敬虔という言葉

プロ棋士の加藤一二三氏が、自宅マンション周囲の猫に餌付けをし、糞尿などの問題で周囲の住人とマンションの管理組合から提訴されていた裁判の判決が、地裁で出た。結果は加藤氏の敗訴である。裁判所は、マンション敷地内での猫への餌付けを禁止する命令を出した。

僕にとってこの問題はふたつの側面を持っている。連れのUが猫を飼っている関係上、猫に関する様々な話を聞く機会があるので、まずはその方向からこの件に関してコメントしよう。

まず、はっきりと断言するが、野良猫に餌をやることは、誰のためにもならない。それは猫自身の為にすらならないのだ。なぜかというと、まず、猫の糞尿に代表されるような、衛生面の問題……これは単に悪臭がある、あるいは不潔だというだけでは済まない。たとえば寄生虫を考えると、猫から人に移行する可能性のあるものは:

  • 回虫(大小回虫、猫回虫)
  • 条虫(猫条虫、瓜実条虫、マンソン裂頭条虫)
  • 鉤虫
  • 鞭虫
  • トキソプラズマ
  • コクシジウム
  • フィラリア
  • エキノコックス
と、ざっと挙げてもこれだけいる。これらの、特に上半分辺りまでのものは、もし人間の体内に入った場合、本来の宿主と体内環境が異なるために、しばしば幼生のまま体内をうろつくことになる。皮下に入り込めば、(依存性薬物の禁断症状でしばしば幻覚でみるというけれど、こちらはリアルな)皮膚の下を虫が移動している、という状態になる。これらの幼生は、しばしば人の眼に入り込む。乳幼児の場合は失明することもある。そして最悪なのは、幼生が脳内に侵入したときだ……幼生には、多くの場合、駆虫薬が効かないので、外科的除去しか対応策がないのだが、開頭してもアプローチできない場所に入り込まれたらどうしようもない。てんかんや麻痺などの、極めて深刻な症状を呈して、死ぬ場合もある。

トキソプラズマは、妊婦の体内に入ると胎児に重篤な障害を与えることがある。コクシジウムはひどい腹下しを起こす。近年、飲用水にこれが混入する事例が報告されていて、水道水への塩素添加だけでは殺し切れないことが問題になっている。

そして、危険順位 No.1 がエキノコックスだ。もともとは北海道のキタキツネの糞から感染することが知られているこの寄生虫は、感染後5年〜10年という長い年月を経て、肝臓や肺に重篤な障害を引き起こす。また、先の幼生と同じく、まれに脳や心臓に入り込み、無残な結果となることもある。従来、北海道に限定されていると思われていたこのエキノコックス、実は野生動物の感染北限がどんどん南下している。手元の資料によると、2001年の段階で、既に大阪や京都でもエキノコックス感染の事例が報告されている。もはや他人事ではないのだ。

小さいお子様をお持ちの方々はあるいはご存知かもしれないが、このような問題を減ずるため、地方自治体などでは、砂場の砂を高温処理して残存する虫卵を殺す処置などを行っている。しかし、近所に猫がいたら、いくら半年や一年に一度こういうことをしても無駄である……そもそも、猫は砂のあるところを選んで排泄を行う習性なのだから。

この他にも、眼からショウジョウバエの一種を介して感染する東洋眼虫など、駆虫管理のされていない動物やその糞便に暴露されていることの危険性は極めて大きい。

そして、猫同士の場合でも、このような問題は無視できない。上述の寄生虫以外にも、感染症として:

  • 猫パルボウィルス感染症
  • 猫コロナウイルス感染症(伝染性腹膜炎 = FIP)
  • 猫ヘモバルトネラ感染症
  • 猫免疫不全ウイルス感染症(猫エイズ = FIV)
等が重篤な症状を引き起こす。例えばペットの猫を公園に連れて行って、そこの野良猫とじゃれ合って掻き傷や咬み傷がついた場合、あるいはその野良猫の糞便に暴露された場合、これらのウイルス性感染症に感染する危険は低くないのだ。その飼い主が複数の猫を飼育していれば、他の猫にも当然感染し得る。

