2ちゃんねる と TeX の話

2ちゃんねると TeX、とか書くと、 TeX Live にやる夫を書くためのマクロが遂に……とかいう話だと思われそう(長ぇよ)だけど、そういう話ではない。

2ちゃんねるにはいくつか TeX 関連のスレッドが存在するのだが、現在まともなやりとりが続いているのは UNIX 板内のスレッドである(\chapter{\TeX} % 第八章)。ここでは時々、TeX Q & A でのやりとりに対する独白めいた書き込みがされることがあるのだ。

書きたいことがあるのなら、なぜ TeX Q & A の方に書かないのか。それはまあ、人によって色々理由があるのかもしれないけれど、おそらく2ちゃんを読み書きしている人々の間で共通しているのは、「本家 TeX Q & A に関わるのが面倒だ」という意識だろう。これに関しては、僕もそういう気持ちが分からないでもない。技術系の Q & A の場でしばしば起こり得ることだけど、人生の貴重な時間を、この手の Q & A で「浪費」したくない、という人もいるだろうし、いやいや自分の知識や習得経路を、こういう場に「集積・資産化」すべきなんだ、という人もいるだろう。前者の人々は、プライベートや仕事の時間をこういうものに削られることを避けるだろうし、後者の人々は、むしろこういう行為も仕事やプライベートと不可分の要素がある、ということで、仕事に準ずる位の熱心さでやりとりに参加するだろう。

そういう人々は別にどういう個々の判断をされても構わないのだろうと思う。 しかし僕がこの手の Q & A を見ていて厭になるのは、まず、回答することを以て自己主張しよう、という輩の存在である。この手合いは、先の TeX Q & A では見かけた記憶はないのだが、求められる情報を周辺のノウハウも含めてフォローする、という行為を逸脱して、ある分野における不明を、人が知的活動を行う上で不可欠のものが欠けているかのようにあげつらうことで、自分を格上に見せようとしている輩、というのを、時々見かけることがある。困ったことに、こういう輩の提供する情報に限って、整理されておらず、一般性を欠くものであることが少なくない。もっと素気なく、クールに情報のやりとりをしたい身としては、この手の輩がいるだけで、げんなりしてしまうわけだ。

こういう輩は、自分の立場を上だと主張するために、狭小な己の知識を以て初学者を断じてこきおろすことがある。まあ、そういうことをされる側にとって、こんな理不尽な話はないだろう、と思うけれど、しかし、人を断じるというのと、何かしら断定的なことを言われる、というのは、言葉面上は似ていても、その内実は全く異なるものである(そうだな……愛があるかないか、位の違いは、まああるんでしょうね)。しかし、断定的なことを言われたときに、即座にそれが自分を否定しようとしていると過大に受け取るようになってしまうと、自分の耳に痛くないように、自分が教えてほしいように物事を教えるかどうか、で、回答者を断ずるようになってしまう。愛故の苦言、という概念は、そこには欠落しているわけだ。

ゆとり教育のせいなのか、団塊の世代の親にそう育てられたせいなのか、あるいは競争が激化している私学でヨシヨシされているせいなのか、こういう「してもらって当然」という妙な確信を振り回す連中が、最近はすっかり多くなってしまったような気がする。しかし、この萌芽は、実は結構前まで遡るような気がしている。

FUGENJI.ORG のオーナーである O は、僕と大学の同期である。彼は一時期、我々の在籍していた大学で実験助手をしていたことがあるのだけど、そのときに彼が僕にこうこぼしたことがある。

その実験というのは、学生に創造的な力を養わせよう、ということで試験的に導入された科目で、まあ簡単に言えば、自分で模型規模の何かを、立案・部品調達・加工・組立等、全て自分でやってもらって、最終的な完成品を作る、という、そんな科目だった。で、立案から図面を引いて……という過程で、O が学生に説明をしているときに、それを聞かずにずーっとノートにバイクの絵ばかり書いている学生がいた。O は、

「お前なあ、ちゃんと話聞いとかんとこの後何もできないぞ」

と注意した。すると、その学生は烈火の如く怒り出した、というのだ。

「……分からん。なんでそいつは怒り出したんだ?」

「分からんか? 分からんよなあ。俺もその瞬間は分からんかった。でな、その学生、顔を充血させながら、目を剥いてこっち向いてな、何て言ったと思う?」

「……分からん」

「『お前、ですか』って」

何が何だか分からない、という顔をする僕に O が言うには、その学生は今迄の人生の中で、親にも「お前」と呼ばれたことはない、それを今、なぜ自分は O に「お前」と呼ばれなければならないのだ……と吠えた、というのだ。

