人体冷凍保存の諸問題 (1)
先日僕が査収し、一日で読み終えてしまった:
『人体冷凍−−不死販売財団の恐怖』:ラリー・ジョンソン、スコット・バルディガ 著、渡会圭子 訳、講談社、2010. ISBN-13: 978-4062162029(原著)
"Frozen: My Journey into the World of Cryonics, Deception, and Death" by Larry Johnson with Scott Baldyga, Vanguard Press, 2009. ISBN-13: 978-1593155605に関して、少しづつ書いていくことにしようと思う。まず、上の訳本に関してだが、訳はかなりよろしい。読み易い、こなれた日本語になっているし、技術用語の訳も怪しさを感じるところはあまりない。あえて言うならば、hamburger を「ハンバーガー」と訳している箇所が複数あるのが気になる。これは文脈からみて、明らかに食品としての「ハンバーガー」ではなく、「ミンチになった生肉」としての「挽肉」を指していると思われる。あと、
……極端な低温状態で、ある種の金属は物理学の法則を裏切る動きをする。さらに低い温度では、まったく摩擦を生じず、電気抵抗がゼロになる。超伝導と呼ばれる現象だ。私はそれを知って興奮した。(pp. 19−20)最初の下線部は「挙動を示す」と訳すべきだろうし、次の下線部は、これはおそらくヘリウムの超流動に関する言及だろう。原著の記述を確認できないのでこれ以上は何とも言えないけれど、こういう部分のアラは残念ながら目立つ。ここ以外にはあまりなさそうなので、そう気にする必要もないかもしれないが。その他、日本語がおかしくなっている(「……手はまだエスプレッソ三杯飲んだように震えている。」(pp.28) とか)部分が散見されるが、まあこれは校正の問題だろうし、読む上でそう深刻な問題にはならない。
人体冷凍の話に戻ろう。そもそも人体冷凍のアイディアを最初にリアルなものとして世に問うたのは、ロバート・エッティンガー Robert Chester Wilson Ettinger(注.日本においては「エッチンガー」という記述がされることが多い)なる人物が1962年に出版した『不死への展望』(原著:"The Prospect of Immortality")が最初であると言われている。この本はもともとエッティンガーが自費出版したものだが、大手出版社であるダブルデイがこの本の存在を知り、アイザック・アシモフに内容をチェックしてもらった上で、1964年にダブルデイから刊行された。
エッティンガーは第二次世界大戦に従軍、負傷したのだが、その病床でフランスの生物学者であるジャン・ロスタン Jean Rostand がカエルの精子に対して凍結・解凍を行い蘇生に成功したことを知ったらしい。これに刺激されたエッティンガーは "The Penultimate Trump" という短編 SF 小説を書き、これが Startling Stories という SF 雑誌に掲載された。いわゆるスペース・オペラの世界で知られるニール・R・ジョーンズの『機械人21MM-392誕生! ジェイムスン衛星顛末記』(原題:The Jameson Satellite 、1931年7月に "Amazing Stories" に掲載、ハヤカワ文庫から出ている短編集『二重太陽系死の呼び声』に邦訳収録)に多大なる影響を受けているこの短編で、エッティンガーは(SF 的概念として)初めて人工冷凍冬眠という概念を世に問うた。
SF における人工冷凍冬眠という概念で、おそらく世間で最も知られているのは、ハインラインの『夏への扉』であろう。ハインラインは、この小説の中で、過去から未来への旅を人工冷凍冬眠で、未来から過去への旅をタイムマシンで実現した。アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』に出てくるような、長距離の宇宙旅行における人工冬眠の場合も含めて、このような SF でお目にかかる人工冬眠の多くが、未来への旅、もしくは、長大な時間を要することに人間が臨む際の、人間の加齢という制限を克服する手段としてとりあげられているわけだけど、エッティンガーが提唱した人工冷凍冬眠は、これとはちょっと意味合いが異なっている。エッティンガー以降の人工冷凍冬眠は、その時点での医学的限界としての死を克服するための唯一の方策、というかたちで認知されるようになった。ここが実は問題なのだけど、それに関しては次回に書こうと思う。