口蹄疫生物兵器説

宮崎の口蹄疫の問題は、既に皆さんよくご存知だと思う。あれに関して、どうも引っかかっているのが、標記の件である。僕は別に何でも陰謀説を唱えたい人々のようなことを言っているのではない。歴史的経緯と、今回の騒ぎの始まった時期を知っているから、この話を書かずにおれないのである。

生物兵器の歴史というのは、実はかなり昔まで遡ることができる。一説によると、中世の戦争において、敵の城などに、伝染病で亡くなった人の遺体を放り込み、城塞内部でその伝染病が蔓延することを以て攻め落とす、ということが行われていたらしい。あのヨーロッパの 1/3 の人を殺したというペストの大流行も、1346年のキプチャク汗国(現在のモンゴル)とハザール王国の城塞都市カッファ(現在のウクライナ……黒海の北に位置する)の戦いで、キプチャク汗国の軍勢がカッファの城塞にペストで亡くなった人の遺体を放り込んだことに端を発する、という伝承がある位だ。

しかし、近代における生物兵器のルーツは、残念なことに、この日本が大きく関わっている。関東軍第731部隊……『悪魔の飽食』などの名を聞いたことのある方もおられるだろう……が、防疫活動を表の仕事に、そして生物兵器の開発と実験(それは3000人ものマルタと呼ばれた捕虜による生体実験を含んでいる)を裏稼業としていたのが、近代戦における細菌戦のルーツである。この頃の資料に目を通すとよく分かることなのだけど、この頃から、生物兵器のターゲットは人間に限定されてはいなかった。731部隊と並んで活動していた第100部隊(この部隊は毒ガスの研究でも有名である)は、家畜に対する生物兵器の研究を行っていて、中国やソ連に対して実際に細菌兵器を用いた記録が残っている。当時は畜産動物と、軍事行動において必要な馬をターゲットとしていたようだが、炭疽菌のように家畜にも人間にも脅威になるような病原体は、この2部隊に留まらず、世界中で研究が行われてきた。

さて、では、口蹄疫がこのような流れとどのような関係があるのか、というと……実は、口蹄疫はウイルス性感染症の中でも最も初期から研究対象とされてきた疾患なのである(参考文献:『口蹄疫ウイルスと口蹄疫の病性について』村上洋介)。しかも、口蹄疫はヒトにはほとんど影響を及ぼさない。おおっぴらにされることはなかったにせよ、生物兵器の研究の中で、この口蹄疫が研究対象になっていない、と考える方がむしろ不自然なのだ。

そして、韓国軍の哨戒艦「天安」が沈没した時期と、口蹄疫が確認された時期がそう離れていないことが、ますます疑念を募らせる。「天安」沈没は3月末で、今回の口蹄疫の感染が宮崎県で確認されたのが4月20日である。ひと月も離れているではないか、と思われるかもしれないけれど、実はこれに先立って、今年の1月から3月にかけて、韓国の京畿道、漣川郡と抱川市という二つの地域で口蹄疫が発生しているのである。しかも、この二つの地域は、共に北朝鮮と軍事境界線を挟んで対峙しているのである。

韓国における口蹄疫はこの後、4月8日に仁川広域市江華島に、19日には京畿道金浦市に、そして22日には忠州特別市に拡大している。今回の宮崎で確認されているウイルスの型はO型といって、これは4月以降の韓国での流行の型と一致する。それだけではなく、遺伝子配列の類似性も既に確認されているという。2月に香港でも同じO型のウイルス感染が確認されているのでまだ断定はできないが、今回の宮崎の口蹄疫ウイルスが韓国からもたらされた可能性は低くはない。そして、その出所がどこなのか……これもまだ完全には判明していないのである。どうも、またきな臭い話になってきたような気がするのは、果たして僕だけなのであろうか。

鳩山切腹論

僕は、2010年に入ってからあちこちで公言していた。沖縄問題が原因で、鳩山総理は腹を切る可能性がある、と。これを言うと皆さん「いやそんなことはないでしょう」とか、甚だしきに至っては「民意の反映としての政権交代を邪魔するな」みたいなことまで言われた。

初めに公言しておくけれど、僕は自民党シンパでも、民主党シンパでもない。当然だけど公明党のシンパでもない。ついでに書くと共産党や社民党のシンパでもない。既存政党に関しては限りなく絶望に近い感覚で捉えていたし、それは現在でも変わらない。ではなぜそんな僕が、わざわざ「鳩山切腹論」を口にしていたか、というと、それは当然理由がある。

