Nobel Prize Live Test

……というわけで、今年は UCSB の中村修二氏は受賞を逃したわけだが、iPS の山中氏にしても、この中村氏にしても、今後10年以内にはほぼ確実に受賞するだろう。だから、今回受賞しなくとも、何も問題はない。

問題があるのは、むしろ医学生理学賞の方だ。ラルフ・スタインマン氏が受賞していないとしたら、おそらく受賞していたのは審良静男大阪大学教授であった可能性が極めて高いのだ。これに関して日本のマスコミがあまり騒いでいないのがどうにも分からないのだけど……

無責任な発言者達へ

先日のことだが、アメリカの科学衛星である UARS が大気圏に突入し、破片がどこに落ちるか分からない、ということで騒ぎになったことがあった。地球上の人間に当たる確率が 1/3200 ということで、イギリスではブックメーカーの賭けの対象にもなったらしい。

このときのことだが、僕は怒りに身が震えるような思いをした。毎度お馴染みの mixi の、垂れ流しの「つぶやき」なのだが、そこにこんなことが書かれていた:

プルトニウム電池を積んでる可能性が、現時点で否定されていません。(可能性アリということ)
プルトニウム電池? ハァ? 頭に腐ったオガクズでも詰めてるんじゃないのアンタラ

UARS が軌道投入されたのは1991年9月12日のことである。地球の周回軌道の衛星で、軍事目的の衛星でもなくて、しかも大型の太陽電池パネルを搭載している UARS が、いわゆる原子力電池を搭載しなければならない理由など、何一つない。何を出鱈目をカタって分かったつもりになっているのか。こういう連中の存在は、プルトニウムより余程有害である。

そもそも、原子力電池というのは、主に放射性核種の崩壊熱を利用して熱電素子などで発電を行う装置で、太陽光による発電を期待できない外惑星探査機などに用いられてきた。繰り返すけれど、これは「発電量が豊富」なことが長所なのでない。「太陽光なしで」電力を供給しなければならない場合に有効なのだ。地球の周回軌道にある衛星だったら、原子力電池を積む位ならば、大きめの太陽電池パネルとリチウム電池でも積む方が余程電力を稼げる(し、実際そうしているはずだ)。

おそらく、この連中が「プルトニウム電池」などという言葉を持ち出してきたのは、1978年1月24日にカナダに落下して放射性物質汚染をひきおこした「コスモス954号」のことをどこかで覚えていてのことだろう。しかし、これも見当違いもはなはだしい話である。コスモス954号が積んでいたのは原子力電池ではなくて原子炉である。この区別も付かないんだったら、そもそもこういう term を弄んでいただきたくはない。半可通のいい加減な知識で周囲を汚染しないでいただきたいのだ。

ではなぜ、UARS は燃え尽きなかったのか。これは UARS が何のための衛星なのかを考えれば分かる話である。UARS は高層大気の観測・分析がミッションだったわけだが、このような分析のためには、分光計を多種搭載しなければならないことは容易に想像が付く。英語が苦手な方々のために日本語のウィキペディアの「UARS」の項にリンクしておくけれど、ここに書かれている分析機器は10種類。これらはいずれも、ある程度の大きさを持ち、構成材料としてガラスやセラミックスが多く使われているものである。しかも、これらの観測機器の観測精度を高く保つためには、測定器やその支持体に十分な機械強度が要求されるから、高強度の金属材料(それらは多くの場合高融点である)が多く使われていることは容易に想像がつく。

人工衛星が比較的低融点の軽金属や、半導体等の材料だけで構成されているならば、これは大気との摩擦熱で溶解し、酸化物となって四散する。余程の大きさがない限りは問題にならないだろう。しかし、UARS は分光計などの光学的観測機器を数多く搭載している衛星で、そこに用いられているガラスやセラミックス、そして高精度の測定のために必要な高強度の金属材料は、高温でも容易には蒸散し難く、燃え残りが地上に落ちてきてしまうことが予想されたわけだ。

僕の書いていることが理解できない、という人は、過去のニュースを検索で探していただきたい。おそらく、それらのニュースの中には、予想される落下物の個数がちゃんと明示されているものがある。ここには CNN のニュースを一例として挙げておくけれど、こういう風に個数を明示できるというのは、衛星の構成部品で燃え残りそうなものがいくつあるのか、予想できる、ということを示している。ガラスなどを主な材料として構成された部材、そして、ステンレスやチタン、ベリリウムなど(これらはいずれも高融点の金属材料である)で構成された部品の数から、このような数字が出せるのである。