野良猫の寄生虫・疾病の管理をせずに野放図に餌をやることがどのような結果を生むか、これでまずはお分かりいただけるのではないだろうか。しかし、問題はこれだけには留まらない。野良猫は当然生まれながらの生殖能力を持っているわけだけど、繁殖期になれば当然交尾して、仔を産む。しかし、野良猫の集まるエリアであっても、その頭数は知れたものだから、しばしばその集団では近親交配が行われることになる。結果として、眼や四肢に重い障害を持った猫が増殖することになる。生きていけない猫はどうなるか。親が食べてしまうことも珍しくはない。先の寄生虫や疾病の問題も含めると、これが自然だ、と言い切るにはあまりな状況だとは思わないだろうか。

これは野良猫だけの問題ではない。「多頭飼育」「崩壊」「猫」のキーワードで検索をかけてもらえばすぐに分かることだけど、自宅で猫を飼っている人でも、去勢・避妊をサボったためにとんでもない数の猫を抱えてしまう事例は、枚挙に暇がない程に報告されている。以前、僕の知人が関わった事例では、四畳半の部屋にチンチラミックスが60匹……という、生地獄としか言いようのないケースもあったという。

このような問題をどうにかするために、数々の団体が実際に動いている。僕の知人が運営している NPO のPaw Aidでは、野良猫を捕獲し、多頭飼育の猫を引き取り、去勢・避妊・医療措置を講じ、健康を回復させてから、一生面倒をみる旨契約書を取り交わした上で、飼い主に猫を譲渡している。譲渡までに必要な経費は全て寄付やグッズ販売、フリーマーケットなどの収入で賄っているので、気に入った猫を一生ちゃんと面倒みます、という覚悟(これは環境整備も含めて、という意味だが)がある人は、協議・合意の上、誰でも無料で譲渡を受けることができる。

この Paw Aid の例よりもう少し「野良猫」の実情に寄った解決策が、いわゆる「地域猫」というものだ。これは単なる野良猫の黙認ではない。安全な餌の供給・糞便の清掃・猫の個体別管理(個体認識から個々の猫の去勢・避妊に到るまで)を行って、初めて「ここの猫は地域猫だから」と言えるのである。

ここまで書いて、皆さんもお分かりになったろうか。猫に餌をやる、ということは、猫に施しをしているのではなく、餌をやったという行為にただ満足しているだけの行為に過ぎないのである。何の対策もなしに餌をやり続ければ、野放図に猫は(近親交配を含めて)増殖し、衛生環境は劣悪となり、その影響は周囲の人にも動物にも及ぶ。

さて。ひとつの側面から、加藤氏の行動の問題に関してコメントしたわけだが、上述の通り、この問題は僕にとってはもうひとつの側面を持つ。それが何かというと、加藤一二三氏が「自他共に認める、敬虔な」カトリック信者であるという点だ。

加藤氏は1970年に受洗し、洗礼名は「パウロ」だそうだ。1986年にはときのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章(作家の遠藤周作が貰ったものと同じ勲章だ)を受けている。なんでも所属は聖イグナチオ教会で、結婚講座の講師を務めているという。そういうものを公にしているからこそ、今回の問題は僕たちにしてみたら「面倒な話」なのだ。当然世間では「カトリックなのに……云々」と非難されるだろう。で、一種の三段論法的展開の末に、「Thomas さんカトリックだそうだけど、カトリックがあんなことしていいのかね」などと、僕のところにも妙な話が来たりする、かもしれない。

まず書いておくけれど、僕は自分がどう生きるかという分だけでもいっぱいいっぱいだ。勿論、カリタス・ジャパンの募金とか献金とかは出すし、他にもできることはするけれど、カトリックの総意に反映するような何事かを負うというのは無理な相談だ。なにせ、今の世界全体で、大体 15〜16 % の人がカトリックなのだから、十数億人いればありとあらゆる人がいる。そしてキリスト者は皆罪人なのだから、何かしらの十字架を背負っているわけだ。

