キリストのからだ」だからである。聖体というのはそういうものなのだ。その意味も分からずに、それを貰って、持って帰るつもりだったのだろうが、そういう状態を我々は「汚聖」という。我々にとって、それは聖体の向こうにある、キリストと我々が共有し、大切にしているものが蹂躙されるということだし、それを犯してホスチアを持ち帰っても、それは洗礼を受けていない者にとってはただの物質的なパンにしか過ぎない。そこに込められたものは、そうお手軽に自分のものにできるものではないのだ。

カトリックというのは、とかく儀式として物事が行われるので、そこに引きつけられた人の中に、こういう勘違いを生じさせてしまうことがある。彼らはその儀式や、儀式で使われるものを我が物にすれば、その内奥にあるものまで自分のものにできると思っているのだろうが、それは儀式やものに「つまずいて」いるだけのことである。福音記者マルコがここにいたならば、きっと辛辣に、そして僕より簡潔に、事の真相を書いてくれるかもしれないけれど。

ミサが終わった後、Uから聞いた話によると、この女性は連れの女性と二人で、首からロザリオを下げ(これは、仏教徒が数珠を首から下げる位に不自然な行為である)、あちらこちらを徘徊していたらしい。連れの人は司祭に祝福をしてもらっただけだったのだが、この女性はホスチアを受け取った、ということらしい。ああ。この女性に、今彼女が魅かれているもののその向こう側にあるものが見える日は来るのだろうか。来てくれれば、今日、自分がしたことの意味を知り、悔い、そしてもう少しましな時間を、この教会でも、ここにいないときでも、過ごすことができるようになるのだけど。

ギャンブル小4生

僕は、一応は「センセイ」と呼ばれる立場でこの何十年かを過ごしているわけだけど、いつでもその呼ばれ方に違和感を感じている。いや、人に何事かを教える際は、今持てる力を惜しまず注ぎ込むように、そして教わる側の資質や状況を軽々に断ずることのないように細心の注意を払っているつもりだ。しかし、それでも「センセイ」と呼ばれることには抵抗を感じるし、そう呼ばれることにステイタスを感じたり、その呼び名を以て存在を主張したりする気にはなれない。困ったことに、僕は自分のそういうところが好きなのだ。こういう違和感……というか「居心地の悪さ」というか……を感じているからこそ、自分には人に何事かを教える資質があるのだと思っているし、それを無くしてしまったら、人として大事な何事かを失ったということなのだ、と思っているのだ。

僕がそういう思いを持った原因は、おそらくは僕が小学4年生だった頃にまで遡る。当時、僕は成績は良かったのだが、授業態度が非常に悪かった。教科書なんて、学年はじめの1週間で頭に入れてしまうのだが、ちんたらちんたら授業をやっているのが退屈でたまらない。だから、先生の説明を先読みしてそれを言ってしまったり、私語や、関係のない本に目を通していたり、挙句の果てには寝たり……まあ、教師からすると、実に困った児童だったに違いない。

そういう僕のことを、何人かの先生方は面白がってくれていたらしい。大分後になってからのことだけど、母が、僕の小学校の近所にある喫茶店にコーヒーの豆を買いに行って、豆を挽き終えるのを待っていたとき、店の主人から名前を呼ばれたら、横でコーヒーを飲んでいた数人の集団から、一人の女性が歩み寄って声をかけてきたらしい。

「あの…… Thomas 君のお母さまですか?」

吃驚しながらも、そうだ、と答えると、僕がいかに変わった面白い児童だったかを、その人は滔々と母に話し出したのだ、という。名前を聞いて分かったのだが、それは僕の担任になったことはなかったけれど、挨拶や世間話位はすることのあった先生だった。いや、有り難いことだなあ、と思ったのを今でもよく覚えている。

しかし、そういう先生ばかりだったわけではない。特に、4年のときの担任の女性教師は、僕にとっては最悪の教師だった。品行方正な優等生(と言っても、テストの点数は僕に及ばないのだが)を可愛がり、僕を敵視する。まあ前者は理解できるとしても、何故僕が敵視されなければならないのか。当時の僕にはそれが謎だった。ただし、ひとつだけはっきりしていることがあって、それは、この教師は僕にとって味方ではない、ということだった。この学年で、僕は1度だけだが、通信簿にひとつも5がない、というのを体験した。テストでは常に90点以上を確保していたのに、である。

そして、ある日の授業前のホームルーム。教師は、行われる学年テスト(期末テストに相当)の説明をしていたのだが、僕と目が合うなり、こんなことを言い出したのだ。Thomas のような生活態度の子に、良い成績が取れるはずがない、と。なぜ皆の前でそんなことを言われなければならないのか。さすがに僕も怒りが湧いた。そして、この先生に向かってこう言ったのである。