現在、アメリカが打ち上げたドイツのX線観測衛星である ROSAT が、来月から再来月にかけて地球に落下するというニュースが流れている。これに関しても、同じように、ガラスやセラミックス、そして高融点の金属材料で構成された部材が搭載されているから、破片の落下が懸念されているのである。何でも馬鹿の一つ覚えで放射性物質に結びつけて、故もない非難(それらは批判と言うにも値しない)を垂れ流すのは、いい加減に、止めていただけないだろうか。本当に、プルトニウムよりも有害だ。

柳澤桂子氏に、一言

今日、ひょんなことから見た『クロワッサン 7月10日号』の表紙の一文に、僕は心臓が止まりそうな心地がした。

「放射線によって傷ついた遺伝子は、子孫に伝えられていきます」と、柳澤桂子さん。これからの「いのちと暮らし」を考えます。
いや、ちょっと待って下さいよ、柳澤さん。

http://red.ap.teacup.com/kysei4/627.html などを一読すれば分かるけれど、これは反原発に酔っている「だけ」の人々(誤解なきように書き添えておくけれど、僕自身は原発推進論者ではないので念のため)にしたらうってつけの文句である。そういう人々が、自らを「穢らわしい」放射線の源から遠ざけて「清い心身」を維持する(もちろんその内実は、現実から目を背け、苦しむ人々を差別的な視点から俯瞰しているだけのことである)上で、こんなに便利な引用句はない。しかも、柳澤桂子と言えば、闘病生活の中で生命科学者として数々の文章を発信し続けている人として、世間ではつとに有名である。まるで権威に依り縋らんその様は、都合の良いことを言う地震学者を厚遇してきた原発推進側と、実のところ何も変わらないロジックで動いている。

僕は、生命科学を専門分野としているわけではないけれど、あくまで一般常識の範疇で、この文句の危うさをここに主張しておかずにはいられない。放射線が簡単に DNA を「書き換え」それが親から子に「継承され得る」ものである、というこの言葉には、僕は自然科学に関わる者として断固「それは違う」と言わざるを得ないのだ。

柳澤氏がアメリカに行っていた頃というと、丁度アメリカでは「スペース・オペラ」と呼ばれる SF の小説や映画が流行っていた頃である。「オペラ」と言うと何か凄そうな印象を与えるかもしれないけれど、この言葉はおそらく soap opera という言葉と相似的に使われるようになったものだと思う。つまり、粗製濫造され、玉石混淆の態をなしていた SF の作品群を指して、このように称するわけだ(勿論、玉石混淆という言葉の示す通り、それらの中には素晴しい作品が数多く存在していることを書き添えておかねばならないが)。

この「スペース・オペラ」は、やはり時代をある程度反映していて、放射線や放射性物質によって突然変異を来した、いわゆるミュータントの類がよく登場する。勿論これは、当時の冷戦構造と、そこで行われていた核競争を反映したものであるわけだけど、実際に我々はそのようなミュータントにお目にかかれるものなのだろうか?

たとえば、独立行政法人農業生物資源研究所という研究所がある。もともと農水省傘下にあった研究所なのだけど、この研究所は茨城県内に「放射線育種場」という施設を持っている。ここは、その名の通り、放射線による突然変異を利用して新しい品種の植物を作ることを試みている。茨城県・常陸太田には、60Co を線源として、その周囲を囲むように畑がある、いわゆるガンマフィールドがあって、ここで有用品種の開発が行われている(ちなみにここも、東日本大震災以降、稼動中止している。)

突然変異というものが容易く継承・定着するならば、このガンマフィールドで活発に様々な新品種が開発されるはずだろう。しかし、実際には、このガンマフィールドで開発された新品種は数十品種程度なのだ、という。ここでは植物それ自身、もしくはその種子に対してガンマ線照射を行っているわけだけど、照射した植物は多くの場合何も影響を受けないか、枯死するかする。変異が継承されることは極めて少ないのである。

では、動物の場合はどうなのか。チェルノブイリでも、事故の後数年位の間、牛などに奇形が報告されているけれど、そのような奇形が継承される、という事例は、僕の知る限りは存在しない。その理由は簡単で、奇形で生まれてきた生命は極めて生存能力に乏しく、その多くが生まれて程なくして死んでしまうからだ。

