藁の中の七面鳥?

以前にここで書いたかもしれないが、Wikipedia における山下達郎のアルバムの大体半分位の解説は僕が書いている。これは本当に、たまたまそうなったとしか言いようがないのだけど、その関係で Wikipedia の記述を未だにちょこちょこ修正していることがある。

で、達郎氏の CIRCUS TOWN(氏のソロデビューアルバム)に関する記述をちょこちょこ直していたときに、ふと考えたのだった。このアルバムの1曲目に入っている CIRCUS TOWN という曲の冒頭に、ピッコロで演奏された短いパッセージが挿入されているのだけど、これって昔の何かの曲の引用だったよな……あれ、この曲って何だっけ?

この短いパッセージというのは以下の通りである:
http://www.fugenji.org/~thomas/music/CIRCUS_TOWN-snippet.mp3

まあ、こういうときはMusipediaで探してみるのが早いだろう……と、そのパッセージをフラッシュの鍵盤で打ち込んで検索すると……ん? Vjezd gladiátorů ? なんだろうこれ……と、聴いてみると、確かにそう、この旋律である。

で、google で Vjezd gladiátorů を検索してみると、ユリウス・フチークの『剣闘士の入場』という曲だということが判明した。フチークはチェコの音楽家で、主に軍楽隊のために曲を書いたことから、アメリカにおけるスーザ(John Philip Sousa……「マーチ王」と呼ばれ、『星条旗よ永遠なれ』の作曲者として、またスーザフォンの考案者としても知られる)と並び称されるブラスバンド音楽の作曲家である。以下に:
http://www.worldfolksong.com/anthem/lyrics/pat/entry.htm
で公開されている『剣闘士の入場』の MIDI ファイルを示す:
http://www.worldfolksong.com/anthem/midi/pat/entry_gradiators.mid

……って、この MIDI ファイルで聴くのはあまりに酷いので、YouTube で探してきたのもリンクしておく:

皆さんは、この旋律を聴いた記憶がおありなのではないだろうか。この曲は、サーカスでピエロが登場するときのテーマソングとして、世界共通で用いられている曲なのだ。CIRCUS TOWN のアレンジを行ったチャーリー・カレロはブラスバンドのアレンジなどにも造詣が深い人物なので、この引用は実にうまいとしか言いようがない。

しかし、どうも僕には、こう小骨が喉に引っかかったような感じが残ってしまうのだった。そう言えば、このアルバムがリイッシューされたときに達郎氏が自ら書いたライナーノーツに、この引用に関する記述があったはずだ……と調べてみると、この旋律が『藁の中の七面鳥』という曲からの引用である、と書かれている。ん?

もう10年以上前から、僕はこの記述を目にしていたはずなのだけど、そもそも『藁の中の七面鳥』ってどんな曲なのか、調べようともしていなかった。で、調べてみると……ん?『藁の中の七面鳥』って、オクラホマ・ミキサーのことなのか?

オクラホマ・ミキサーと聞いて、皆さんがさくっと旋律を思い浮かべられるかは分からないけれど、フォークダンスなんかで一度くらいは旋律を聴かれたことはおありだと思う。以下に:
http://www.worldfolksong.com/songbook/usa/turkey.htm
で公開されている『藁の中の七面鳥』の MIDI ファイルを示す:
http://www.worldfolksong.com/midi/folksongs/turkeyst.mid

……この MIDI ファイルもあまりにひどいシロモノなので、この曲に関しても YouTube から引っ張ってきた。

とにかく、これはどう考えても、『藁の中の七面鳥』というのは書き間違いだとしか思えない。ひょっとしたら現行の CD のライナーノーツでは修正されているかもしれないが、忘れないようにここに明記しておく。

CIRCUS TOWN 冒頭にピッコロで演奏されるパッセージは、本作 CD のライナーノーツには『藁の中の七面鳥』からの引用であると記されているが、これはユリウス・フチークの《剣闘士の入場 Vjezd gladiátorů 》(サーカス公演における道化師の登場時によく聞かれる曲である)の誤りであると思われる。

知らない人は哀しさすら解らない

ニコニコ動画を覗いていると、現在の音楽というものに関して、つくづく考えさせられることがある。ほんの少し、新しさの希望を感じることがあるかもしれないけれど、多くの場合、感じることといえば絶望の方が圧倒的に多い。

たとえば、この間の『俺の妹が……』のときのこと。他の人々がどんなデモを出しているのか、試しにいくつか聴いてみて、結局ほんの3、4本でやめてしまった。かなりの割合で、vocaloid(いわゆる『初音ミク』のような人工発声ソフト)を使っているし、歌を入れている場合でもほとんどが autotune で補正をかけていたからだ。

autotune というのは、いわゆるピッチチェンジャーの登場と共に概念的にはあったようで、ブラックミュージックなどで密かに使われていて、「あれこれヴォコーダーじゃないよね?」などと思ったことがちょこちょこあったのを記憶している。で、そんな風に、もともとはあまりポピュラーなものでなかった autotune が世間で広く認知されるようになったのは、おそらく Cher の "Believe" が最初だろうと思う。

