クリスマスを迎える前に

今夜はクリスマス・イブである。まあ世間は相変わらずいつも通りの混乱具合である。

そもそも、なぜ日本では12月24日をこうも騒ごうとするのだろうか。しかも、クリスマス・ディナーにホテルなんて、生まれたときからカトリックの文化圏内にいる僕から見たらもう気違い沙汰だと思えて仕方ない。クリスマスというのは、家族で穏やかに過ごすものなので、クリスマス・ディナーにホテルなんて、何から何までアンビリーバブルである。

おまけに、なんでクリスマスにはチキン、なんて妙なルールが制定されたんだろう?確かにアメリカ人はクリスマスに家族皆で鳥のローストを食べることが結構あると思うけど、あれぁ七面鳥でしょう?それに、七面鳥を食べるのはアメリカ大陸に移民した人々の文化なのであって、あれはあくまで「アメリカ人の」クリスマスのスタイルじゃないか。それをそのまま真似するならいざ知らず、七面鳥が手に入りづらいのか、大きすぎて持て余すのか知らないけれど、所詮は代替物である鶏にああもこだわるのはどうしてなの?僕にはあのエネルギーがてんで理解できませんよ。

……と書き連ねて毒を吐いたけれど、まあこれを言い出したらキリがない。そもそも、12月25日にクリスマスを祝うようになったのは、これはもともとはミトラ教における「ナタリス・インウィクティ」が起源だという説が有力である。それに、聖書のどこをひっくり返しても、キリスト降誕が何月何日なのか、というのは見つけることはできない。

こういう事情があるから、たとえば「エホバの証人」の人々(強調しておくけれど、カトリックをはじめとするキリスト教諸派は彼らを異端としているし、僕も彼らをクリスチャンと呼ぶ気にはなれない)はこのようなクリスマスを否定する。また、ヨーロッパでは、いわゆるサンタクロースのモデルとされる聖ニコラウスの祝日を、クリスマスとは別に祝うところも多い。

まあでも、カトリックなんかはかなりおおらかなものである。「聖書にはどこにも書いてありませんねえ……でも、年に一度お祝いして、主の降誕に想いを馳せる……それでいいんじゃないですかね」まあ、どんな聖職者に聞いても、おそらくこんな返事が返ってくるに違いない。

ちなみに、我らが FUGENJI.ORG のオーナーである O は僧侶だけど、学生時代に僕が、

「クリスマスってどうするの?」

と聞いたら、

「ん?(ニヤ)ケーキは食うで、当たり前や」

もちろん灌仏会も祝うのだという。まあ、家族でケーキを食べて楽しく過ごす、というのは、カトリック的には大いに結構なことだと思うし、まあカトリックも仏教も、そんなに狭量じゃないのでね。というわけで……皆さん、クリスマスおめでとうございます。

姑息と言えば……

まあこの言葉に限らないのだけど、僕が日常会話で使う term には、どうも世間一般であまり通りがよろしくないものが混じっているらしい。僕は書き言葉にかなり近い言葉で話すのが日常習慣であって、要するに僕の書き言葉が「カタい」から、らしいのだが。まあ、僕にとってはカタかろうが柔らかかろうがどうでもいいのだけど、通じないとなるとこれは問題である。

そう言えば、2ちゃんねる用語で「ふいんき」という term がある。正確には、

「ふいんき(←なぜか変換できない)」
と書いた輩がいるらしい……もちろんこれが「雰囲気(ふんいき)」の誤用であることは言うまでもないのだが、まあこれは都市伝説のようなものだ、と僕は思っていた。

しかし、先日、ある人物のブログに目をやったところが「いちよう」と書かれているので「???」となったのだった。これだけだと分かりにくいかもしれないので、最小部分を引用すると、

いちよう考えてはありますが…
これを見て、最初の1、2分考えた。もちろん「一様」の意味ではなさそうだ。しかし……いやしかし……考えた末、これはどう見ても「一応(いちおう)」の誤用である、と結論付けざるを得なかった。「一応」を「いちよう」と読む輩が実在する(しかも僕の知り合いの中に!信じ難いけど!)ということは、「雰囲気」を「ふいんき」と読み書きする輩がいたって、おかしくはないのかもしれない。いやはや。日本の教育水準ってこんなものなのか?