そもそも、生殖細胞というものは、全ての細胞種の中でも最も放射線に対する感受性が強いもののひとつだが、変異が安定に継承されることはまずない。先にも書いたけれど、変異種は弱いから、自ずと死んでしまうのである。これは自然が遺伝子のコピーミスを継承させないための、ひとつの巧妙なメカニズムであるとも言える。

ネクローシスとかアポトーシスとかいう言葉を挙げるまでもなく、自死というのは、生命において重要な仕組みである。それがコピーミスを防ぐ、その強力な機構に関して、生命科学者である柳澤氏が知らない筈はない、と思うのだけど、どうしてこういう軽々な言葉を雑誌に掲載されてしまうのか。僕はただただ理解に苦しむ。氏のサイトのコンテンツを眺めると、エッセイこんなことが書いてある:

前回の原稿で、「白血病で亡くなった子供」と書きましたら、
杉浦さんとおっしゃる主婦の方から、この中には大人も入っているのではないかとご指摘をいただきました。
確かにアリソンの原著には、大人も子供も区別していないので、
子供とはかぎりません。訂正させていただきます。
アリソンの論文には、これは広島、長崎のデータだと書いてあるのですが、
原爆が落ちたあの混乱のなか、どうやってこのようなデータをとれたのかと不思議に思っていました。

これは、広島、長崎の原爆投下後の生存者にアンケートを取ったり、
直接問診したりして集めたものです。
アメリカは、このようなデータを取ることに初めから積極的でした。
のちには日本と共同で膨大なデータを作りました。
それは人類の貴重な財産です。
けれども私は、何か引っかかるものがあって、
素直に喜べないのです。
あれだけひどい目に遭わされて、
その上データまで取られた!
そういう考え方は心が狭いと思うのですが、
やっぱり悲しいです。
皆さんはどう感じられますか?

広島や長崎でアメリカの ABCC(原爆傷害調査委員会)がどのようにデータを集めていたかは、被爆者の数々の証言、たとえば『はだしのゲン』などを読んでも書いてある、よく知られている話だ。それを知らない人が、人間の被曝に関して、あんなことを軽々に雑誌に書かせては、これはいけないんじゃないでしょうかね?

ちなみにこの件に関しては、『クロワッサン』サイトでお詫びが出ている。しかし、毎度毎度この手の話を見聞きする度に思うのだけど、「何」が「どのように」問題なのか、という検証なしに、真の謝罪などあり得ないと思う。「総括せよ、自己批判せよ」とまで言う気もないのだが、でも、こういうことはちゃんとしないとね。たしか、『クロワッサン』って、1999年10月10日号でも差別的表現を用いたことが問題になったんでしたよね?またか、と、皆思ってますよ。

線量管理

前にも書いたけれど、無用な被曝を防ぐためには、人がいつ、どれだけ放射線を浴びたのかを把握しておく必要がある。だから、個々人が被曝した線量を測定し、記録しておくこと(これを線量管理という)は、放射線を浴びる可能性のある場合、人に対して極めて重要な意味を持っている。これは放射線に関わる人間にとってはイロハのイであって、放射線関連の研修などを受ける際には必ず、しつこく、何度も叩き込まれることである。

ところが、今回、なんと政府が率先して、この線量管理の基準をいい加減に扱っているのだから始末が悪い。東電の対応もひどいと思うけれど、そもそも監督官庁がブレまくっているんだから、そりゃひどくもなろうというものだ。

福島第1原発:作業員の被ばく線量 管理手帳に記載せず

東京電力福島第1原発の復旧を巡り、作業員の被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げた特例措置が現場であいまいに運用され、作業員の放射線管理手帳に線量が記載されていないケースがあることが分かった。関係法を所管する厚生労働省は通常規則に基づき「100ミリシーベルトを超えると5年間は放射線業務に就けない」とする一方、作業員の被ばく線量を一括管理する文部科学省所管の財団法人は「通常規則とは全く別扱いとする」と違う見解を示し、手帳への記載法も決まっていないためだ。

◇上限あいまい運用 補償不利益も

運用があいまいだと作業員の安全管理上問題がある上、将来がんなどを発症した際の補償で不利益になる可能性もあり、早急な改善が求められそうだ。

作業員の被ばく線量は、原子炉等規制法に基づく告示や労働安全衛生法の電離放射線障害防止規則で、5年間で100ミリシーベルト、1年間では50ミリシーベルトに抑えるよう定めている(通常規則)。ただ、緊急時には別途100ミリシーベルトを上限に放射線を受けることができるとの条文があり、国は福島第1原発の復旧に限り、250ミリシーベルトに引き上げる特例措置をとった。国際放射線防護委員会の勧告では、緊急時は500ミリシーベルトが上限だ。

