なぜ僕がiPodのファイルを非圧縮にしているか

昨日、Al Kooper の話を書いたときに、彼のアルバムを非圧縮で iPod に入れている、と書いた。しかし、どうも、こういうことを書くと各方面から色々とチャチャが入るもので、

「そんなん区別なんかつかないでしょう」

と言われた。ここではっきり言っておくけれど、圧縮の有無は確実に聞き分けられます。できない人には支障はないんでしょうけれど、僕にとってはこれは非常に大きな問題なんです。

こう書いても、じゃあ実際に例を提示してみろ、と言われそうだから、提示しておくことにする。

老婆心ながら書き添えておくけれど、これらの音源は、曲を書いたのも僕だし、アレンジ(ストリングセクションのアレンジは僕みたいな音楽指向の人間にとっては教養の一部なので)も、演奏(と言っても半分はコンピュータに演奏させているわけだが)も、録音も編集も全部僕がやっているので、著作権がどうとかいう問題は一切なしなので念の為。

こういう管弦楽モノより、実はロックなどの方が違いは分かりやすい。特にピアノや、ハイハット、シンバルのような倍音成分の豊富なものは、改めて聞き直していただくとその違いを実感していただけることだろう。

反・元ネタ探し

昨日、ふとテレビで耳にした "Jolie" が忘れ難く、納戸の奥から Al Kooper の "Naked Songs" を出してきて iTunes に入れてみた。最近はこういう場合は問答無用で wav フォーマットで(つまり無圧縮で)入れるので、常用している SONY MDR-CD900ST で聞くと、こう何と言うか、乾いた魂が潤うというか、そんな気がする。

このアルバムに入っている "Jolie" という曲は、本当に好きな曲なのだけど、この曲に関する世間の人々の物言いが厭で、それもあってかしばらく遠ざかっていたのだ。とにかく、この曲の名前が出ると、したり顔で、

「これってさあオリラブの元ネタだよね」

"Deep French Kiss" ってこれの丸パクリだし」

「達郎の "Blow" も丸パクリだよねえ」

ぺっぺっぺっ、自分で曲も書かねぇ奴等がどうのこうの言うんじゃねえよ、と唾を吐きたくなる思いがする。確かに似ているところがないことはないだろうけれど、ちょっと似てれば「元ネタ」「パクリ」(最近だと「引用」)って、そういうものではないだろうに。サンプリングしてるとかいうんならまだしもさ。

この曲のリフも、そしてバック(おそらくアトランタ・リズム・セクションだと思うのだが)も、そして管弦楽のフレンチホルンみたいな位置付けで入ってくるシンセ(これは……オデッセイ?)も、僕にはたまらなく愛おしいのだ。それだけで十分だし、もう iPod にも無圧縮で入れたから、しばらくの間は折に触れては聞き返すことだろう。それ以外に望むものなんて、何もないのだ。

Now, sketching

この2、3年程、曲のスケッチを作るのには専ら打ち込みを使っている。以前はギターで弾き語ったのを録音したり、歌詞に曲のイメージ(コード進行とか、リズムの核になるところとか)を書き添えたりしたものを保存していたのだけど、最近は Cubase を立ち上げてごにょごにょやっていることが圧倒的に多い。

打ち込みと言えば、実は、このところ groove の問題で非常に苦しんでいる。数値でそういうずれを打ち込んで解決するならそれはそれでいいのだけど、実のところ、使っている音源の立ち上がりの問題が非常に大きくて、たとえば僕がドラムでよく使う Addictive Drums で、ハイハットの立ち上がりがどうだからこのグルーヴを出すときにはこれだけ前ノリ、みたいなことをやっていると、煩雑で気が狂いそうになってくる。

こうなってくると、昔の Isley Brothers みたいに、稚拙でもいいから自分でドラムを叩いて……みたいな話になってくるのだけど、ひとりでスタジオに篭ってドラムを録るというのは大変なことで、これはこれで苦痛である(なまじ叩けるだけに始末が悪い)。かと言って、いわゆるループを使う気にもなれそうにないし……困った問題なのである。

まあ、結局は Cubaseを立ち上げて、ちょっとスケッチを進めて、Linux に戻って、気が向いたときにはまた Windows に戻って Cubase を立ち上げ……というのが何度となく続く。こうやって曲ができてくるのだけど、しかしなあ。なんか人生の無駄遣いみたいでねぇ。

音名と階名の違い

U は、毎月一回行われる日曜の夕方の日本語ミサで使う聖歌の譜面にローマ字をふるボランティアをしている。これがひどい話で、その日本語ミサのときに、来ている日本人が誰も歌を歌わず、それを見るに見かねたフィリピン人の信徒達が、

「私達が歌うよ」
「でも日本語読めないから、ローマ字を譜面の下に書いてくれるとうれしいんだけど」

という話になったのだという。そもそも、カトリックのミサにおいては、歌というものは欠かせないもので、あれだけガン首揃えていて日本人が皆歌わない、というのは実にふざけた話だとしか言いようがないと思うのだけど、そう言って腹を立てている僕を前に U は、

「そんなこと言ったって、歌わないものはしようがないでしょう。私は、歌ってくれるって言う人のためにできることをするから」

と言い、月に一度(他の週の日曜の夕方は、タガログ語や英語でミサが行われている)の日本語ミサが近付いてくると、典礼聖歌集をスキャンしてローマ字でルビをふる作業を黙々とやっている。U に付き合ってその日本語ミサに出るときは、僕はわざと大声で歌うようにしているのだけど(本当に、あれだけガン首揃えて何をやってるんだ、あいつらは)、グレゴリオ聖歌の例を挙げるまでもなく、カトリックの典礼において歌というものは重要な意味があるので、こういうことをちゃんとやろう、というのには、僕も少しは助力しなければならぬ。