さて。僕の話に戻ろう。前回の僕の書いた文章の中に「姑息的」という term が出てきたのにお気付きの方もおられるかと思う。僕はしばしばこの言葉を使うのだけど、どうも世間ではこの言葉は「一般的ではない」らしいのだ。

僕としての言い分はこうだ。「姑息」の意味なんて、小学生……は知らないかもしれないけれど、大人で日本人だったら知っていたってよさそうなものだ。「姑息」が「その場しのぎ」の意味だ、というのは、これはコモンセンスなんじゃないの?……ところが、これを言うと、おそらく100人のうち97、8人は「いや違う」と言う。「『姑息』って悪い言葉じゃないか!」と糾弾されるのだ。

まあ、悪い意味がないわけではない。goo 辞書における「姑息」の意味解説にリンクしておくけれど、「姑息」というのは、僕が上に書いた通りの意味なのだ。「姑息的」というのは、よく医者が使う表現で「姑息的治療」という言い方をすることが多い。これはまさに「その場をしのぐための治療」という意味で、たとえば、末期の食道がん患者に食べ物が通るような手術をする、なんてのが一例に挙げられるだろう。

しかし(医者はこの言葉が誤解されやすいことをよく知っていて同業者以外にこの言葉を使わないことが多いのだけど)、医者が「姑息的治療」というときには、必ずしも悪い意味で使っているとは限らない。医者はいわゆる「対症療法」の意味でこの言葉を使うことがしばしばあるのだ。それはWikipedia 日本語版における「姑息的治療」のエントリを見ても明らかであろう。

僕としては、「『ふいんき』とか『いちよう』とかしれーっと使ってるような奴らに俺の日本語をどうのこうの言われたかぁねぇや」というのが本音なのだけど、まあものを知らん奴に限って、世界は自分の見える部分だけに存在していると信じて疑わないから始末が悪い。ああ、ここ読んで「始末が悪い」の意味が分からない、とか言われそうで、なんだか厭になってきたな。「始末が悪い」というのはね、「扱いに困る」という意味ですよ。ええ。いや、本当、始末が悪いのである。

「まりん」、虐待、そしてエゴ

U は、しばらく前から1匹の猫を預かっている。この猫、名前を「まりん」と言う(本当は漢字で「真凛」と書くらしいのだけど、僕はそういう暴走族の落書きみたいな名前を自分のブログになんか書きたくはないのだ……この名前のセンスがそもそも最悪だと思うのだけど、これは U がつけたわけではないので何ともしようがない)。

そもそも、U がまりんを預かることになった経緯はどんなものか、というと、以前に U が飼い猫の「みかん」を譲渡された団体の代表から、「今現在、自宅で飼育できる限界を超えて飼育している状態なので、よかったら1匹面倒をみてはもらえないだろうか」という話を聞いて、それだったら一時的に面倒をみましょう、餌代位だったらまあもってもいいでしょう、でも医療費は病院にツケにしておくからそちらでお願いね、ということで引き受けたのだった。U に見せられた「まりん」の写真は、怯えた表情で丸まっているもので、僕はどうも、背後に何かあるんじゃなかろうか、と思っていたのだった。

U の家に連れてこられた「まりん」だったが、これがとにかく人を怖がる。僕を見て怖がるだけだったら、男性を警戒してのことだろうとも思えるのだけど、給餌やトイレの世話を一手に引き受けている U のことも一切信用しようとしない。ケージの中のトイレの陰に隠れて、撫でようとすると威嚇音を発する。U は、まあこういうこともあるだろう、と、あまり気にしていなかったけれど、僕にはどうにもこの状態が気になった。

いやあ、捕獲されるときに怖い思いでもしたんじゃないの、と U は言うのだが、とにかく執拗に人を警戒し、気を許さないこと、そして、手に何か持って近寄ったりしたときに、まるでスイッチが入ったように逃げ、隠れ、そして怯える様は、ただ単に捕獲時に怖い思いをしたためだとは、到底思えない。あたかも、「まりん」側のトラウマに触れるような何かがあって、それに触れるような行動をこちらがしたときに、先のようにスイッチが入ったように怯える……その様を見ていて、僕の頭にはひとつ大きなものが引っかかったのだった。

「なあ、まりんは、保護された後に虐待を受けていた可能性があるんじゃないか?」

最初は U も、まさかそれはないでしょう、と言っていたが、僕が何度もそう言うので、気になったようで、先の団体の代表に訊いてみたらしい。

U の聞いてきた話は恐るべきものだった。「まりん」を保護した人物は、不祥事を起こして職を追われ、保護した猫の世話ができない状態になったために、その団体代表に泣きついて「まりん」をはじめとした何匹かの猫を預けたらしい。で、その「まりん」を保護した人物は、

「どうもね、目付きが気に入らない猫がいると、そのケージに一面に紙を貼って見えなくしたり、とか、やっぱり気に入らないことがあったときに、猫をペットボトル(中身の入った)で殴って、猫が鼻血を出すようなこともあった、という話らしいよ」
「……その話は、例の団体代表から聞いてきたんだな?」
「うん」

何のことはない、僕の予想通りだったわけだ。「まりん」は、路上生活から解放されたかと思ったら、今度は気分次第で何をされるか分からないような環境に置かれ、ペットボトルで殴られるようなめに遭った。おそらくそれ以外にも、「まりん」を保護した人物は「まりん」に対して(そしておそらく「まりん」以外の猫に対しても)虐待を行っていた、と考えるのが自然だろう。

