聖書をめぐる冒険

例の「『誰も教えてくれない聖書の読み方』新共同訳ガイド」の作成以来、聖書に関する調べものをする機会が多くなった。今回もそれに関する話を。

acta pilati という文書がある。日本では「ニコデモ福音書」と呼ばれることが多いようだけど、acta pilati という名称に忠実に言うならば、「ピラト行伝」と言うべきだろう。この「ピラト」というのは、福音書に出てくるポンティウス・ピラトのことで、要するにこの文書は、ピラトに関してヘブライ人が書いた文書の体裁を取った、いわゆる新約聖書外典といわれる文書のひとつである。

この文書に関して、調べたいことがあったので、手元の本に日本語訳がなかったかなー、と捜していて、『新約聖書外典』(荒井献 編、講談社文芸文庫)の中にニコデモ福音書の抄訳が掲載されているのを発見した。訳者は田川建三氏。『イエスという男』の著者である。田川訳なら安心だなー、と読んでいくと……

十字架の処刑(10-11章)(主としてルカ23・32以下の焼き直しであるから省略)
いやだからそこを読みたかったのになんで省略なんですかったくぉぃ。

僕が調べたかったのはヴェロニカとロンギヌスに関する記述で、そもそもこの二人(聖書にその名は出てこない)の名はこのピラト行伝に書かれていて知られるようになったはずなので、どのようにそこが描かれているのかを確認したかったのだが……なんだかなあ。ヴェロニカに関しては辛うじて、

ベレニケという名の女がいて、遠くから叫んで言った、「私は流血の病にかかっておりましたが、あの方の御衣のすそにさわりましたところ、十二年間も続いていた血の流れがなくなりました」(7章第1節)
という記述が読み取れるけどさ。

で、biblestudy.churches.netで読める英語版の "The Acts of Pilate"を調べてみると……ん? chapter 10-11 の記述は本当にルカ福音書の要約みたいな感じで、そこにはヴェロニカもロンギヌスも出てこない。あれれ?……と、全文検索をかけて納得。後日の祭司の会議のくだりで出てくるのね。

その時アンナとカヤパが結論を下して言った、
「汝らはモーセの律法の書に書いてあることを正しく読んでおる。エノクの死を見た者がいない、ということも、誰もモーセの死に言及してはいない、ということも正しい。――イエスがピラトに対して弁明をし、またなぐられたり、つばをかけられたりするのを我々は見た。ローマ兵達が茨であんだ冠を彼にかぶせた。彼は鞭打たれたあとでピラトから判決を受けた。そして、されこうべの丘で十字架につけられた。二人の泥棒も一緒に処刑された。にがりをまぜた酢をのまされ、ロンギノスという名の兵がイエスの脇腹を槍で突きさした。それから、我々の敬愛する父アリマタヤのヨセフがその屍を乞い受けた。そしてヨセフが言うことによれば、イエスは復活したのであり、三人の教師達が見たということによれば、昇天したのである。またラビ・レビの証言によれば、かつてラビ・シメオンが、この者はイスラエルの多くの者を倒れさせたり立ち上らせたりするために存在する者であり、人々に反対される指標である、と言ったということである」。(16章第7節)

上下無用

ちょっと前に言及した『カッコウはコンピュータに卵を産む』だけど、ちょっと読み返したくなって、amazon で古本を購入することにした。amazon はその起源が古本屋なのだけど、今でも和書・洋書共に古本を簡単に入手する助けになってくれている。

で、まあ極端な話、読めればいいので(カバー?帯?それ、中身と何か関係があるんですか?)、そこそこの安いものを買うわけだけど、上下巻の本でも最安値は違う店だったりするわけで、上巻と下巻を各々別の店に注文することにした。

そうしたら……あー、こうなるような気がしていたんだけど、下巻の方から発送通知が来てしまった。上巻の方はまだ何も言ってこない。なんだかなぁ。いや、読み返すものだし、下巻から読んだって問題はないのかもしれないけれど。

ちなみに、この本に登場する OS やユーティリティ、ハードウェア(DEC のミニコンも含めて)は一通り触ったことがあるのだけど、唯一触ったことがないのが VMS だったりする。さすがにねー……僕が高校を卒業した年にカトラーはマイクロソフトに移籍しているし。

(追記)上巻は在庫なしとかで業者側から注文キャンセル。何やねん。

アイドル

小中学校時代の僕のアイドルというのが三人いる。当時の僕は本があれば他には何もいらない、という位に、毎日毎日本を読んで(とか書いているけれど、かなりの時間を剣道に割いていたのが実情だった)暮していたのだけど、そんな中でよく読むようになった作家が三人いたのだった。この三人のうちの二人がカトリックだった、というのは、何とも不思議な話だったけれど(別に宗教で小説を選別する気などないのだけど)、その三人というのが、遠藤周作、北杜夫、そして井上ひさしであった。