そして、僕はおそらく世間のカトリック信者の中ではかなり特殊な部類だということも書かなければならないだろう。なにせ、小学校に上がるか上がらないかの頃に、図鑑片手に「天国は何処にあるんだ!」と司祭に食ってかかった僕である。そのくせ、幼少の頃は、教会と修道院が遊び場だった(日本でこんな環境で育った人は、おそらく長崎以外では極めて稀だろう……僕と同じような来歴の人がいるならば、是非一度お目にかかりたい位だ)。中学のときに『沈黙』を読んでからの内省的信仰の日々、そして何でも読んだり書いたり学んだりする性分が加わって、僕という変なキリスト者が形成されたのである。

ただ、そういう「変な」来歴のおかげで、僕は篤信家がしばしば陥りやすい穴を逃れることができた。篤信家と呼ばれる人が総てそうだとは言わないけれど、時として、篤信家たる自分の主観を、神の名のもとに、客観的に適用してしまうことがある。人はしばしば無知で、視野が狭く、そして偏っているものだけど、神にかなうように生きているという感覚のもとに、それらの自分の "歪" を忘れてしまう。そして、目前の何ものかに対して、歪んだ神の代執行者とも言えるような振る舞いをしてしまうのだ。そういう輩は、信仰を他者に評価されたことを以て、自らの主観の確かさをますます確信してしまうから、質の悪い話である。

今回の加藤一二三氏の所業は、まさにそういう(勘違いの結果として)「歪んだ神の代執行者」として振舞ってしまっている典型だと思う。彼にとっては、あるいは、目前の猫の飢えを癒すことが「正義」なのかもしれない。しかし、「正義」という言葉が、多面的でないものの見方の権威付けに使われることは、ここにもはや説明するまでもないことである。特に、信仰を持つ者はなおさら、この危うさを知らなければならないのだ、と、僕は思うのだ。

国会議員の通信簿

どうも昨夜に食べたもののせいなのか、体調を崩して、今日は家で寝ている。ふとつけたテレビはよみうりテレビ制作の「ミヤネ屋」だったのだけど、ちょうどタレント議員の問題を話しているところだった。そこで大宅映子女史が「国会議員も通信簿が必要よね」とポロリと言ったのを聞いて、ん?と思ったのだった。考えてみればおかしな話である。大学の講義すら受講者の点数で評価される時代に、どうして国会議員の国民による評価がなされないのだろうか。

http://nensyu-labo.com/koumu_kokka_kokkaigiin.htm

によると、国会議員の年収は平成19年の推定額で約2900万円である。そして、国会議員にはこの収入額に入ってこない、以下のような様々な特権が認められている:

  • 不逮捕特権(国会会期中)
  • 免責特権(議院で行った演説等は院外で責任を問われることはない)
  • 歳費特権(国庫から歳費を受け取ることができる……給与・賞与・退職金に相当)
  • JR全線無料(新幹線、特急、グリーン車も可)
  • 航空機無料(月4往復までは無料)
  • 議員宿舎(悪名高き新赤坂議員宿舎は3LDKで家賃が9.2万円/月。相場は50万円/月ほど)
前にも書いたけれど、これらの費用を仕分けよう、という動きは、どういうわけか全く出てこない。今の議員定数が、衆議院議員480人、参議院議員242人だから、もし年収の2割をカットしただけでも数十億の節約になるのに、である。

国会議員が議員収入のことをつっつかれると、必ずと言っていい程口にするのが「私設秘書を雇ったりして、国政を遂行するのに必要なんだ」という言い分である。ではなぜ、現在の公設秘書の人数(公設第一秘書、公設第二秘書、および国会議員政策担当秘書の3人)を拡大して、その分議員収入を減ずるという「自浄措置」を誰も提唱しないのか。融通の利く金を持たせたら、まあほとんどの人は自分のために使うものなんだけどなあ。

