半可通がニュースを評するのは暴力的である
片山右京氏らが富士山での訓練中に遭難し、片山氏の同行者二名が凍死するという事故が発生した。状況を聞いた限りでは、出来ることは全てやった上での突風による事故でもあり、一人残された者として出来ることの限界を超えたところでの惨事だと思われる。しかし、ネット上では、何も山に関して知らない輩が氏を罵倒する記述が散見される。
僕の郷里にある運動具店の店主で、服部満彦という方がおられる。芳野満彦と言った方が分かり易いだろうか。高校二年生のときに冬の八ヶ岳で遭難し、同行していた先輩を失い、自らも両足先の前半分を失ったが、一年のリハビリの後に復学、後にマッターホルン北壁を世界で始めて登頂するなど、戦後の日本の登山家として数々の国際的な登攀を成し遂げた人物である。新田次郎の『栄光の岩壁』の主人公はこの芳野氏がモデルであるし、同じく新田氏の『アイガー北壁』においては、芳野氏は実名で登場している。
僕は子供の頃、この芳野氏のファンで、親父の書棚にあった芳野氏の著書『山靴の音』をしゃぶり尽くすように読んだものだが、芳野氏は、低体温症で徐々に命を失っていく先輩の様子をこの本の中で克明に描写している。このような体験をし、自らも傷ついて、それでもなお、部屋にザイルを張り、足先を血で濡らしながらも歩く訓練をし、そして山靴の中が血でぬるつくような状態でも山に登ったのは、何故だろうか。芳野氏は「とにかく山に登りたかった。ただただ、それだけだった」と証言されているが、つまりは山とはそういうものなのだ。そこに、麓でぬくぬくとしている連中が、自らの安全を謳歌しながら何事か言ったところで、そんな言葉は意味を持たない。ただただ、半可通がニュースを評するのは、暴力的である、ただそれだけなのだ。
Re:半可通がニュースを評するのは暴力的である
最近、ネットに多数出現している自称国士も又然りですね。