Moonies?

韓国人は、どうも自分の名前を英語風に読まれることを好むような印象があるような気がする。かつての職場で一緒に仕事をしていた人で、皆に「ジョンさん」と呼ばれていた人がいるのだが、彼に、名字は漢字で何と書くのか、と一度聞いたことがある。彼は(彼の国に関してはネットで色々言われているけれど、本当に教養のある人は……一握りかもしれないけれど……本当に高い知性を身につけているんですよ)すぐに「鄭」と答えてくれた。なるほど、昔だったらテイさんだね、と言うと、でも今は日本でもジョンですよ、ジョンと呼んでやって下さいね、とやんわりと言われたのだった。それ以来、彼のことはいつでもジョンさんと呼ぶようにしている。

僕は小学校の頃に、同じ名字の同級生の女の子がいて、彼女に色々在日韓国人のことを教えてもらったおかげで、あまり韓国人との間に垣根を感ぜずにいられる(とは言っても最近の大韓民国の暴走ぶりにはさすがについていけないのだが)のだけど、彼女も今ではジョンと名乗っているのだろうか。韓国では結婚しても女性の名字は変わらない(これは別にフェニミズムの面での男女別姓ではなく、女性は家に入れない、ということなのだけど)から、きっと今もどこかでそう名乗っているのだろうけれど。

さて。標記の件である。まずは洪蘭淑という人の説明から始めなければならない。洪蘭淑は、文鮮明の長男である孝進の妻だった女性である。文孝進は、ちっとも格好良くない「セックス、ドラッグ、ロックンロール」への耽溺の挙句、今から4年前に心筋梗塞(彼が十数年間常用していたコカインに起因するものと思われる)で死んだのだが、父の意向で妻合わされた洪蘭淑との結婚を望まない、と公言しつつも4人もの子をなし、DV に走り、1995年に妻と子が脱出、訴訟を起こされてそのまま離婚したのであった。で、その洪蘭淑は1998年、“In The Shadow of Moon”という暴露本を出版した。

僕はこの本の存在を知っていたのだが、実物を手にしたことはなく、えらく詩的なタイトルだなあ、としか思っていなかった。しかし、最近、アメリカで原理研究会(日本の大学で耳目にする「原理研」と同じものである)が問題化したときのことを書いた文章を読んでいて、そこに原理研に嵌っている人々を称して "Moonies" と書かれていたのを読んで、あれ、ひょっとしたら、と気がついたのだった。

最近はメディアでも、朝鮮語でのファンダメンタルな発音に倣うようになっているので、文鮮明の訃報を探してみると、ちゃんと彼の名前の本来の読みが書いてある:「ムン・ソンミョン」と。これはアルファベットで "Moon Sun-myung" と書くのである。

なるほど。洪蘭淑の本の題名はダブルミーニングだったわけだ。そして、Moon にかぶれた lunatic のことを "Moonies" と言うわけだ。こんなことにすぐに気付かないなんて、少し頭が錆びついているのかもしれないが。

あーあ、やっちゃったよ

唐突だが、韓国にも右翼と左翼というのがあるのはご存知だろうか。日本で右翼というと、主に勤皇・民族主義を表に出した人々で、左翼というと、安保闘争時代のヘルメット姿の……というような連想をする方が多いと思う。では、韓国では右翼とか左翼とかいうのはどのようになっているのか。

実は、韓国における右翼・左翼の区別は、日本におけるそれよりも簡単かもしれない。日本の場合、新右翼と言われる人々と新左翼と言われる人々が接近したりして、かなりややこしいことになっていたりするのだけど、韓国の場合は、「反共・反北」の強硬派が右翼、「容共・親北」が左翼……と、こういうことになっている。

学生運動や教職員組合が左翼的立場を取る、ということは、韓国でも日本と同じ状況である。しかし、ここで注意しなければならないのは、日本の右翼・左翼の場合と逆に、韓国では左翼の方がより民族主義的である、ということである。「容共・親北」だということは、北との統一、それも主体思想を背景とした民族主義的な統一を志向するということで、この点が日本と大きく異なっている。

韓国で、どうして未だに民族主義的な暴走が起こり易いのか、ということには、実はこの韓国における左翼思想が大きく関わっている。日本に日教組があるように、韓国にも教職員組合である全國ヘ職員勞動組合が存在するのだが、この団体は左翼志向(しかしその内実は異なっているのだが)であって、それが教師裁量の教育において大きな影響力を持っているのである。

韓国の初等教育課程において、日本の「ゆとり教育」における学校裁量時間と同じような、「裁量活動」と呼ばれる時間が取られている。実は、この時間こそが、韓国の初等教育課程における民族教育の時間として活用されている。先にも書いたように、韓国の教職員組合は非常に民族主義的色彩が濃い。だから、あの悪名高き『独島の歌』などは、まさにこの時間に教え込まれるのである。

