土用の丑の日、それは自称グルメの試金石
この間の日曜は土用の丑の日だった。僕の家の近所に、江戸前の鰻を食わせる店があるのだが、この店の駐車場には、クルマの列が長く連なり、一度品切れになった鰻を店が業者に無理を言って入れさせ、一時中断した営業を再開してまでの大騒ぎをしていた。
愛知県人は行列が大好きだ。おまけに言うと、自分が「いいもの」を食べたことを他人に披瀝するのが大好きだ。某 SNS などでは、食い物と酒のことしか blog に書けないような輩がゴロゴロしている。だから、前述のクルマの行列などは、思わず頭を押えてしまう程に酷いものだった。
で、僕が鰻を食べたか、って?勿論、食べる訳がないじゃないですか。
そもそも、まっとうな仕事をしてくれる鰻屋の多くは土用の丑の日に休むのである。これは、鰻の養殖が盛んに行われている愛知県でも変わらない。名店と言われる(誤解なきように願いたいが、ここで言う名店というのは、メディアで有名な店というのとは全く異なる)店は、愛知でも土用の丑の日には休むのである。理由は簡単、いい鰻がまっとうな値段で仕入れられなくなるのと、いい仕事のできる状態でなくなってしまうからだ。
僕はいわゆるグルマンではない。しかし、どうせ何か食べるんだったら、落ち着いた場所で美味しいものを食べたい、と思っているだけだ。土用の丑の日の次の日、多くの鰻屋が休んでいる中、まるで殉教者のような気高さで暖簾を出している店は大抵静かだし、僕は少なくともそういう店の中に美味いものを出してくれるところを知っている。だから、平賀源内の広告戦略に今更乗っかって、鰻騒動の一部になるなんてのはゴメンなのだ。
まあ、グルメぶっている(特に自分が何を飲み食いしているか披瀝しているような)連中、なんてのは、実際のところ、味が分かっているとはとても思えない。料理関連の業界に知り合いがいるので、その手の輩が集うイベントに参加したこともあるけれど、
- 泥酔して入ってきて、ジントニックとジンリッキーの区別もつかない
- 日本料理屋でまる(鼈、スッポン)の炊いたのが出てきたとき、大将を礼賛するようなことを散々言っていて、エンペラを「こんなの食べられない」と丸々残す奴
- ちゃんと土用干しして塩で漬けた梅の味を知らないらしく、自家製の梅干しで作った梅肉を出されてその味が理解できず、塩抜きをして砂糖や蜂蜜などを含ませた梅で作った梅肉の味を延々大将に語って帰っていった奴
だから僕はグルメを自称する人々を軽蔑しているのだ。自分が食べることと、食文化だけでない広い文化、そして様々な国の風土、そして自分の心。そういった事々がリンクしてもいないんじゃあ、他人様の作ったものの味に物申す資格などないのだ。