知人の急逝
まさに青天の霹靂だった。S女史が亡くなったというのである。彼女は僕が名古屋に来て、孤独を埋めるかのように夜毎飲んだくれていた頃に、女子大小路の Perky Pat という店で出会った。彼女はずっと芝居を続け……というより、芝居に生きているとでも言うべき人だったが、芝居とはほとんど接点のない僕との唯一の接点であった酒の場で、飲みつつ話をすることがちょくちょくあった。
そのうち、彼女が Perky Pat を買う、という話を聞いた。彼女は酒に関する情報収集ということもあったのだと思うが、SMWS の試飲会への紹介を頼まれたこともあった。彼女の開いた店は、酒好き、芝居好きだけでなく、色々な人が集まり、飲み、そして食べる店として賑わった。
そのうち、僕の周辺状況が極度に悪化して、僕は数年間の暗黒の日々に沈んだ。どんな状況だったのか、ここに書くことは控えさせてもらうけど、飲みに行くどころではなかったわけだ。当然、彼女と会うこともなく何年かが過ぎた。
ようやく、どうにかこうにか食えるようになってきたけれど、前のように飲みに行くには金の前に時間がない。いや、それは半分は言い訳だったのだろう。僕は恥じていたのだ。あの暗黒の日々に自分が陥ったことも、それを他者に晒すことも、僕には酒の旨さとその時間の安らぎで補い難い程の苦痛だったのだ。だから、S女史とは無沙汰が続いたままだった。U が彼女の店に行って、「Thomas は元気かね」って聞かれたよ、という話を聞くと、申し訳ないのが半分、今更顔を出すのも辛いなあ、というのが半分で、mixi と facebook で友達になった位しかつながりがなかった。
この一年程の間、僕が訝しく思うことがいくつかあった。彼女が突然スキンヘッドにしたこと。今更のように K 氏と結婚したこと。そして K 氏が再び Perky Pat をやる、という話。いや、彼女と僕の間には実際何もなかったし、ジェラシーとかいう嫌らしい心情はそこに微塵もなかったわけだけど、ただ、僕の知る、ざらっとしてからっとした彼女のイメージからは、その一連の行動に連なるものが何も見えなかったのだ。
そして、今年になってから、彼女が入院・手術したという話を聞いた。ブログを見ると、何枚か掲載された写真の中に病室前のネームプレートかなにかが写っているのを見つけた。彼女の名前の横に書かれた「乳」「外」の文字から、彼女の病が垣間見え、さすがに僕も心配になった。これは彼女が復帰したら、一度は店に顔を出した方がいいなあ、と思っていたら……彼女は逝ってしまったのだ。
この衝撃的なニュースを目にしたとき、この一年程の間僕が訝しく思っていた事々が、全て一本に繋がった。そういうことを見せないことが、彼女の(女性に対してこの言葉を使うのはおかしいかもしれないが、僕には他に適当な言葉が見つからない)、そして K 氏のダンディズムだったのかもしれないが、でもSさん、僕は少しはそっち関係の知識もあるし、知り合いだっているんだから、ちょっとは何か言ってほしかったですよ。いや、そのためには僕が、店の空いているときに顔を出していることが必要だったろうし、僕がその機会を持たなかったから、それを聞く機会がなかったことは明らかだ。
Sさん。この何年か、僕は「本当に苦しいときには誰もその苦しみを理解してくれないし、助けてもくれない」と思ってきたけれど、そんな時期の僕は、実は、知人の本当に苦しいときに何ひとつしていなかったわけですよ。まあ僕がいなくても、あなたの知人にはもっともっと頼りになる人が何人も居たに違いないけれど、僕はさすがに今回ばかりは、己の不明を恥じる心持ちでいます。Sさんの魂の平安を、心から祈るばかりです。