問題となっているのは特例措置と通常規則との兼ね合い。厚労省は「通常規則は有効で、今回の作業で100ミリシーベルトを超えた場合、5年間は放射線業務をさせないという方向で指導する」とし、細川律夫厚労相も3月25日の参院厚労委の答弁で全く同じ認識を示した。

◇「労災申請時などに困らないよう記載方法検討」

一方、作業員の被ばく線量を一括管理する財団法人・放射線影響協会の放射線従事者中央登録センターは「250ミリシーベルト浴びた労働者に通常規則を当てはめてしまうと、相当年数、就業の機会を奪うことになる。全く別扱いで管理する」と説明。さらに「労災申請時などに困らないよう、手帳に記載する方法を検討している」とし、放射線管理手帳への記載方法が決まっていないことを明らかにした。

復旧作業にあたる2次下請け会社の男性作業員(30)は3月下旬、現場で元請け会社の社員から「今回浴びた線量は手帳に載らない」と説明された。「250ミリシーベルト浴びて、新潟県の東電柏崎刈羽原発で働くことになっても250ミリシーベルトは免除される」と言われたという。

作業員が所持する線量計のデータは通常、原発から同センターのオンラインシステムに送られ一括管理されるが、福島第1原発では事故後、オンラインシステムが使用できないという。また、作業員の被ばく線量の登録管理を巡るルールは、同協会と電力会社、プラント会社など関係約70社で話し合われるが、事故後は会議を開けない状態が続いているとされる。【市川明代、袴田貴行、森禎行】

【ことば】放射線管理手帳

作業員一人一人の被ばく線量や健康診断結果などを記載する手帳で、これがないと放射線管理区域には入れないことになっている。ただし法的根拠はなく、財団法人・放射線影響協会の放射線従事者中央登録センターと電力各社、元請け会社、主な下請け会社などで自主的に運用している。作業中は本人たちの手元にはなく、会社側が預かっているケースが多いとされる。

毎日新聞 2011年4月21日 2時36分(最終更新 4月21日 7時28分)

福島第1原発:「ババ引くのは作業員」嘆く下請け社員

福島第1原発の復旧作業を担う作業員の被ばく線量を定めた特例措置があいまいに運用され、作業員の放射線管理手帳に記載されていないケースがあることが明らかになった。現場の作業員はあいまいな運用に不安を漏らすとともに「結局、ババを引くのは作業員」と嘆く声も聞かれた。関係者からは「線量管理がいいかげんだと、訴訟になった時に証拠が得られない可能性もあり、問題」との指摘も上がる。【袴田貴行、森禎行、日下部聡】

◇訴訟時、証拠ない恐れ

「今回食った(受けた)分の放射線量は手帳に載らないから。安心していいから」。3月末に福島第1原発の復旧に従事した2次下請け会社の男性(30)は、作業開始直前、1次下請け会社の社員にそう告げられた。

男性は3月下旬、所属するポンプ点検会社の社長から「上の会社から3日だけ人を出すよう頼まれた。(現場の状況が)ひどかったら途中で帰ってきていいから、とりあえず3日間だけ行ってくれないか」と言われ、同原発へ。作業内容は不明のまま駆り出されたが、現地に着くと、使用済み核燃料共用プールの電源復旧のためにケーブルをつなぐ専門外の作業を指示された。「とにかく人をかき集めて電源復旧をやっている感じだった」

現場で経験者から指導を受けながら作業を進めたが、「初めてなので手間取って時間もかかったし、余計な線量を食った」。当時は線量計が足りず、6人のグループに1台だけ渡されたという。

作業は放水の合間だったため、午前2時までかかったり、朝6時から始めたことも。待機場所の免震重要棟は「すし詰め状態で大人1人が寝っころがるのがやっと。仮眠も取れないのがきつかった。まともにやったら2日で限界」と振り返る。

結局、3日間で計約12時間働き、線量計の数値は国が特例として引き上げた上限の5分の1、以前の上限の半分に当たる約50ミリシーベルトに達していた。「普段そんなにいくことはまずない」。日当は通常なら1日1万5000円程度だが、今回は事前に決まっていない。ただし「同じような仕事の募集が日当17万円だったらしい」。3日で50万円になる計算だ。

男性の放射線管理手帳は、この作業時とは別の、震災前に登録していた元請け会社が管理しており、手元にはない。「ずっと自分の手元に帰ってきてないから(今回の線量が)載っているかどうかは分からない」。確認しようにも震災前の元請けは震災後、事務所が機能していない。「自分の手帳を戻すのは困難」と、今後に不安を募らせる。