こういう話は、僕が大学でアクティブに教えていた頃からちょくちょく聞いた話である。年とともに、そういう話は増えていき、そして、仲間連中の間では、もうそういう話をするだけ阿呆らしいから、と、話には上らなくなった。しかし、話のネタの方は、年々、確実に増殖してきて今に至るに違いあるまい。

TeX Q & A の 56561 番のコメントなぞは、まさにこういう手合いの典型のように思えてならないのだが、2ちゃんねるの TeX スレッドでは、こういう手合いが湧いて出る度に、生ぬる〜いやりとりが展開される。この手合いに、学び方まで含めて教えることに、報われようのない時間を空費するよりは、そうやって距離を取ってウォッチングするのに徹している方が、実は賢いのかもしれぬ。

latex2html (2)

昨日に続いてこの話を。

latex2html だけど、思ったよりちゃんと変換をしてくれる。ルビを使っているとその部分がうまく変換されない(HTML はルビを扱えるのだけど)、というのと、OTF パッケージを使用している場合に変換がうまく行えない(これは想定の範囲内だった)、ということはあるけれど、たとえば論文とか、何かのソフトのドキュメントとかを変換するのには、たしかにこれは重宝しそうである。

……などと思っていたら、例の TeX フォーラムの質問者が、「文字化けがまだ解消されない」と書いている。よくよく聞いてみると、\documentclass に article を設定していると文字化けが生じ、jarticle を設定していると文字化けが生じない、という。

あー、なるほど。おそらくこの人は、TeX / LaTeX レベルのことしか見えなくなってしまっているに違いない。日本語の HTML の文字化けのかなりの割合が、charset の不適切な設定に起因する、ということは、僕にとっては基本的な経験則なのだけど、ほとんどの人にとってはそうではないのだろう。

質問者が提示してきた2種類の LaTeX document から DVI ファイルを生成してから、latex2html で HTML ファイルを生成して比較をすると……ああ、やっぱり。article を指定した方の LaTeX document から生成した HTML ファイルには、

<META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html; charset=UTF-8">
がない。これが、質問者が「文字化けする」と言う原因に違いない。

HTML において META タグで charset を明示することは must ではないはずなのだ。たとえば、僕の手元の HTML document では全て META タグで charset は管理しているのだけど、万が一これが欠落していても、それで確実に文字化けする、ということはないはずだ(誤った charset を明示していたら、ほぼ確実に化けると思うけれど)。まあでも、質問者の言う「文字化け」の原因は、これ以外にはちょっと思いつかない。

latex2html に charset を指定する META タグの生成を強制するためには、~/latex2html-init 内に、

$charset = "UTF-8";
と明示しておけばよい。一応その旨回答しておいたけれど……うーむ。META タグでの charset 設定がないと確実に文字化けする環境だったら、たしかにここでハマる可能性はあるかもねえ。ただし、複数種類のブラウザで検証していたら、このことには早々に気付きそうな気もするけれど。生成された HTML document の diff をとってみる、とか、思いつかないものなのだろうか……いや、責める気は毛頭ないですよ。確かにハマるかもしれないからね。

latex2html

僕は普段は HTML document は一からテキストエディタ(ほとんどの場合は Emacs)で書く。テンプレート代わりに使えるファイルがいくつか手元にあるのを使うことはあるけれど、この場合も例によって例の如くマクロや統合環境のようなものは使わない。この blog は少々楽をさせてもらっているけれど、これにしたって各エントリ内のタグは全て手で書いている。

TeX / LaTeX で書いた文書を HTML 化するとき、あるいはその逆のときには、変換用のフィルタをいくつか書いてあるので、これをその都度モディファイして変換処理をする。だから、latex2html の存在は(おそらく登場したばかりの頃から)知ってはいるわけだけど、あまり使うことがなかった。

昨日のことだけど、毎度おなじみの TeX フォーラムで、latex2html に関する質問が放置されているのに気付いた。このサイトに集まっている人々は(voluntary なものだから誰かを責める気はないけれど)自分達の興味があれば trivial なネタに溢れんばかりの情熱を注ぐのに、自分の興味のないものに関しては放置する傾向が強い。まあ、最近の patch の状況とかもあるだろうしなあ、と、丁度いい機会だったので、自分でも調査がてら install してみることにしたのだった。

latex2html の開発状況は、2002 年までは比較的活発だったようだが、現時点では 2008 年にリリースされたバージョンが最新である。日本語で書かれた文書を処理するためには、新潟工科大学の竹野茂治氏が作成・公開されている patch を適用する必要がある。