この時期に井上ひさしを読んでいた、というと、どうもすぐに「ああ、『ブンとフン』とかでしょ」などと決めうちにかかる人がいて困るのだけど(この井上氏の小説デビュー作を読んだのは、高校生の後半だったと思う)、あの頃読んでいた井上氏の小説というと、『四十一番の少年』とか『汚点(しみ)』とかの、彼の少年時代の境遇の暗さを土台とした作品群だった。彼特有のユーモアに満ちた筆致に最初に触れたのは、たしか『モッキンポット師の後始末』だったと記憶している。

井上氏というと、共産党との関係(赤旗等に何度も寄稿しているし、彼の二番目の妻は米原麻里の妹で、やはり共産党との関係がないわけではない)や、前妻や娘が書き残しているいわゆる DV の問題が取り沙汰されているけれど、やはり人は「清濁併せ持つもの」で、あの少年期に読んだ作品群の底に漂う、一種、救いようのない暗さは、今でも印象に残っている。後に彼のユーモラスな作品群に触れるようになってからも、その印象は変わることがなかった。

もう75歳だったし、肺がんの話は聞いていたのだけれど、自分の少年期のアイドルが、また一人世を去ったということは、自らが夕暮れの暗みのような色を湛えた「老い」という領域の中に滑り込んでいく、その加速を感じたような心地がする。アイドル達同様、僕も確実にそこに近付いているということに、僕は焦りと恐れを感じるのだった。

哀しい復活祭

唐突だけど、皆さんは韓国や北朝鮮の人々に対してどのような感情を抱いておられるであろうか。僕は、たまたま(幸運なことに)小学生の頃、クラスメイトに在日韓国人の女の子がいて、その子に民団の学校の話を聞いたり、朝鮮語の教科書を見せてもらったりしたことがあったのだけど、おそらく彼女との交流のおかげで、今まで不当な差別意識を持ったりすることなく過ごしてこられたのだと思う。

こういう経緯があるし、仕事でも何人かの韓国人と知りあって、実際一緒の場で働いたこともあるし、だから、「韓国人だから」「北朝鮮人だから」(ただし、国家としての北朝鮮に関しては僕は受け入れがたいものを感じているけれど)という理由で、誰かのことをどうこう言いたくはないのだ。でも、今回だけは、ここに書くことにする。もちろん、韓国や北朝鮮の人だからといって、皆、以下に書くような人であるわけではない。これは僕自身の今までの経験からも明らかなことだ。しかし、よりによってあんな日に、あんな場で……ということに、僕が遭遇したことも残念ながら事実なのだ。そういう人もいたんだ、ということで、以下の話をお読みいただきたい。

昨日は復活祭だった。イースターと卵の話は、キリスト教に縁遠い方であってもご存知だろうと思うのだけど、キリストの受難と復活になぞらえて、この日と、前夜(復活徹夜祭というのだが)には、多くの教会で洗礼や初聖体の式が執り行われる。僕の通う教会でも、その例に漏れず、復活徹夜祭に洗礼式が、そして復活祭に初聖体の式が行われた。

こういう式が行われた後には、大抵信者が一所に集まって、ささやかなパーティーが行われるものだ。持ち寄りだったり、教会の信徒の会……婦人会だったり、地区毎の会だったり、それはその教会によって様々なパターンがあると思うけれど……が作ったりした、軽食やお菓子、そしてお茶やコーヒーが振る舞われる、いわゆる立食パーティーだ。

こういうときには、やはり心づくしの品みたいなものが出てくるもので、たとえば僕の通う教会の場合、フィリピン人の信徒が数多く来ているので、こういうときにはフィリピンの手作りの菓子が並ぶ。餅米の粉と黒糖(あるいはパームシュガーのようなものかもしれないが)を混ぜたものを蒸して、ココナツを上からかけた菓子などは、日本人信徒の間でも非常に好評で、あっという間になくなってしまう。僕も、これを楽しみにしてこのようなパーティーに顔を出しているわけだ。

今回の復活祭のパーティーで、僕は知り合いのシスターとSと一緒だった。信徒と司教の記念撮影の後に信徒会館に入っていくと、既にテーブルには様々な食事や菓子の用意がされていた。と……今年は、今まであまり見なかったものがいくつかあった。これは……チャプチェ?横を見るとキムチもある。今回の洗礼式では数人の韓国人の信徒が受洗していたので、きっとその人か関係者が持ってきたのだろう。僕は普段はこういうパーティーで腹を満たそうとは考えないのだけど、このチャプチェとキムチの横に白飯のおにぎりが盛られているのを見て、今年はがっつり食べて帰ろうかな、などと考えていた。

受洗者や初聖体を受けた子どもたちが揃い、信徒会館が人で溢れた頃合いになっても、司教はまだ現れない。これは毎度のことで、司教を過剰に崇敬する人々が群がって、司教がなかなか自由に動けないからだ。ったく……あいつら、キリスト教じゃなくて「司教様教」の信者なんじゃないの?などと毒づきながら、司教の現れるのを待っていた。