3次下請けで原発の補修に当たる建設会社社員の男性(28)は線量管理があいまいになっていることについて「そうでもしないと原発を止められない感覚があるのではないか」と指摘する。その上で「手帳の管理は下請けによって違う。将来の仕事を受注するため(社員の線量を低くしようと)下請け会社が手帳に今回の数値を載せないことも考えられる。会社は仕事をもらえるかもしれないが、結局ババを引くのは作業員だ」と訴えた。

元原発作業員が東電に損害賠償を求めた訴訟で原告代理人を務めた鈴木篤弁護士の話 原告は4年3カ月の累積70ミリシーベルトで多発性骨髄腫を発症したとして労災を認められた。250ミリシーベルトの上限自体が高すぎる。それを別枠にするなどむちゃくちゃだ。被ばく線量を証明できても裁判所はなかなか発症との因果関係を認めない。きちんと線量管理がされなければ、作業員が損害賠償を請求しようとしても基礎的な事実さえ証明できなくなる恐れがある。

毎日新聞 2011年4月21日 2時36分(最終更新 4月21日 7時36分)

まあ、実にお寒い限りである。僕は放射線管理区域を持つ施設で仕事をしたことが何度もあるけれど(というか、そういう区域がある組織で仕事をしていたこともあるのだけれど)、こんな管理をしていたら、チェックの時期にダメが出てそれ以後は仕事ができません、という状態になるのが当然なのである(そうであってこその管理システムなのだから)。こんな状況、まあとてもじゃないけれど信じ難いし、この状況を是正しようとしない国関連ももはや理解不能である。

そこに、明日の午前0時から始まる、20 km 圏内の警戒区域指定、というやつである。まず、半径で区域を指定して管理しよう、というのが無意味だというのは、これはもう相互了解が成立していたのじゃないだろうか?それを問答無用の半径指定、ということは、どうやら国は、汚染マップを作成しようなどということをカケラ程も考えていないらしい。あのチェルノブイリでも、詳細な汚染マップで、おおむね5段階程度に危険ステージを分類している。

強調しておかなければならないのは、汚染マップの作成が重要であるということは、おそらく世界的なコモンセンスであるということである。たとえば、

福島第1原発:汚染マップの作製こそ急務…IAEA調整官

福島第1原発の事故に伴う農畜産物の出荷停止問題で、国際原子力機関(IAEA)の室谷展寛(のぶひろ)国際支援調整官は30日、群馬県庁で県幹部らと意見交換し、「今求められているのは広域かつ詳細に放射性物質の汚染マップを作製することだ」との認識を示した。汚染マップは86年のチェルノブイリ原発事故で、当時のソ連政府などが作製した。【奥山はるな】

毎日新聞 2011年3月30日 20時21分(最終更新 3月30日 20時47分)

という位だから、政府や首相官邸に、IAEA からのコメントが行っていないとは信じ難い。汚染マップの作成は、詳細なものとか元素種別のものに関しては時間がかかるかもしれないけれど、線量だけで測定してマッピングするのは、若干の人手と携帯型のカウンターが人手の数だけあれば、あとは絨毯爆撃をするだけの話である。だから、汚染マップ作成をしない、ということが、政府や官邸の信じられないような怠慢であるということは、ここで誰が何と言おうとも強調しておかなければならないだろう。まったく、マッピングなしで線量管理だ、なんて、要するに半径で今まで区域指定していたことをそのまま押し切っているだけで、それは住民のためではなく、現政権の下らんメンツのためだけに行われていることがミエミエである。本当に、そういうことをしている連中こそ低レベル廃棄物ではないか。

まあ与太話はいい。ようやく文科省が、20 km 圏内の空間放射線量の測定結果を公表した。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/21/1305284_04211300.pdf

これを見ると、前々からここにも書いている通り、北西←→南東方向に集中して空中放射線量が高いことが一目瞭然である。こんなものがはっきりしていて尚、どうして政府は距離制限に固執するのだろうか。

この時期、カトリックにとっては復活祭前の時期で、今日はイエス・キリストが最後の晩餐の後に捕えられた日である。その直前の様子を福音書から見てみると、

一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

――マルコによる福音書 14:32-42

そう。イエスはシモン・ペトロにこう言ったのだ。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」まるで、現在の我々に向けて言っているような言葉ではないだろうか。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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