これはおそらく Google のせいだと思うのだけど、「latex2html 日本語」などのキーワードでググると、検索順位の最上位に来るのは:

http://takeno.iee.niit.ac.jp/~shige/TeX/latex2html/ltx2html.html
である。ここを斜め読みしていると読み飛ばしてしまうのかもしれないが、上記 URL の文書内に、『開発版の日本語化パッチのページ』:
http://takeno.iee.niit.ac.jp/~shige/TeX/latex2html/current/l2h-current.html
という文書へのリンクがされていて、こちらの方で latex2html-2008 に適用するための patch が公開されている。

これを書いている時点で、上記リンク先で公開されているアーカイブを展開すると、2種類の patch が出てくる。

  • l2h-2K8-jp1.10b2.13.patch
  • l2h-2K8-jp2.1b1.13.patch
というファイルなのだけど、jp1 の方は nkf をフィルタとして使うように書かれていて、jp2 の方は日本語のコード変換をしないように書かれている。竹野氏の書かれている文書によると、いわゆるシフト JIS を使うシステムの場合、nkf を通さないと変換がうまくいかないケースがあるので、この2種を同梱されているようだ。

手元の端末に l2h-2K8-jp2.1b1.13.patch を適用・インストールを行った際のログにリンクしておく。まあ、他には特に注意すべきことはないと思うのだけど……先の質問を書かれた方は未だうまくいかないと書かれている。うーん。こちらでは呆気なく使えるようになってしまっているのだが……

着メロを作る

先回書いた着メロの件について。

前にも同じようなことを書いたけれど、僕が着メロを「作る」というのは、多くの場合、気に行った曲のイントロ部分を抜き出して、携帯での着メロとしての再生に特化したリマスタリングを行ったファイルを作ることである。

一例として、以下のふたつの mp3 ファイルを示す:

……まあ、何をやっているかは一聴瞭然であろう。要するに、原曲のダイナミックレンジをコンプとリミッターでがっつり潰しているだけの話である。当然だけど、このような処理を施したサウンドファイルは音楽作品としての鑑賞には耐えない(いやこっちの方がいい!という方は、早めに耳鼻咽喉科に受診されることをおすすめする)。こういうことができて(最大前提として、こういうことに使う音楽の原盤をちゃんと購入・所有していて、個人の楽しみを超えた行為……ファイルの授受とか……がない上で)あとはサウンドファイルのフォーマット変換に関して若干の知識があれば、基本的にはどんな音源でも着メロにすることができる。

僕はこういう行為には何らオリジナリティがないと思っているので、これは単なる操作だとしか思っていない。世間では「リマスタリング」という言葉を耳目にしただけで噛み付いてくる妙な輩がいるのだけれど、僕はそもそも自作曲を自分で演奏・録音するので、こんなところでオリジナルティを主張する気もないし、その必要もないのだ。だから噛み付くだけ無駄というものである。

しかし、この「何でも着メロ」、もちろん著作権侵害がないように細心の注意を払うべきであるが、それ以外にも問題がある。どうも、着メロに適した曲とそうでない曲があるようなのだ。たとえば、以前僕は James Brown の "GET UP I Feel Like Being Like A SEX MACHINE [Part 1]" を着メロにしていたことがある。冒頭部の喋りをカットして、JB が One, two, three, four... とカウントするところからにしてあったのだけど、いきなりこれが鳴るのは非常に神経によろしくない。

で、少しは違うものにしようと思って、四人囃子の "Lady Violetta" にしてみたのだが、これが SEX MACHINE に負けず劣らず心臓に悪いのだ。

電話を待っていて、これが鳴り出すというのは、本当に神経によろしくない。僕はこれのせいで(いや、僕は本当にこの曲は好きなのだけど)電話恐怖症になってしまい、正直言って今もその影響から抜け切れていない。

自分で音源を作って使うこともある。手抜きをして誰かのカバーで……ということもあるのだけど、これも曲を選ばないと同じことになる。例えば……

これは、原曲を聴き返しもせずに打ち込んだ、吉田美奈子の "Monster Stomp" の冒頭部である。本当はクラビで弾いているところは松木恒秀氏のカッティングなのだけど……いや、そんなことはあまり関係がない。これも着メロにはあまり向いていないようだ。いい音楽だからといって何でも着メロにできるというわけではない、ということのようである。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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