この、過剰に崇敬する人々というのが過剰に崇敬する対象というのは、何も司教だけではない。聖職者で何か信徒と交流がある人だったら、大概この手の「ファン」(うん、源義に近い使い方だよね)に群がられるものなのだ。シスターの方を見ると、こちらも御他聞に漏れず、何人かのおばさんに囲まれていた。

そのときだった。並んで立っていた僕とシスターの間に、何の言葉もなく、ずいと身体を割り込ませてきたおばさんがいた。ん、何だ?と思いつつ見ると、先にシスターに親しげに話しかけていたおばさんである。確か、近くにいる他のおばさんと朝鮮語で話していたし、チョゴリを着た人とも話していたから、どうやら韓国人か北朝鮮人らしい。何の声もかけずに人を押しやって平然としているとは、なかなかに無粋な人だな、と思ったけれど、このときは民族的な問題など考えもしなかった。

ところが……だ。このおばさんとその仲間らしきおばさん達が、パーティーの食物が載ったテーブルを包囲しているのに気づいた。何事か話しているその内容は分からなかったが、一人がテーブルの上のキムチを指差しながら他のおばさんに何事か問い、問われたおばさんが自分を指差しながら何事か言葉を返していたから、

「このキムチは誰が持ってきたの?」
「私よ、私」

などというやりとりがあったのだろう。このおばさん達、とにかくわいわいと自分たちだけで話しているのだけど、前の方で受洗者や初聖体を受けた子どもたちが紹介されているのも、司教が挨拶しているのも、全く聞こうとしない。人が前で皆に向けて話したり、こちらが前の人に向けて拍手をしたりしているのを全く意に介そうともせず、ただただ自分たちだけでかしがましく話しているのだ。

そのうち、信徒会長の音頭で乾杯がされようという段になった。皆、テーブルの上の紙コップを周囲の人達に分配し、そこにペットボトルのお茶やジュースを注ぎ合い、乾杯の準備を整えるものなのだ(これはカトリックとか日本人とかそういうことに関係ないものだと思うけど)が、先の韓国人/北朝鮮人らしきおばさんの群れは、数人でテーブルの縁を身体で固め、猛然とテーブルの上のものを食べ始めたのだ。

なし崩し的に乾杯が終わり、周囲の人達がそのテーブルの食物に手を伸ばそうにも、そのおばさん達はどこうともしないし、他人に食べ物を取り分けようともしない。僕はテーブルの上に目をやって、仰天した。先のチャプチェ……あれが、もう半分も残っていないのだ。おばさん達は猛然と食物を平らげていく。

僕はチャプチェを取るのは諦めて、紙皿に、フィリピン人の信徒が作ってきてくれた、例の餅菓子をいくつか取って、シスターとSのところに戻った。それをつまんでいたら、知り合いのフィリピン人女性が、僕がコップを持っていないのに気づいて、

「あーお茶飲めないね、今コップもらってくるから」

とコップを取ってきてくれて、僕に持たせると、手に持っていたペットボトルから注いでくれた。で、僕の紙皿に気がついて、

「それ、フィリピンのお菓子ね。どうだった?おいしかった?」

と聞く。僕が、いや前食べたときおいしかったから、これ楽しみにしてたんだ、と言うと、彼女は本当に嬉しそうに笑って「よかった」と言った。彼女が去ってからテーブルに目をやると、おばさん達は相変わらずテーブルの縁を固めていて、チャプチェの皿はもう何も残っていなかった。僕は、餅菓子とお茶をいただいてから、Sに声をかけ、パーティー会場を後にした……僕が何を言いたいか、お分かりになるだろうか。

キリスト教というのは「分かち合う」ことを非常に重んじる。限られたものを、そこにいる人皆で分かち合うこと……聖体拝領だってそうだし、こういうパーティーだってそうだ。フィリピン人の女性たちは、こういうパーティーでよく手作りのお菓子や、フィリピン風の料理を持ち込んでくれる。そして、それを出してくれるとき、彼女たちは必ず、「どうだった?大丈夫だった?」と聞く。違う文化圏の料理だから、当然人によっては苦手だったりすることがある。そういうことはないだろうか、と、彼女たちはいつでも気を配っているのだ。そして、自分達が持ち込んだものを、僕たちが美味しく食べていると、彼女たちは本当に嬉しそうな笑顔をみせてくれる。分かち合えること、そして自分たちの文化が僕たちを喜ばせていることに、彼女たちはいつでも率直な喜びを表明してくれる。やれ要理だ研修だと言う以前に、こういう彼女たちの行動は、僕たちに分かち合うことの、そして受容することの原点が、こういうところにあるのだ、ということをいつも教えてくれるのだ。

もちろん、韓国人/北朝鮮人も、そういうマインドを持っている人は確実に存在する。僕に教科書を見せてくれた女の子もそうだし、仕事で一緒だった人達もそうだった。しかし、よりによって、一番そういうマインドが求められる場で、しかも、主の復活、受洗、そして初聖体の喜びを皆で分かち合いましょう、というあのパーティーの場で、あんな哀しい思いをするとは思わなかった……そう、僕はただただ哀しかったのだ。本当に、こんな哀しい復活祭を迎えたことはない。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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