国民の選出した議員に何を言う、などと言われそうだけど、元自民党で官房長官を務めた野中広務氏などが証言している通り、内閣機密費というものの使われぶりは実にひどいものらしい。選挙対策に流用されたり、外遊の餞別に使われることも多かったらしい。性質上この科目をなしにすることができないにせよ、その使われ方に国会議員の品性が現れていることは言うまでもあるまい。だから、使途をつまびらかにできる金は、科目を規定・明示して渡さなければならないはずなのだ。たとえば、同じ年齢の国家公務員一種の俸給を適用する、などして、せめて世間並みの年収に抑えて、その分交付金や議員秘書枠を増やせばいいだけの話だ。

そして、政治資金規制法の開示請求を行い、金の分働いているかどうか、を精査する市民オンブズマンなどが設立され、機能すれば、国会議員は「通信簿」で明確に国民の審判を受けることになる。もちろん、利益直結の姑息的な行動だけが評価されるような精査であってはならないから、この精査を行う組織の中立性・透明性は極めて高いものを要求されるので、そう簡単な話ではないけれど、このような仕組みで、国会議員の収入と経費が適正化され、その使途と業務が全うに評価されるならば、こんないいことはない、そう思うのは僕だけであろうか。

「もんじゅ」再起動を考える

高速増殖炉「もんじゅ」は、僕とはまんざら無縁というわけではない。僕の恩師が、ナトリウム漏洩事故のタスクフォース委員会の委員で、施設内の腐食が起きたメカニズムを明らかにするミッションをこなしていたのだ。

そのときの恩師と僕の見解は概ね一致していた。ガラスや溶融塩を扱った経験があれば、あの施設内が無茶苦茶になったメカニズムの推測は難しくないことで、あれは、漏洩した高温の金属ナトリウムが空気中の酸素や水蒸気と反応して、多量の Na2O が生成したことによるものだ。 Na2O は溶融状態では恐ろしく腐食性が強い。どれ位強いのかというと、 Na2O を高濃度含有したガラスを融かして、そこにステンレスの棒を突っ込んだら、グズグズと溶け込んでしまう(正確には、ステンレスの鉄やニッケル、クロムといった成分が迅速に酸化され、その酸化物が溶け込むわけだけど)程だ。しかもこの Na2O 、大気中に置いておくと、水蒸気と反応して NaOH 、つまり水酸化ナトリウム(苛性ソーダと書いた方が通りがいいのだろうか)になる。こいつは生成初期は極めて細かい粉末になって辺りに飛散して、そこで潮解してくっつくと、丸洗いでもしない限り除去することは難しい。強アルカリの微粉末を吸引したり、皮膚や粘膜を暴露したりすることは、言うまでもないけれど極めて危険だ(強アルカリは生体を構成するタンパク質を溶かしてしまうから……目に入ったらほぼ確実に失明するだろう)。

まあ、こういうことを考えていてもなかなか人には伝わらないので、恩師達は、現場を模した設備を鋼鉄製のチャンバーの中にしつらえた。配管やはしご、マンホールなどがしつらえられたそのチャンバーを通常の大気で満たして、溶融ナトリウムをぶち込むと、マンホールの蓋さえもぐずぐずに溶けてしまった。まあそれはひどい有様だったらしいけれど、それだけにアピールの方も完璧だったらしい。

さて。そんな「もんじゅ」が今日から再稼働を始めた。おそらく数日のうちに臨界に達することだろう。しかし、正直言って、このご時世に「もんじゅ」にこだわるということが、果たしてこの国に対して、そして世界に対して有益なことなのだろうか。皆さんはお考えになったことがあるだろうか?