鳩山氏の「普天間移転は国外、最低でも県外」という主張が知られるようになったとき、僕はどうしても一つ、引っかかることがあった。基地移転を唱える場合、基地跡地に関して何か言及しても良さそうなのに、奇妙な程にそれが鳩山氏の口から出ることがなかったのだ。もし僕が政治家で、鳩山氏と同じことを言うならば、絶対「ここが空けばこうなるんだから」と主張するに決まっている。「夢」が提示されれば、人はそれを求めて動くからだ。

普天間飛行場の跡地は約 4.8 km2。その利用に関しては、「駐留軍用地跡地利用の促進及び円滑化等に関する方針」(平成11年12月28日閣議決定)に沿って設置された「跡地対策準備協議会」「跡地対策協議会」、そして周辺市町村の連絡機関として「跡地関係市町村連絡・調整会議」が立ち上がっている。これに関しては:

http://www.pref.okinawa.jp/kichiatochi/taisei-btm.htm

に会議資料があるので、詳しくはそちらをご参照いただきたいのだが、これらはいわゆる実務者レベルの協議内容で、基地跡地の (1) 現状回復 (2) 埋蔵文化財等の調査 (3) 地主問題等の解決 に関して検討がなされているようだ。これらの資料と、宜野湾市が出している「基地政策部 基地跡地対策課(普天間飛行場に係る取り組みの経緯)」、そして内閣府が出している「普天間飛行場の跡地利用の促進及び円滑化等に係る取組分野ごとの課題と対応の方針についての取りまとめ」に眼を通すと、沖縄県や宜野湾市としては、普天間飛行場跡地には埋蔵文化財があるので、公園化して文化財保護を行いつつ再開発を行いたい、ということのようだ。

ところが、である。これらの会議、どうもこの数年は止まっているようである。これはおそらく、自民党時代には、キャンプシュワブ沖への移転が規定路線として動いていたので、それが走り出してから実際の計画立案等を行おう、ということだったのだろう。そんなところに、民主党連立内閣が成立し、基地関連の計画が凍結されたのと共に、この跡地開発に関する国レベルのアクションもまた止まったのだろう。しかし、民主党連立内閣は、どうやらこの再開発に関する議論を再開することを考えもしなかったようだ。

普天間の移転を既定路線とするためには、跡地の利用に関するビジョンが明確になっている方がいい。どう考えてもそうだろう。実際、跡地開発に関して、市町村・県・国レベルで協議してきた経緯もある。それを踏まえるにせよ、反故にする(民主党は「ゼロベース」という便利な言葉を発明したけれど)にせよ、沖縄の地方自治体を巻き込んで普天間飛行場跡地の開発ビジョンを提唱することは、移転推進のためにはきわめて重要だと言わざるを得ない。しかし、現状として、それは止まったままで、総理からの明確なコメントもない。それはなぜだろうか。

ここで、沖縄の人にとっては耐え難いであろう可能性が浮上してくる。普天間飛行場という牌を、鳩山首相は抱え込んだままで、それを切るか、手の内に入れるのか、未だに明らかにしていない、つまり、「普天間飛行場を移転しない」という可能性を、鳩山首相は否定していない、ということである。今月末に国外、もしくは県外へ移転する、という構想が頓挫した現在、今後の進め方としては、最低でも飛行場はキャンプ・シュワブ沿岸、もしくは沖に移設するというところに落としたいわけだけど、これに関しても自然に影響を与えないというのは無理な話である。結局、辺野古に泣いてもらいましょう、ということで話が進んでいるわけである。しかし、今までの首相の言行に、これは明確に矛盾する。

ここで、最悪のウルトラCの可能性が見えてくる。新たに飛行場を作らなければ、自然を破壊することはない。だから、普天間にそのまま基地を置きっ放しにして、それでは世間が納得しないのを何とかする、というシナリオだ。アメリカも普天間に基地を置いておきたくはない訳で、周辺住民もアメリカ政府も納得しない。それを無理に通すことができるのか……その可能性を考えると、もはや腹を切る位しか手がないわけだ。

普天間問題は何もかも放り出します(これを「ゼロベースからの再検討」と読むらしいけれど)。それでは皆さん納得しないでしょうから、首相の座を辞します。後は皆さんよろしくね……と、こんな可能性があるわけだ。これは、辺野古移転の場合でもあり得る話だ。やっぱり辺野古の海しか飛行場を作れる場所はありませんでした、それでは皆さん納得しないでしょうから、首相の座を辞します。後は皆さんよろしくね……と、こんな感じだ。マニフェストと言質を、首相の座と引換えにひっくり返そう、というわけだ。

もちろん、僕は、これを望んで書いているわけではない。しかし、ひょっとすると、鳩山氏は、普天間問題の自民案への回帰と引換えに、こんな行動に出る可能性もある……ということだけは、ここに書いておくことにしよう。

強化ガラス製滑走路?