「先生、賭けをしませんか?僕が良い成績取れないって言うのなら、僕が100点取ったらラーメンおごって下さいよ」

今にして思えば、この教師は本当に馬鹿だったのだと思う。子供の戯言と、この時点で無視しておけばよかったのだ。しかし、なにせ馬鹿だから、それができなかったらしい。彼女はこの賭けに乗ってしまったのだ。クラスの全児童の、その目の前で。

テストが終わり、返却されてくると、クラスの児童、特に男子の間では大騒ぎになった。国算理社4科目、各2枚づつ、合計8枚のテストのうち、僕は4枚で100点を取ったのだ。そりゃあもう大騒ぎである。

「これってさあ、4杯おごってもらえるってことか? だったら1杯まわしてくれよぉ」

さあ、この女性教師がどうしたか。シカトしたのである。すべきでない約束をしておいて、まるでそれが存在しなかったかのように、完全に無視したのだ。僕はこのとき、「鉄面皮」という言葉の意味を初めて実感した。いやあ、こんなことがあるんだなあ、と思った。そして、ああ、この人は、そういう人なんだな、と思ったのだ。

有り難いことに、その反面教師としての彼女の像のおかげなのか、僕自身はそういう手合いになることなく、今日まで生きてくることができた。しかしねえ。飲み屋で飲んでいたり、食事をしていたり、あるいは友達に子供の話を聞いていて、人としてどうなんだろう、と思うような教師を目の当たりにしたり、その話を聞いたりする度に、僕の頭にはそのテストのことと、その鉄面皮の女性教師のことが浮かぶのだ。もう退職されていると思うけれど、いっそあそこで辞めておきゃよかったんじゃないのかねえ。大人になった一人の人間として言うけれど、アンタら、クソだぜ。この世に居ない方が良いんじゃないの?何が教師だ、何が教育者だ、今思い返しても、その資質の欠片すら、アンタは持っていないんだろうに。

○○以外全部××

音楽用に使っている Dell inspiron 1501 のディスプレイが突然表示できなくなった。どうやらインバータの故障らしいのだけど、インバータだけを交換したり、バックライトを自力で交換したりする気力は今はない。新しい機種に更新しようか、とも考えたのだけど、少なくとも現状のレコーディングには今以上のマシンパワーは(そりゃあればある方が良いのだけど)是非とも必要というわけではない。プラグインのセットアップの手間を考えると、現行機種のままでちょっとの間は使い続けたい。

ということで、ヤフオクで Inspiron 1501 の出物を探す。そうそう、Vostro 1000 ってのもあったっけ(ビジネスユースのモデルで、中身は Inspiron 1501 と同じ)、と探してみると、キートップが一部破損した Vostro 1000 を発見。これを落札した。どうせ僕の場合は ASCII 配列のキーボードに換装してしまうのだから、JIS 配列のキーがどうだろうが関係のない話である。

早速送られてきた Vostro 1000 をチェックする。おー、思っていたよりも程度が良い。特に ExpressCard スロットは全くと言っていい位使用形跡なし。なるほどねえ。僕のようにここに eSATA ボードを突っ込んで、とかいう奴は少数派なのか。

とりあえず HDD だけを換装してみると、若干怪しいところがあったものの、Windows のライセンスの問題も発生せず、普通通りに使える状態になった。しかし、この Vostro 1000 の CPU は Mobile Athlon 64 で、そりゃあもうクソ遅い。うーむ、帰ったら換装かなあ、と思いつつ、仕事に出掛けたのだった。

ハードな仕事から帰ってきて、一息ついたら換装作業を開始。何が苦しいって、こいつは CPU の換装のためにディスプレイを外さなければならないのだ。何なんだかなあ……と思いつつも、メインボードが剥き出しになるところまで、新旧2台をバラす。ついでに無線 LAN のボードも換装しておくことにしよう。

もともとの Inspiron 1501 に装着していたのは、ちょいとマイナーな Turion 64 X2 というCPU である。リリースされた中で二番目にクロックの速いモデルを装着していて、これとメモリを潤沢にしておいたおかげで、この年代物が未だに何とか使いものになっているわけだ。これを Mobile Athron 64 と交換して、ついでに mini PCI Express 端子に挿さっている無線 LAN ボードも交換しておくことにする。もともとここには Dell の純正ボードが挿さっているのだが、僕のもともとの Inspiron 1501 では Intel のボードを使っていたので…… Linux の方の kernel の reconfig が面倒だし。

かくして、問題なく元に戻った Vostro 1000 は、今 Debian のパッケージの更新中である。この状態で寝て、明日起きてから、音楽関連のチェックを行えば、あとはゆっくり休める……いや違う。録音の準備なんだよこれが。結局休めやしないというわけなんだが。まあ、これも性分なんでね。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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