そもそも、高速増殖炉とは何か。世間の人は、おそらく「『高速』に何かが『増殖』する」炉だ、などとお考えなのではなかろうか。これは頭っから間違っていて、高速増殖炉というのは「『高速』中性子でプルトニウムを『増殖』させる」炉、という意味である。

一般の原子炉では、核分裂で生じた中性子の飛翔速度が低くなるような工夫をしている。これは、連鎖反応を起こすウラン235を効果的に分裂させるために、その方が都合がいいからである。しかし高速増殖炉では、逆に中性子の速度が高く保たれるような工夫をしている。冷却材として金属ナトリウムが用いられるのもその工夫の一環なわけだ。高速中性子は、連鎖反応を起こせないウラン238の原子核に捕捉されて、ウラン238をプルトニウム239に核変換する。つまり、燃料として使えないウラン238を元にして、連鎖反応を起こす(= 核燃料として使用できる)プルトニウムを「増殖」させることができる。これが、「高速増殖炉」の名の所以である。

ここだけを見ると、未来のエネルギー源として魅力的に思えるかもしれない。しかし、プルトニウム239というのは、実はかなりの曲者なのだ。プルトニウム239はウラン235と比較して臨界量、つまり、一所に置くと自発的に連鎖反応が始まってしまう量が小さい。具体的には、ウラン235の臨界量が 46.5 kg、プルトニウム239が 10.1 kg といわれている。このプルトニウム239の臨界量は、たとえば金属プルトニウムの球を仮定した場合、その直径が 10 cm を少し割る位だから、その小ささを実感していただけると思う。

しかも、プルトニウムはウランの場合と異なって、同位体濃縮を行う必要がない。ウラン235は、自然界で産出するウラン全体の 1 % 未満の割合であり、しかもウラン235とウラン238は化学的性質の違いがない。だから、核種の違いに起因する質量差(それもわずか 1.3 % 程度しかないのだが)を利用して、遠心分離法やガス拡散法などで濃縮を行わなければならないのだけど、プルトニウムの場合は、不純物を化学的手法で除去してやればよい。これを実際に核兵器として用いるためには、いわゆる爆縮レンズ(これに関しては未だに米露共に機密扱いにしている)等の、非常に高度な技術的課題をクリアしなければならないから、決して容易ではないのだが、もしもプルトニウムをばらまく、いわゆる「汚ない核」としての兵器利用を行うのならば、高純度精製すら不要である。

だから、プルトニウムの管理は、それを所有する国だけに限定した問題ではない。IAEA によって、国際的にその状態が明らかになるように、徹底的に監視されるのだ。日本が保有するプルトニウムの量は、国外にある分を含めて 33.9 t(2007年12月31日現在) 、使用済燃料中のものも含めると 133 t 近く(2006年末現在)あって、これはアメリカ・ロシア・フランス・イギリスに次いで多い。中国は使用済燃料中のプルトニウム量を IAEA に報告していないけれど、中国が日本以上に保有していると考えても、この量は世界第6位ということになる。

つまり、現時点で、日本は世界有数のプルトニウム保有国なのだ。それは、日本の核施設を査察するために IAEA が使っている予算額をみれば一目瞭然だ。IAEA は、まともに各国の核施設を査察していたら金がいくらあっても足りないので、「統合保証措置」 (integrated safeguards, IS) という概念を導入して、核の平和利用を行っている国に対しては査察を軽くするようにしているのだが、IS を適用されている日本1国のために IAEA が投じている査察費用は、全査察予算の 1/4。実は日本は、核兵器を否定する国でありながら、同時に最も核に関して監視されている国でもあるわけだ。これが、日本におけるプルトニウムの問題点のひとつである。つまり、日本は、「もんじゅ」が稼動を止めていた時点において、既に「プルトニウムを持ち過ぎた国」なのである。

いや、プルトニウムは核燃料サイクルを成す上で重要な燃料なんでしょ、という指摘がきそうだけど、そもそも、プルトニウムをどのようにして燃料として有効利用していくのか、という問題への答は実に曖昧なものなのだ。プルトニウムは高速増殖炉の燃料として用いられる。しかし、燃料として入れた分よりはるかに多いプルトニウムを「増殖」の結果として得ることになる。だから、得られたプルトニウムを「燃やす」必要が出てくるわけだ。しかし、現時点では、プルトニウムを単体で用いる原子炉というものは存在しない。