Cher という人は大変にキャリアの長い人である。元旦那の Sonny Bono とのデュオ "Sonny & Cher" でデビューしたのが1964年、しかもそれ以前は Sonny Bono がかの Phil Spector の Gold Star Studios で働いていたのが縁で、あの "Be My Baby" をはじめとする数多くの Phil Spector のプロデュース曲でコーラスをやっていたのだという。歌唱力に関しては何も問題はない。いや、実際うまいんですよ、この人は。本当に。

そんな彼女がシンガーとしてやや低迷していた90年代の終わりに出たこの曲は、実はアメリカに先行してヨーロッパで発売されている。欧州各国でトップチャートを記録してから、アメリカで堂々のトップを獲得しているわけだ。これはこの "Believe" を今聴くと実に真っ当なやり方であることがよく分かる。要するに、ヨーロッパのクラブ寄りの人々を起爆剤と位置づけて、実際見事に火をつけることに成功したのだ。

Cher が autotune を使ったのは、勿論稚拙なヴォーカルを補正するためなどではなく、autotune による「不自然さ」をアクセントにするためだ。日本でも、当初は実際そういう使われ方をしていた、はずだった。それがどうもおかしくなりだしたのは、おそらく中田ヤスタカがプロデュースする Perfume が売れ始めてからだ、と思う。

Perfume における中田ヤスタカの方法論は実は明快で「Perfume の3人のヴォーカルラインをエレクトロニカ的視点で楽器とシームレスに扱うこと」である。要するに、autotune をがっつりかけたあの3人のヴォーカルは、オケの上に乗る歌ではなくて、エレクトロニカ的論法(音楽の構成要素をマテリアル化するような処理を施し、配置する)に則って配置された、オケを構成する音ともはや区別されない要素として扱われているのである。

トータルとしての音楽制作においては、これはまあ一手法としてオッケーなんだろうと思う。しかし、もし Perfume を世間の多くの人々が思っているようなポップアイドルとして捉えようとすると、この方法論は実に大きなパラドクスを生んでしまう:あの3人の女の子は「アイデンティティを主張する」のではなく、「アイデンティティの喪失によるポップなキャラクター化」を以て差別化されているのである。じゃあ、あれがあの3人の女の子である必然性は何処にあるのだろうか?こんなことを書くと Perfume のファンの人達には申し訳ない気がするんだけど、Perfume があの子達である必然性すら、実はとっくの昔に喪失しているのである。

僕も、決して上手い方ではないけれど、一応は自分の曲は自分で歌う。歌う以上は自分が歌うんだから、そこにアイデンティティを主張することすらあれ、それを消すようなことをするわけがない。だから僕は、autotune を使うくらいなら、喉から血が出てでもリテイクを重ねて自分の歌を録音するのである。しかし、どういうわけか、世間ではいまや僕のようなのは少数派である。

個性をコントロールできないなら抑制した方がいい、という、世間の方法論の行く先は、ちょっと考えれば想像がつく。もはや人が歌う必要すらないのである。だから「初音ミク」がこれほどまでに普及したに違いない。mixi などで音楽関連のコミュニティに入っていると、初心者を自称する人のどうしようもない程愚かな質問に嫌気がさすものだけど、実際、彼らのほとんどは「初音ミク」を使っている(使えているかどうかは怪しいところだけれど、少なくとも「持っている」「使おうとしている」のは間違いない)。まあ、世間の現状は、こんな感じなのである。

時々、僕もそういうものを使うことがあるのだろうか?と考えることがある。しかし、どう考えてもそういう気にはなれそうもない。僕が「歌」という言葉で思い浮かべるのは……古いところだったら藤山一郎とか、少年時代から死ぬ程聞いている山下達郎とか、吉田美奈子とか、大滝詠一とか、あまり知らない人が多いかもしれないけれど小坂忠とか、西岡恭蔵とか、いや永ちゃんでもクールスでもシャネルズでも、何でもいい。歌ってそういうものなんじゃないの?僕にとって「歌」ってのは、機械なんかなくったって、風邪ひいてガラガラの声でも絞り出すことがあって、それが自分の何かを表出するのに重い重い意味を持つものなのだ。そうじゃない「歌」なんて、僕には到底考えられない。

ふとこんな言葉を思い出した:「仏作って魂入れず」いや、Perfume の曲に魂がこもってない、とまでは言いませんよ。でも、もしこもっているならば、それはあの3人の女の子の魂じゃないと思うんだよな。だって、あんなフィルタリングされた声にこもる魂がもしあるならば、手法としてのフィルタリングを駆使「している」人のものであって、素材に成り下がった声の主のものじゃないと思うもの。僕のこういう考えって、何かおかしいんでしょうかね?