韓国における「裁量活動」の現状と課題』という論文を見つけたのだけれど、これによると、裁量活動は「教科裁量活動」と「創意的裁量活動」に大別される。前者は通常の教科教育を補充したり、より深い内容を教えたりするもので、後者は「凡教科学習活動」と「自己主導的な学習」に分けられていて、「凡教科学習活動」の中に「統一教育」「韓国文化アイデンティティー教育」という項目がある。先の民族教育は、この範疇として行われているものである。

この「裁量活動」における民族教育は、我々日本人が思うのよりも遥かに熱心に行われている。上にもリンクした Wikipedia のエントリー「全国教職員労働組合」の中にも、

2005年5月、全教組所属の教師が中学生180人をパルチザン追慕祭に動員するという事件を起こし、国内で猛反発を招いた。また、2005年2月から2年近くの間、「北朝鮮の先軍政治の偉大な勝利万歳」と書かれたポスターなどを全教組のホームページに掲載し、北朝鮮の体制を賛美・宣伝しているとして2007年1月18日、国家保安法違反で関係者が逮捕された。
本当かよ? とお思いの方もおられるだろうが、これは事実である。僕も、以前にこの民族教育の時間に描かれた小学生の絵を目にする機会があったのだが、その絵は日本を武力攻撃する韓国を描いたものだった。最近はいささかマシになったという話もあるけれど、韓国における民族教育というのはこれ程までに苛烈なものなのである。

これを知れば、ロンドンオリンピックの男子サッカー3位決定戦における、韓国選手の呆れた振舞いも、なるほどと思えるのである。サポーターが渡したとされる竹島に関するメッセージのプラカードを高々と掲げ、日本と交換したユニフォームをわざと着ずに尻に押し込み、五輪旗を超える大きさの国旗が持ち込み禁止であるにも関わらず、あの巨大な太極旗を持って行進したこと、そして、韓国のメディアがこれらの行為を「英雄的」と報道したことも、なるほど、そういう教育が背景にあるのならば、ありえる話であろう。

勿論、それが許されると言っているわけではない。韓国人だって、このことは問題だと思っているのに違いないのだ。たとえば、ここ十数年、欧米では韓国人の留学生の数が非常に増えているけれど、これだって、親がこのような歪んだ民族教育のバイアスから子供を解き放ちたいと思ってのことだと考えれば、なるほどと理解できなくもないわけである……もっとも、今回問題になっているプラカードを選手に渡したのは、イギリスに留学している27歳の大学院生だというから、結局この束縛からは解放されていないということになるわけだけど。

しかしなあ……あー、やっちゃいましたねえ。かつてオリンピックでは、黒人差別問題を強調する黒い手袋を着用してメダル授与式に参加した選手「ですら」追放されたのである。ましてや、現在進行形のあの竹島の騒ぎをオリンピックに持ち込んだら、どうなるか分かりそうなものなのに。しかも、サッカーと言えば、かつて試合結果がもとで戦争にまで発展したことがある競技である。ちょっと歴史を知っていれば、こういう問題に IOC も FIFA もナーヴァスなのだということが分かりそうなものなのだが……いやはや、教育というのが人間形成においていかに大事なものなのか、僕は今回の件でまたもや深く思い知らされたのであった。。

それはわざとやっているんですか?

今日は広島に原爆が投下された日である。僕自身は広島や長崎の出身というわけではないけれど、僕の郷里の水戸も、焼夷弾による絨毯爆撃で一面の焼け野原にされた土地で、幼い頃からそのときの話を聞いて育った。そして、自然科学を学んだ者として、あの日の広島や長崎で何が起きたのかが、様々な視点から定量的に見える目を養ったので、この日の意味はますます重いものになっている。

さて、今日の平和祈念式典だが、僕は映像を見て、一瞬「え?」と我が目を疑った。しばし画面の周囲を見回し、やはり自分の見たものが間違っていないことを認識したときに独り言ちたのが、標記の「それはわざとやっているんですか?」という言葉であった。皆さん、僕が何を言いたいのか、お分かりになるでしょうか。

まあ、せっかく首相官邸が写真を公開しているので、それをここにリンクしておこう。

注目していただきたいのは、ネクタイである。野田首相とそれ以外の来賓のネクタイを比べると……お分かりだろうか。他の来賓は皆黒ネクタイをしているのだが、野田首相はブルーのストライプのネクタイを着用しているのである。

僕は別に枝葉末節をつつきたいわけではない。しかし、言ってみれば、原爆で亡くなられた人達の法事に来ているような状況で、黒ネクタイを着けないというのは、これは一体どういうことなのだろうか。