プルトニウムを「燃やす」ためには、実は既存の発電用原子炉がそのまま使われている。もともと発電用原子炉で得られる熱量の3割程度が、炉内で核変換されたプルトニウムによるものとされているので、ここに更にプルトニウムを足しても何とかなるだろう、という発想で、ウラン=プルトニウム混合酸化物 (MOx) をペレットにしたものを燃料棒に詰めて、既に発電が行われている。計算上では、MOx を用いることで熱量の5割強がプルトニウムの核反応で得られることになる。

この MOx、ずいぶんと物議を醸してきたものなので、ニュース等でこの名前を御記憶の方も多いと思う。そもそもウラン235で運用する原子炉にプルトニウムを混ぜた燃料を突っ込んで大丈夫なのか、という問題がまずあるわけで、特に炉内の核反応の安定性が求められる原子炉で、このような未知のファクターが入ってくることは、たしかにあまり感心できるものではない。その筋では、充分なデータ蓄積をしている、と言うのだろうけれど、しかしそもそもこんな使い方を前提として設計されていない炉を使う訳だから、想定していなかったトラブルに見舞われる危険性は、ゼロではないだろう。しかも、この MOx をテロリスト等が入手した場合、化学的手法によるプルトニウムの濃縮が可能なので、運用において高いリスクがつきまとうのは否定できない。

僕が知る限り、最も安全そうなプルトニウムを「燃やす」方法は、溶融塩原子炉を使うやり方である。ただし、この炉を作る際には、おそらくコンタクトマテリアル(溶融塩に直接接触する部材)の腐食の問題をクリアしなければならない。あと、既存の原子炉の利権を得ている企業が、このような方式に乗ってくるかどうか、という政治的な問題もあるだろう。

いずれにせよ、現時点で、プルトニウムの量はかなりなものになっているのに、MOx でチビチビ消費する以外の有効な利用手段が確立されていない状況で、しかもプルトニウム自体は非常に危険な核物質である。それなのに、これ以上プルトニウムを増殖させてどうするのか、というのが、僕にはどうも分からない。「もんじゅ」再稼動というのは、こういう問題をはらんだものだということを、僕達は知る必要があるのだけど、おそらく世間ではあまり知られていないんだろうし……

「埋め立てない」の欺瞞

これも今更書くまでもないことだけど、鳩山首相が沖縄で動いている状況なので、ここにも書いておこうと思う。まず現状だけど、鳩山首相は、普天間の移転を完全に国外/県外にすることを断念し、一部を徳之島に、残りは沖縄県内とすることで各方面の了承を得ようとしているわけだ。

これに関しては、もはや笑うこともできない。そもそも、民主党には沖縄との交渉を根回しするパイプがないのだから、政権獲得後、可及的速やかに、鳩山首相は沖縄を訪れなければならなかったのだ。それを、ろくに沖縄とのパイプを築こうともせずに、首相自らがあやふやな言動に終始したものだから、話の落とし所がすっかり見えなくなってしまったわけだ。

そもそも、何故、沖縄にアメリカは海兵隊を置いているのか、を考えなければならない。海兵隊のミッションは、海を経由して陸上戦力の第一陣を送り込むことにあるわけだけど、このような部隊が、日本に対して機能する事態というのは、生じる可能性は高くない。そのような可能性の高いのは、東アジア地域においては、明らかに台湾と韓国なわけだ。だからアメリカは、この2国に対して仮想敵国(この場合は第一に中国、第二に北朝鮮ということになるだろうけれど、現状を鑑みるに、中国こそその仮想敵国だと言ってさしつかえあるまい)が侵攻した場合、即応ができる位置に海兵隊戦力を置いておきたいわけだ。しかし、台湾は表向きは国として正式の付き合いをしているとは言い難い状態だし、韓国に置くことは、中国に対して軍事的プレッシャーを増すということになるので好ましくない。だから、アメリカは台湾と韓国に近い沖縄に、海兵隊戦力を配備しているのである。