『愛のテーマ』 ("Love's Theme" by Barry White's Love Unlimited Orchestra, 1973)

昔あれだけ聴いた曲なのに、誰の何というタイトルなのかが分からない……ということはちょくちょくあるものだ。僕も何度かその悩みに動かされて音源を探してきた。

最近は便利な時代になったもので、メロディを符号化して類似性を検討するタイプの「メロディ検索エンジン」なるものがいくつか公開されている。それらの中で僕が使うことがあるのはMusipediaなのだが、今日は昨日に引き続き、暑い夏を少しでも過ごしやすくするための(以前、最初にこの Musipedia を使ってみたときにタイトルを特定できた)曲を下に引用する。

この曲は、キャセイパシフィック航空がイメージソングとして使っていたために、子供の頃から日常的に耳にしていたのだが、今ちょっと調べていてびっくりしたことがある。

皆さんは、このようなインストゥルメンタルのダンスチューンというと、おそらく Van McCoy & the Soul City Symphony の "The Hustle" を連想されるのではないかと思う。

この "The Hustle" がビルボードでトップチャートを記録したのは1975年の夏のことである。しかし先の "Love's Theme" は、実はその前年、1974年の初頭にビルボードでトップになっているのだった。ちなみにインストゥルメンタルの曲がビルボードでトップを取る、というのはかなり珍しいことらしい。

そうだよなあ……実際、こういう曲が僕の音楽的原体験なんだろうと思う。テレビやラジオが歌謡曲漬けになっていたとはいえ、探せばまだ The Beatles のアニメとか、今回引用したような曲とか、ふつーに聴くことができたし、実際探して聴いていたわけだし。その体験は、勿論今の僕の嗜好にも色濃く反映されているんだろうと思う。

ノッテケノッテケ

最近、ホンダの CM で、波にのせてクルマの絵を出してきて、マスコットキャラクターが1車種出てくるたびに「のってけのってけ」と言う……というのが流れているのだけど、

「うーん、これ見て分かる人って今はどれくらいいるんだろうか」

などと要らぬ心配をしてしまう。

昔、いわゆるサーフィン&ホットロッドブームというのがあった。もともとは instrumental のバンドがその主流を占めていたのだが、Jan & Dean などが先駆けとなって、やがてはあの The Beach Boys などが登場する、アメリカ西海岸の一大音楽ブームである。しかしながら、このブームの中で登場した数々のバンドは、実はアメリカでは言うほど「売れて」はいない。The Beach Boys なんかは例外中の例外で、あの "Misirlou"(The Beach Boys はデビューアルバムの ”Surfin' USA" でこの曲をカヴァーしている)で有名な Dick Dale も(いや、彼は Capitol と契約してたんだからまだ売れてる方なんだけど)全米規模でいうとそれほどの大ヒットに恵まれたわけではない。彼の "Let's Go Trippin'"(これも The Beach Boys が頻繁にカヴァーしていた曲である)が全米チャートでは60位というから、やはり西海岸の局地的ブームというべきなのだと思う。

さて、そんなアメリカ西海岸シーンの中、1963年に結成された The Astronauts というグループがあった。アメリカでは実はあまり成功していないバンドなのだけど、日本では(どういうわけか)かなりの人気があった、らしい。もちろん日本のエレキブームがその背景にあったわけだけど、先の Dick Dale が確立した「スプリング・リバーブを深くかけたリードギター」を、これでもか、とばかりに前面に押し出したサウンドが、おそらくは日本での人気の理由なのだろうと思う。

大分前置きが長くなってしまったが、その The Astronauts の "Movin'"(邦題『太陽の彼方に』)という曲をご一聴いただきたい:

この曲が、日本のエレキブームに乗っかって(アメリカではヒットチャートにも乗っていないのに)局地的なヒットになった。この時代、アメリカのヒット曲は日本人がカヴァーして人に知られるようになる、というパターンが多かったわけだけど、この曲もその例外ではない。1964年に寺内タケシとブルージーンズ(『エレキの若大将』でご存知の方もおられるかもしれない)の演奏、タカオ・カンベ(この人は東映の大部屋俳優だったらしいが、この時代の欧米の楽曲の訳詞……といっても漣健児と同じで超訳だけど……を数多く残している)の詞、そして藤本好一の唄でカヴァーされている。

これが、先の「のってけのってけ」のルーツである。この8年後にゴールデンハーフ(全員ハーフ……本当は一人日本人が混じっていたんだけど……のガールグループで、スリー・キャッツの『黄色いサクランボ』のカヴァーで有名)もこの曲を再カヴァーしているのだが、こちらの方でご存知の方もおられるかもしれない(今回聴き返して、ファズ・ギターの音がいいのでちょっとびっくり)。

いずれにしても、僕より下の世代でこの辺の曲のことを知っている人なんて、果たしてどのくらい存在するのか疑問だし、知らない人もきっと何の疑問も持たずに聞き流しているんだろうなあ……などと思うと、ちょっと哀しくなってしまう。引っかかったら、まあ「ググれカス」とまでは言わないけど、ちょっとは調べてみましょうよ。ちょっとだけ豊かになれるんだから。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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