僕はこのことが気になって、他の人達の服装も一通りチェックした。その結果、来賓で黒ネクタイを着用していなかったのは、野田首相と、同じく民主党の馬淵澄夫議員だけだったようだ。各政党の代表者や、話題になった馬場たもつ浪江町長、そして海外からの参列者も、皆黒いネクタイを着用していた。あれだけ並んだ来賓の中で、色の入ったネクタイをしているのは、野田首相と馬淵議員、そしてその周囲の関係者(おそらく秘書や SP だと思うが)だけであったのだ。

そもそも、政治家というのは、冠婚葬祭に行くのが仕事の一部のようなものである。だから必ず、白と黒のネクタイ、そして、そういう場に出向いても差し支えない色のスーツを準備している……はずなのだ。もし本人が呆けて忘れていたとしても、秘書や側近が手配していて然るべきだろう。朝早くて買えなかった、などという言い訳は通用しない。広島の民主党支部に電話して、誰でもいいから式典の間だけ黒ネクタイ貸してくれ……とでも頼めばいい。それで済む話のはずなのである。しかし、野田氏も馬淵氏も、そしてその周囲の人達も、それをしなかった。

この日の来賓の一例を挙げると、自民党の谷垣総裁は、本人は勿論、秘書も、ちゃんと黒ネクタイを着用していた。やはり、どう考えても常識はこちらの方なのだろうと思うのだが……そうなると、やはり標題の問に戻らざるを得ないのである。野田さん、それはわざとやっているんですか? と。

なぜオスプレイは危険だといわれるのか(番外編)

土曜の夕方は、他に用事がなければ『報道特集』を観ることにしていて、今日(2012年8月4日)も観ているところなのだけど、さっき流れたニュースで、顎が外れるような心地にさせられた。

V-22 オスプレイの問題に関して、訪米中の森本敏防衛相がワシントンでメディアを引き連れて試乗を行ったらしい。そのときの森本氏のコメントがまずダメダメである:

想像以上に飛行が安定していた」
いや、どんな想像してたんですか、森本さん? ここは「想像通り飛行は安定していた」って言わなきゃならないところでしょう。しかし、このコメントに関しても報道のされ方は引っかかるところがあって、MSN 産経読売新聞朝日新聞の記事では「想像以上に飛行は安定した」と書かれているのに対し、時事通信日本経済新聞では「非常に安定した」と書かれているのだ。あれだけ記者が雁首並べて、IC レコーダー等も持っているだろうに、どうしてこんな風にコメントが分かれるのだろうか?

おそらく、この齟齬の原因としてまず考えられるのは、それだけ音が大きかった、ということである。オスプレイのローターの大きさからしても、その騒音は並のプロペラ機と比較してもかなり大きいだろうし、当然、今回乗った人は皆防音のヘルメットを被らされた筈だから、ノイズキャンセルのインカムなしではコメントを聞き取るのは至難の業だったはずだ。

しかし、この点に関しても、各社で書いていることが微妙に異なっている。上記リンクした各社の記事から該当部分を引用すると:

森本氏は試乗後、記者団に「想像以上に飛行が安定していた。騒音もそれほど大きいという印象は受けなかった。早い時期に沖縄県知事に会って説明したい」と語った。(読売新聞)
騒音についても「それほど大きな被害を受けるという印象は持たなかった」と語った。(時事通信)
というのに対し、朝日新聞は、
森本氏は、地上でオスプレイの飛行時の騒音も確認。「やっぱり音だな」とつぶやくと、米海兵隊幹部が「(音が大きいのは)基地の中だけだ」とあわてて説明した。森本氏は試乗後、「想像以上に飛行が安定している。音は、市街地にあまり大きな影響を与えないだろう」と語った。(朝日新聞)
と書いている。また、東京新聞が掲載している共同通信の記者が書いた体験記には、
固定翼モードでも揺れが多いのは意外だった。民間プロペラ機と同様、気流の影響と思われる上下の揺れを何度も経験した。搭乗者は全員、防音機能の付いたヘルメットを着用。右耳の耳当て部分を外して騒音を確かめたが、あまりの音の大きさに驚き、すぐに元に戻した。
と書かれている。一体本当はどうだったのだろうか? やはり、このように各社の記述に齟齬が生じたのは、真相にアクセスし難かった(つまり、うるさくてよく聞き取れなかった)と考えるのが一番自然だと思われるのだけど。

で、何が顎の外れる思いをさせたのか、という話だけど、『報道特集』で、オートローテーションを行う可能性について日本政府関係者が、

「そんなことが起こる事態は考えられない」
と語った、というのである。

ここで重要なのは「オートローテーションを行わなければならない可能性は極めて低い」あるいは「ない」というのではなく「考えられない」というコメントだった、というところである。言葉尻をとらまえて何を言うか、と言われるかもしれないけれど、官僚や政府関係者が報道関係などにコメントする際、一番彼らが注意するのは、その「言葉尻」なのである。後々どのような事態に至ったとしても、責任追及されることを避けられる余地を残すことを、彼らは何よりも重要視するからである。