いま、宮根誠司氏が司会している「Mr.サンデー」を観ているのだけど、共同通信社の記者が、現在政府が強化ガラス製滑走路を検討している、という情報を出している。

しかし、これが本当だとしたら、本当に民主党関係者は「鳥頭」だとしか言いようがない。ガラスで滑走路を作れば、日光を遮らないから海底への影響がない、というのだけど、水際にガラスが常設されていたらどうなるか?藻だってフジツボだって着くに決まっている。ガラスだって、付着物が着いたら、所詮は日光を遮ってしまう、というのは、小学生だって分かりそうなものだ。

もちろん、定期的に、ガラスの両面を掃除すれば、この問題はクリアできるかもしれない。しかし、仮に 2000 m 級の滑走路だとして、幅が 20 m と仮定すると、その面積は両面で 80000 m2、実に 280 m × 280 m ということになる。これを定期的に掃除する?しかも片面は海の直上である。ランニングコストがいくらかかるのか考えてみろ、っての。

そして、もう一つの可能性として、はいはい出てきましたね、鳩山切腹論。あーあ、また僕が言った通りになるのかいな。こんな予言、当たってほしくないんだけどなぁ。

続・敬虔という言葉

昨日書いた件だが、今日も継続して情報を捜していたところ、以下のようなものを目にした:

http://catapaw.blog17.fc2.com/blog-entry-645.html

なるほど、ここに書かれていることが事実ならば、ただ野放図に餌やりをしていた、ということでもないようだ。その点、書き過ぎた点があれば、お詫びする次第である(削除はしない――過ちも含めて記録してこその blog なので、上記記述を公開することで訂正としたい)。

ただし、やはり加藤氏のやり方には問題があったと言わざるを得ない。上リンク先にある:

加藤元名人は、動物愛護の精神から、
平成14年から集合住宅の自宅専用庭で野良猫に餌を与えるようになりました。
側に猫用トイレを設置し近所のパトロールをして掃除をし、
野良猫が増えないように自費で不妊去勢手術を施し、里親に出すなどして、
最盛期には18匹だった猫を、現状2匹までに減らしてきました。
と書かれているのが事実の真相であるとするならば、すぐに指摘できる問題点が二つある。

ひとつは、加藤氏が、地域とのコンセンサスなしにこの活動を続けてこられたこと。何よりもまず、地域のコンセンサスなしには「地域猫」など存在し得ない。臭いや猫がいることそれ自身を嫌悪する人に対しても、一定のコンセンサスを得なければ、地域で猫を保護するということは出来はしない。それが得られていない状況で、8年間もこのような活動を継続したからこそ、訴訟などということになるのだから。

もうひとつは、人が一人でできることには限界があるということ。14匹を8年かけて2匹に減らした、ということは、逆に言えば、協力が得られれば半年や1年で解決できたことを、自分一人で行うことに固執した結果として、8年も長引かせてしまった、ということである。

カトリックの聖職者としてあまりに有名なマザー・テレサという人がいる。彼女はコルカタの聖マリア学院の校長を務めていたときに啓示を受け、貧しい人の為に尽したいと志す。しかし、彼女はただ無鉄砲に飛び出したのではない。時の教皇ピウス12世の許可を辛抱強く願い、それを得てからスラムに赴いた。そして、彼女の行動と志が呼んだという面は勿論あるにせよ、学院時代の教え子を中心とした協力者を得、そして「神の愛の宣教者会」を設立したのである。彼女は一人の偉大さ同様、一人の無力さも骨身に沁みるが如く理解していたのだ。彼女の遺したことばを読み、彼女が「わたし」と「わたしたち」をどう使い分けているかを見ると、このことはよく分かるだろう。

徳を積むことはよいことである。しかし、僕たちは、積むべき徳を一人で抱え込もうとはしていないだろうか。積まれた徳の高さは、積んだ手の数で割引かれないものだということを、僕たちは肝に銘じなければならないのだ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(902)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address