何か月かが経過して、「まりん」はようやく、人に対する警戒を緩めはじめた。僕を見たときは隠れることが多いけれど、U には擦り寄って甘えたり、床に転がって愛嬌を振りまいたりもするようになってきた。「まりん」の心は、U の毎日のケアによって、確実に快復してきたのだ。ところが、である。「まりん」を保護した人物から、

「まりんは私の保護猫です。私が責任を持って引き取ります」

というメールが送られてきたらしい。ちなみに「まりん」を保護した人物は、現在定職に就いておらず、住環境に関しても、とてもまともに猫の面倒がみられる状態だとは思えないものらしい。しかも、かつて、まりんの心にこれだけの「トラウマ」を埋め込んだ人物である。「まりん」が引き取られたら、遅かれ早かれ、また「まりん」が虐待を受けるようになることは想像に難くない。

例の団体代表も、この件に関してまともに対応する気はないらしい。その周囲の人達が、「まりん」の行く末を案じて、問題の人物の元に戻されないように尽力してくれているらしいけれど、それだってどうなるか分からない。U も、あくまで一時的になら預かれる、ということで「まりん」を預かっているわけで、そういう状態なら飼ってしまえばいい、などと簡単に言える話ではない。猫の医療費は人間と違って全額飼い主負担である。人間と比較しても「え?」と声を上げたくなる程に高いのだ。既に「みかん」というパートナーがいるのに、そう簡単に猫をもう一匹飼うというのは、無理な相談である。

え?僕が何を言いたいか、って?こうやって動物が非道いめにあうことは往々にしてあって、それは大抵は人間のせいだ、ということだ。そして、動物を非道いめにあわせている当事者は、どういう訳かそういう意識が欠片程もないらしいのだ。こんな非道い話はない、そういうことを言いたいのだ。

夜のピクニック

僕の出身高校の先輩にあたる人の一人に、小説家になった女性がいる。彼女の名は恩田陸というのだが、皆さんもご存知の通り、『夜のピクニック』という小説で、第二回本屋大賞を受賞した人である。

水戸を舞台に映画化されたこの小説の影響だろうか。最近あちこちの高校で「24時間ウォーク」なるものが行われているらしい。しかし、僕を含めたあの高校の出身者から見たら「はぁ?」みたいな話である。あの小説の舞台になっている、水戸一高の「歩く会」は、単に歩くだけの会ではないのだ。

「歩く会」は毎年開催される。この会に参加するために、水戸一高の生徒は体育の時間に 6 km 程のクロスカントリーコースを毎回走る。これは水戸一高の生徒にとっては当たり前のことなのである。そして開催される「歩く会」だが、歩くのは「集団歩行」と呼ばれる、スタートから大体 50 km 程度の地点までである。集団歩行後、休憩・仮眠をしてから、「自由歩行」と呼ばれるステージに移行する。「自由歩行」だから、もちろん歩いても構わない。遅れた生徒を回収するためのクルマに追い付かれない程度の速さで歩いていればいい。しかし、この「自由歩行」は順位をつける。だから、水戸一高のほとんどの生徒は、この「自由歩行」の 30 km 弱の距離を走るのだ。勿論、50 km を歩いた、その後に、である。

僕は水戸一高の応援団に結構知り合いがいたのだけど、旧制中学時代からの伝統を背負った彼らは、学ランに朴歯の高下駄を履いて「歩く会」に参加する。しかも旗手は旗を持って、である。下駄の鼻緒で足は惨いことになるのだが、自由歩行のとき、彼らは手に下駄を履かせて裸足で走る。僕が高校生だった時代でも、これだけキツいことをする高校生というのはそうそういなかったと思うけれど、彼らは飄々と毎年これをやるのだ。

僕はあまりこういう行事で張り切る方ではなかったのだけど、三年のときは最後だということもあって結構頑張って走った。今でも覚えているのだけど、ゴールインした後、部室棟で着替えようと思って棟に入ったとき、ふと顔を触るとどうもザラザラする。入口を入ってすぐ右側に鏡があったので、それを覗き込んでみると、顔に白い粉が付いている。手で擦ると、その粉がはらはらと落ちて、そのときようやく僕は、自分の顔に塩をふいていることに気付いたのだ。まあ、ちゃんと走ると、そういう感じである。

しかし、このような行事を毎年行っていて、しかも生徒の9割以上が完歩(感覚としては完走に近いのだけど)して、しかも僕の在学していた頃には、東大に毎年20人位入っていた。水戸一高はそういう学校だったのだ。そして「歩く会」も、単に皆で仲良く和やかに集団歩行するだけの会ではなくて、後半にはちゃんと競い合う厳しさというものがあった。だから、「24時間ウォーク」などと聞いても、僕達にしたらちゃんちゃらおかしな話なのである。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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