オートローテーションを行う可能性が統計的に十分な信頼性をもって「無視し得る程に低い」のならば、彼らはそうコメントするはずである。しかし、そこに恣意的解釈の余地を残した「考えられない」という言い回しを使う、ということは……皆さん、もうあの原発事故を経験しているんだから、よくお分かりになるんじゃないですかね。これがいわゆる「想定外」というやつである。

それにしても、森本氏も、このコメントを出した政府関係者も、とにかく脇が甘い。甘過ぎである。森本氏はこういう官僚的視点からの言質の問題をまだよく理解していないのかもしれないが、政府関係者が、この期に及んで尚「想定外」と規定することで責任追及を逃れ得ると考えているのだとしたら、これは頭に腐ったオガ屑でも詰めているんじゃないの? と言われても仕方なかろう。いやはや、こんな手合いがこの国を動かしている。これが現実だ、ということらしい。

そして、このコメントの裏には、最悪の場合、逃れなければならない程の追及を受ける可能性を、彼らが感じている、ということが透けて見える。僕はこのコメントを聞いて、ああ、やっぱりオートローテーションに関して彼らは危険性を認識しているんだなあ、と確信せざるを得なかったのだ。

実はメディアの人々も、同様の結論に至っているのかもしれない。以下に時事通信の記事を引用して、この番外編を終えることにしよう:

結論ありきの「安全」演出=オスプレイ配備へ日米合作−地元説得に高い壁

【ワシントン時事】3日(日本時間4日)の日米防衛相会談とその後に行われた森本敏防衛相の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ試乗は、両政府が協力して同機の安全性をアピールする場となった。しかし、「配備ありき」の姿勢に沖縄など地元が態度を軟化させる可能性は低く、説得のハードルはなお高い。

◇絶賛する防衛相
「飛行は大変快適」「横振れは全くない」「騒音がそれほど被害を受ける印象はない」。試乗後、ワシントン市内で記者団に感想を問われた森本氏は、オスプレイを絶賛するようにまくし立てた。
 森本氏は航空自衛隊在籍当時、戦闘機部隊で整備員を務めていた「エキスパート」(防衛省筋)。自らその経歴に触れた同氏は「安定飛行できることは(地元に)説明できる」と胸を張った。
 これに先立ち、国防総省で行われた防衛相会談では、日本での運用に際し住民の安全に万全を期す方針を確認。直後の共同記者会見でパネッタ米国防長官は「最終的に日本で運用できると期待している」と、計画通り10月に沖縄の普天間飛行場で本格運用に入りたい考えを表明した。
 関係者によると、森本氏の試乗をめぐり、米側は「安全性を示す機会になり、地元の反発も和らぐ」と積極的に協力。普天間に現在配置されているCH46型ヘリコプターとオスプレイの両方を森本氏の前で飛ばし、騒音発生状況の比較までさせた。

◇理屈抜きの嫌悪感
 米側が予定通りの日本配備にこだわるのは、老朽化したCH46からオスプレイへの交代を既に世界規模で進めているため。CH46に比べ航続距離や速度が格段に勝るオスプレイは同盟国などへの売却も検討されている。多額の費用と長い年月をかけ開発した同機に「けち」がついてはたまらないという思惑も背景にあるようだ。
 オスプレイはアフガニスタンなど戦地でも日常的に運用されており、米側ではその安全性にほとんど疑問を持たれていないのが実態。しかし、開発・実験段階で相次いだ死亡事故が逐一報道されてきた沖縄では「理屈を超えた嫌悪感」(県幹部)が広がる。
 沖縄県の仲井真弘多知事は森本氏の試乗を控えた3日、那覇市内で「テストパイロットでもないし、(安全性確認に)何か意味があるのか」と冷ややかに語った。
 「老朽化に伴う単なる機種変更なのに、なぜこんなに騒ぎになるのか分からない」。7月下旬、地元の状況を直接説明するためワシントンを訪れた同県の又吉進知事公室長は、こう感想を漏らした米政府当局者に「そういう質問が出ること自体、現実を理解していない」と怒りをぶつけた。

◇運用制限に悲観論
 日本政府は地元説得の材料にするため、4、6月に起きた墜落事故の米側調査結果が出るのを受け、専門家による分析チームを派遣して安全性を自ら確認。同時に、両政府の担当者による日米合同委員会の場で、飛行の高度やルートに配慮するよう求めていく方針だ。
 しかし、日米地位協定に基づく在日米軍の活動に大きな制約を設けるのは実際には困難。「日本にできるのは配慮を要請することまで」(防衛省幹部)と悲観的な声が漏れている。(2012/08/04-18:00)

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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