このような観点からみると、徳之島という場所がアメリカにとって承服し難いロケーションだということは想像に難くない。徳之島に移設するというのは、ここに断言するけれど、まず 100 % 無理だろう。もし可能性があるとすれば、海兵隊の陸上施設も全て込みで移転する、というのが考えられるけれど、当然ながら徳之島にはそこまでの土地はない。既存の海兵隊戦力と分裂させて飛行場だけを徳之島に移設することは、マスコミも既に取り上げている通り、大阪の人が琵琶湖辺りに駐車場を借りるようなものだ(ヘリの運用を考えた場合、通常装備では徳之島と沖縄を往復しただけで燃料を使いきってしまう……つまり、作戦行動など無理な話なのだ)から、米軍は納得しないであろう。

こんなことは最初っから分かっていたことである。そもそも自民党が、あれこれ場所を選んで検討した末の辺野古案なので、対案としては余程のウルトラCを狙うしかなかった。それは勿論、アメリカの東アジア防衛構想のかたちを変えるものになるわけだから、アメリカとの迅速な実務者レベルでの協議が行われなければならなかったのだ。鳩山首相がオバマ大統領を捕まえて10分話し合ったって何も進まないのである。必要なのは、10分のランチトークではなく、何十、何百時間もの実務者レベル協議(そしてその協議が実りあるものになるための政府内での事前協議が必要なのは言うまでもない)、それも鳩山内閣成立後、可及的速やかにそれが行われる必要があったのだ。

これは僕の想像だけど、民主党内は「ゴねれば何とかなる」と高を括っていた節がある。一番まずかったのは、政権交代後、どういうわけか、辺野古の環境アセスメントが着手される前に、辺野古案の関連業務をストップしてしまったことだ(後記:沖縄防衛局は2009年度で環境アセスメント完了と発表しているのだけど、この環境調査は複数年度を経たものではなく、判断材料としては極めて脆弱なものであるので、十分なアセスメントが成されたとは言えないのだ)。辺野古に守るべきものがあるならば、それに関して綿密なデータを以て主張することは不可欠なわけで、いくら反対派の妨害工作があったとしても、辺野古沖の環境調査を行わなかったことは、失策としか言いようがない。いや、むしろ、下手に辺野古案の環境アセスメントが終わってしまうと、代替案の環境負荷を検討したときに、実は辺野古よりも環境負荷の高いものばかりになってしまうのを恐れたんじゃないか、と邪推すらしたくなるというものだ。

で、今までの反論を収めることができないからって「埋立てより杭打ち」とかいう妄言を言い出した。これもお話にならない。そもそも、杭打ちで空港を作るという発想は、潮流への影響を最小限にすることで、空港周辺の主に漁業資源への影響を低減する、という考えの上にあるものだ。空港施設がたとえ杭の上に建てられたとしても、空港は海への日光を遮る。サンゴは植物性プランクトンと共生関係にあるから、光合成ができないとサンゴはやはり死んでしまうのだ。繰り返すけれど、「埋立てより杭打ち」が、沖縄のサンゴやアマモ(ジュゴンの餌で、今回の辺野古案で問題があると言われている原因)の環境を保護できるなどというのは妄言である。もし、いやそんなことはない、と言うならば、環境アセスメントを行うべきだし、それは今からでは到底間に合わないのだ。

つまり、五月末に結論を出す、というのは、実は無批判に自民党/自公政権の辺野古案を踏襲することと、大同小異の愚策だとしか言いようがないのだ。もし本当に、沖縄の人と自然を守ろうと志すならば、アメリカの東アジア防衛戦略に関わるかたちでの外交が行われるべきだし、それと並行した環境アセスメントが行われるべきで、それは鳩山政権成立後、可及的速やかに着手されるべきことだったはずだし、首相と大統領のランチトークではなく、綿密な実務者レベルでの協議の末に両者合意を得なければならないはずのものなのだ。それを怠った時点で、もうこの話はどうしようもない代物になっていたわけで、今更何をホタえてるんだ、としか言いようがない。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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