で、U がその譜面を準備しているときに、ふと僕にこう聞いたのだった。

「あのさあ、これの主旋律って歌うとどうなるんだろう?」

その譜面の一部を以下に示す:
典礼聖歌集266番

「あー……えーと、フラットが二つだから、ドレドシラシラソー、だな」

と、これを聞いて U が混乱を示したのである。

「え?ド?なんで?」
「え。『なんで?』って、なんで?」

あーそーか。U は子供の頃エレクトーンを習ってたんだったな。ひょっとして……

「……ひょっとして、最初の音がシじゃないの、とか言いたいわけ?」
「そうそう」
「いや、そうじゃないんだよ。これはフラットが二つだから、えーと、長調で言うと変ロ長調だろう?」
「うん」
「だったら B♭がドだよ」
「え?ドはドなんじゃないの?」

あ゛〜、やっぱりそうか。

「あのさあ、音名と階名は違うんだよ。分からんか?」
「え?だって、そんなの習ってないもの」

いや、別に U が怠慢なわけではない。おそらく U は本当に習っていないのだ。

音楽に関する情報交換をする上で、ある音を示すときには、実は二つある情報のどちらを、あるいは両方を示さなければならないのかを知らなくてはならない。たとえば、先の譜面の一番最初の音は、鍵盤で言うと:
keyboard-null
なわけだけど、「この音は何?」と聞かれたら、僕の場合は「B♭(ビーフラット)」と答えるだろう。これは英語圏の言い方で、クラシックの教育を受けた人だったら、ドイツ式で「B(ベー)」と言うだろうし、日本式で言うなら「変ロ」ということになるだろう。逆に、「その『B♭』っていうのは何?」と聞かれたら、「それは音名だ」と答えるだろう。そう、これが音名である。

しかし、
典礼聖歌集266番
を示されて、この旋律はどんなの?と聞かれたときが問題になるのである。おそらくクラシックの教育、もしくはそれに類する鍵盤楽器の教育を受けた人だと、

「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」

と答える人が、少なからず存在するだろう。これから説明を書くけれど、おそらくこれは、聴音などで音名を取らせるのに、難しいことを教えるのを避けて、音名と階名を混同して教育した結果なのである。

そもそも、さっきから僕は「音名」「階名」と書いているけれど、それって何なの?という話になると思うので、僕が理解している範疇で説明しておく。まず、「音名」というのは、これは音の名前である。調が何か、ということには依存しない。いついかなるときにも、
keyboard-Bb
は「B♭(ビーフラット)」もしくは「B(ベー)」、「変ロ」である。平均律であれば、これは「A♯(エーシャープ)」もしくは「Ais(アイス)」、「嬰イ」に等しい。

これに対して、階名というのは、その旋律を支配する音階の中のどの位置にその音が存在しているのか、ということを示す。たとえば先の:
典礼聖歌集266番
の場合、譜面の頭、B と E の場所にフラットがついていて、これはこの旋律の調が長音階で言うと変ロ長調(英語なら B flat major、ドイツ語なら B-dur)であることを示している。だからこの旋律の乗る音階の主音(ドの音)は変ロ = B♭である。つまり、

変ロ長調の階名と音名
階名 ファ
音名 B♭ C D E♭ F G A

ということになる。「いやこれぁ短調だ」とか(頑なに)言う人があるいはおられるかもしれないけれど、変ロ長調がト短調(英語なら G minor、ドイツ語なら G-moll)になっても、階名には何の変わりもない。いずれにしても、上表の対応関係に、先の譜面の音符をあてはめると、その階名は「ドレドシラシラソ」となるわけだ。

ではなぜ U は「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」と答えたのか。実は僕は U 以外にもこういう階名の読み方をする人に何人か会ったことがあるのだけど、おそらくは、幼少の折に聴音などの教育を受けたときに、指導者が、上に書いたような音名と階名の違いを子供に教える煩雑さを嫌って、「音名 = ハ長調・イ短調の階名」として教えてしまった結果だと思う。

もう少し正確に書くと、「音名 = ハ長調・イ短調の階名」という前提で、たとえば「シとミがフラットかかって、シドシラソラソファ」と歌うのを「音名唱(固定ド唱)」、その調の階名で、たとえば「ドレドシラシラソ」と歌うのを「階名唱(移動ド唱)」という。ある程度の歳になるまで音楽教育を受けた人は、当然こういった(楽典に書かれているような)ことは知識として知っていて、本当はその調性に合わせて階名唱を行うべきだ、というのを分かっているはずなのだけど、こういうのを「三つ子の魂百まで」と言うのだろうか。

先日、ピアニスト・女優の松下奈緒氏がテレビに出ているのをたまたま観る機会があって、そのときに、対談相手がグラスを叩いたり、救急車のサイレンを聞かせたりして音名を答えさせていたのだが、松下氏は、「これはソのシャープですね」「これはミですね」と答えていた。まあ普通の人にも分かるように、ということなのかもしれないけれど、あるいは松下氏も、音名をさっと言うときに、U のような言い方をするのかもしれない。勿論、僕がここに書いたようなことは知っている、その上での話なのだけど。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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